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衆生済土の欠けたる望月(中)【note版】

前回:衆生済土の欠けたる望月(上)【note版】

それでは、上中下の中巻のはじまりです!

12000文字ありますのですが、お読みいただけると嬉しいです。

注意:note版ではルビを振っておらず、《 》のなかの文字がルビです。

百瀬探偵結社綺譚【述義】|作品詳細|NOVEL DAYS

この作品は、上記リンク『百瀬探偵結社綺譚』の1エピソードです。NOVEL DAYSにて連載中です、よろしくお願いします!

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 猫魔とふぐりがどこかに去って行くのと入れ替わるように帰宅する客がライブハウスから出てくる。
 彼ら彼女らはハコのネオンを後にして散っていき、やがてザ・ルーツ・ルーツのメンバーが僕を探しに、ハコの前の公園までやってきた。
 ハコとは、ライブハウスのことを指す言葉だ。
 湖山が、興奮した面持ちで、僕にこんなことを言った。
「三ツ矢プロップスに新しい風が吹きそうっすよ、山茶花さん。毎週水曜日にDJイベントでプレイしてるレジデントDJの〈DJ枢木《くるるぎ》〉って女性DJがいるんすけど、そのDJ枢木って奴が、アイドルみたいなディーバとタッグを組んだらしいっす。そのアイドルと手を混んだら人気爆上がりで、三ツ矢のシーン全体を塗り替える勢いらしいんすよ」
「アイドルユニットってことか……」
 顎に手をやって首をかしげる僕。
「んん? 枢木……?」
 だが、大学生である僕には思い出せない……ような気がする。
 湖山が尖った髪の毛をアンテナのように立てて言う。
「どうも、今日、これからラジオ出演するそうなんすよ、山茶花さん。そのユニットが出演するラジオ、聴きましょうよ」
「いつもはファミレスで打ち上げやるじゃん。いいの?」
「敵情視察がラジオで済むならそれに越したこたないっすよ」
「そんなもんかねぇ。で、そのアイドル歌手の名前はなんていうの?」
「なんだ、乗り気じゃないっすか、山茶花さん」
「そんなんじゃなくてね。ちょっと気になっただけさ。で、名前は?」
 湖山は、大きく深呼吸してから、そのアイドルディーバの名前を僕に告げた。
「ふぐり……神楽坂《かぐらざか》ふぐり、というらしいっす」
「ふぐり……いや、でも。あいつは小鳥遊《たかなし》ふぐりだしなぁ。DJ枢木も、まさか枢木くるるちゃん、じゃないだろう。じゃあ、なぜその名前を使うんだろうか」
「さ。さっそく部屋に戻りましょう」
「そうだね」
 僕は肩をすくめて、
「なにがなにやらだよ、ったく」
 と内面を吐露してしまう。
 今回も奇っ怪な事件であることに変わりはないな。

「うっうー、うっうー! 神楽坂ふぐりちゃんだよぉ~っ! みんな、よろしくねっ!」
「そしてうちがDJ枢木なんよぉ、よろしゅうねぇ」
「うっうー。ふぐりはぁ~、くるるにディーバ、つまり歌姫にならないかってスカウトされてぇ、歌い始めちゃいました! てへぺろ」
「これを聴いてる〈最先端〉のリスナーさんたちはぁ、てへぺろなんて古いと思わないことやわぁ。ふぐりは昭和アイドルの正統なる後継者なんやよぉ。ふぐりぃ、自己紹介頼むわぁ」
「わかったよ、くるる。ふぐり、自己紹介しちゃうもん! きゃぴるん!」
「手短にやよぉ」
「うん。ふぐりの名前は神楽坂ふぐり。くるるとは今、学園都市のステージでライブしてる仲だけど、きっかけはくるるがつくったデモテープにふぐりが歌入れしたことなんだぁ。うっうー。そのデモは音源として売ってるから、みんな配信で買ってねー。サブスク配信もあるよぉ。タイトルは『冬にうたう恋のアルバム』っていうの。ふぐりがくるると一緒にパジャマパーティしながら名付けたタイトルなんだぁ。学園都市のみんなはまだ一学期だけど、一学期が来るその前、冬につくった楽曲が『冬にうたう恋のアルバム』なんだよ! ふぐりが聞いた友達の恋愛話、そのときの冬にうたいたくなるような一番のお話だったから着想を得て作詞された曲なの。だからあえて冬の想いをそのまま乗せてビートアプローチしてるんだよ?」
「デモ音源での、うちたちの馴れ初めの話は恥ずかしいから言わんでよかったんよぉ?」
「ふぐりの紹介をすればいいんだよね、わかったよ、くるる。……改めまして! 神楽坂ふぐり、年齢は17才。趣味はリリアンで、好きな食べ物はフルーツポンチだよ? 特技はハーモニカ! ……そうだなぁ、お母さんとお父さんが住んでいる家のそばにあるアルパカ牧場の草原の上で吹くハーモニカは最高の気分になれるんだぁ。アルパカちゃんたちが聴いてくれる草原の演奏会」
「草原の演奏会。まるでアルプスに咲く一輪の花みたいやね」
「そうだね、くるる! 愛してる!」
「うちもふぐりを愛しとるよぉ」
「来週の水曜日もタイムテーブルにふぐりたち『ソーダフロート・スティーロ』もいるからね。DJイベント楽しんでってね。うっうー! そしてなんと! 三ツ矢八坂神社の〈祇園祭〉にも出演が決定しちゃいましたっ! みんなー、ふぐりたちに会いに来てねー! 来ない子は八坂神社の牛頭天王に折檻されちゃうよぉ~。きゃぴるん」

 ……ざっと、こんな内容のラジオだった。
 聴き終えた直後、僕、萩月山茶花は頭を抱えるのだった。
「あ、あいつら……」
 隣にいる湖山が首をかしげてこっちを見る。
「知り合いかなんかなんすか、山茶花さん?」
「え? あ? いや。うん。なんていうか、違う……。なんでもない」
 僕は口を濁すしかなかった。

 JESTER【道化師】

 昔、王宮に配属されていた役人で、そのなすすべ、いうことの滑稽さで宮廷中を笑わせるのが仕事だった。その馬鹿ばかしさは、彼のだんだらの服が証明している。しかし王は威厳を装っていたので、彼の行いや布告が宮廷のみならず全人類を楽しませるほど馬鹿ばかしいということを世間が発見するには数世紀かかった。道化師は通常フール(愚者)と呼ばれたが、詩人や小説家はいつも喜んで彼を、非凡な賢さと機知に富む人物として描いてきた。現代のサーカスでは、宮廷道化師の陰鬱な亡霊が、世にあったときには大理石の広間を陰気にし、貴族的ユーモア感覚を痛めつけ、王室の涙のタンクの栓を抜いたのと同じネタで、平民の観客を意気消沈させている。

       アンブローズ・ビアス『悪魔の辞典』筒井康隆・訳より抜粋

 バンドマンの朝は早い。
 通常イメージだと昼遅く起きるイメージだろう。
 だが、彼らはバイトに行ったり楽器の練習のため、早く起きる習慣が付いている場合もあって、ザ・ルーツ・ルーツの面々も早起きだった。
 髪の毛をツンツンにセットして、ルームメイトの湖山はキーボード練習をヘッドホンつけながら行う。
 キーボードにはリズムマシンも接続されていて、カウントを聴きながら、演奏する。
 その間に、僕は読書タイムだ。
 取り出すのはアンブローズ・ビアス。
『アウルクリーク橋の出来事』の収録された短編集だ。
 ビアスは〈死〉を見続けた作家だ。
 その、〈死〉と〈諧謔〉を見つめる瞳は芥川龍之介にも届き、芥川が好きな短編の名手である、として日本では有名になった。
 ビアスはまた、自身も行方不明になって、その生涯を終わらせている。
『悪魔の辞典』を書いたせいで、悪魔に憑かれてどこかへ連れていかれたのではないか、なんて僕は思っている。
 そんなアンブローズ・ビアスを読みながら、湖山の打鍵の音を聴く。
 ヘッドホンから漏れ出すクリック音混じりのアナログシンセの凶暴な音が奏でる曲と指運を聴いて、本のページをめくる。
 ザ・ルーツ・ルーツのほかのメンバーは午前中バイトで、午後から大学の講義の日のようだ。
 よくやるよ、こいつたちは。
 ちょうどおなかもすいたし、西口門のいるドーナツ屋でフレンチクルーラーかエンジェルリングを食べながらコーヒー飲もうかな、と思い、立ち上がる。
 僕は湖山の肩を背中からぽんぽんぽんと叩き、部屋を出て行く。
 湖山は、汗だくになって集中していたが、部屋を出る僕に手を振ってくれたのだった。

「マジかよ」
「マジだよ」
「フレンチクルーラー20個に、エンジェルリング20個……?」
「そうだよ」
「おーけい。残したら山茶花でも容赦しねぇ。よくその痩せた身体で食えるなぁ、おい」
「今日は接客なんだな、西口門」
「ああ。生地の仕込みは早朝やったからな。あとは後輩に任せてる」
「ふぅん」
 たらふくドーナツを買った僕は奥の席に座る。
 全席禁煙……だよなぁ、もちろん。
 窮屈になったもんだな、この社会も。
 僕はコーヒーを飲みながら、ビアスの続きを読みはじめる。
 ラッパーの接客ってどんなもんだよ、と思ったが、西口門のリリカルテクニックによる接客はお客さんにも大ウケのようだった。
 まあ、西口門たちは学園都市の〈有名人〉でもあるので、客の入りも上々なのは、当たり前でもある、というか。
 ドーナツ屋は盛況だねぇ、と思いつつ、大量に買ったドーナツを頬張る。
 コーヒーで流し込んでいると、
「向かいの席、よろしいでしょうか」
 と、バリトンボイス。
「ええ、いいですよ」
 僕は言ったあとで、文庫本から顔を上げる。
 顔を見た瞬間、目を丸くしてしまった。
 向かいの席に座ったのは、孤島《こじま》だったからだ。
 孤島。
〈一殺多生〉の精神で生きる、とあるテロリスト集団の……現在のボスだ。
 店内を見渡す。
 空席だらけだ。
 つまり、ここに座ったということは。
「そうですよ。あなたと話が、少ししたくてね、山茶花さん」
 つり目の奥に自信を秘めたその男は、大胆に、不敵に、目の前に現れた。
「お前に用事なんてないぞ、孤島!」
 スーツに身を包んだ孤島は、肩をすくめてみせる。
「あなたになくとも、僕にはあるんですよ、萩月山茶花さん?」
 咳き込む僕。
 危うくコーヒーを吹き出しそうになってしまった。
「そう。祇園祭で花火を打ち上げようというわけですよ……」
「祇園祭? って、神社の祭りのことか?」
「ほかになにがあるというのですか、山茶花さん?」
「三ツ矢八坂神社、……か」
「さて。〈花火〉の内容です。三ツ矢八坂神社の奥の院にあるご神体は、一体なにか。気になりませんか、山茶花さん」
「いや、特に気にならないが。それと祇園祭と、なにが関係あるんだ?」
「山茶花さんがここに潜入捜査される前、頻繁に常陸国が震源での地震が多発していましたよねぇ」
「地震くらいあるだろう、ここ、日本だぞ?」
「常陸国震源の地震の多くが、ここ、学園都市のそばにある神社だ、としても、関係ないと思いますか?」
「関係あるとしたら、それがどうだって言うんだよ」
「疫病神である八坂の牛頭天王。地震によって眠りから覚めた牛頭天王がその疫病を起こし病原体をばらまくなら、地震で避難してる学園都市の、〈この国屈指の頭脳たち〉の上にばらまく、というのはどうでしょうか」
「〈祇園サマ〉がまき散らすのか、生物兵器のプロがまくことのメタファなのかはわからないが、……お前、本気なのか? 介入するってことだよな、この事件に」
「〈玉《ぎょく》〉を取りますよ、僕は、ね。この土地の秩序の証である玉を取ってしまえば、すべては崩壊する。国賊を討つのにもちょうどよくて、ね。利用させてもらいますよ、僕らも、楽しそうなこのパーティに」
「なぜ、それを僕に話す?」
「守ることは出来るかもしれない。でも、〈守り続けること〉の難しさを、案外便利屋であるあなたたち探偵結社の皆さんは知らないんじゃないか、と思いましてね。〈国家鎮護〉のために、この学園都市にどのくらいの予算が割かれているかご存じで?」
「知らない」
「もう限界なのですよ、この国がこの地域に予算を割くのは。だから表の政府は、見殺しにして、学園都市を隔離する予定です。そこに、僕らの〈シンパ〉が、動いてくれた。〈玉〉を破壊すれば、疫病送りである〈祇園御霊会《ぎおんごりょうえ》〉は失敗する。国賊を皆殺しにして、我らが仏国土をこの地に建てます。千年王国、と呼ぶシンパの者もいますね。玉が破壊され、十年前の〈厄災〉が再び起こるそのエックスデーは、祇園祭のその日です。いや、なに、無力感を感じて欲しいだけですよ。そして、僕らの実力をその身で知ってください。ね? 山茶花さん?」
 殴ろうとした、僕は孤島のその顔を、思い切り。
 だが、立ち上がったそのとき、背後から押しつけられている鉄の塊に気づいた。
 僕は、ピストルの銃口を背中に押しつけられていた。
「くそ!」
 棒立ちで拳を強く握っているだけの僕。
 惨めだった。

 その僕の頬に、孤島は口づけをして。
 そして、去っていった。

 自動ドアのガラスが開いて、閉まって孤島がいなくなると、銃口は消えた。
 背中を振り向くと、そこには誰もいなかった。
「畜生ッッッ」
 僕はまた、なにも出来ないで終わるのか!
「祇園祭…………ッ!」
 そこにコーヒーのおかわりを注ぎに来る西口門。
「どうした、山茶花?」
 ああ、知らない、のか。
 知らない方がいい、こんなこと。
 僕は気が抜けたようにどさっと音を立てて、椅子に座り直す。
「コーヒー、もう一杯もらうよ」
 コーヒーを注ぎながら、西口門がさらり、とした口調で言う。
「祇園祭って呟いたよな、今? 今年の祇園祭には、ザ・ルーツ・ルーツもステージに立つぜ」
「ステージなんてあるのか……」
「ああ。今年最大の見せ場だぜ。それに、ソーダフロート・スティーロも出演する」
「ふぐりたちも出るのか……ああ」
 頭を抱える僕。
 最近、こんなんばっかだよ。
「ん? どうした、頭抱えちゃってさ、山茶花。神楽坂ふぐりかDJ枢木にでも恋してんのか? 商売オンナに恋をするのはやめとけって」
「それどころじゃないよ……。お手洗い行ってくる」
「貴重品は持っていけよ」
「ああ。わかった」

 三ツ矢学生宿舎の、共同風呂。
 服を脱いで入ると、西口門と蔵人くんが湯船につかっていた。
 僕と入れ替わりに、ドラマーの錦くんが浴場の外へ出て行く。
 錦くんと片手でハイタッチした僕は、シャワーで身体を流したあと、湯船に入っていく。
「夢物語に出遅れなくて良かったぜ。もしくは、おとぎ話に、な」
 タオルを頭に乗せた西口門がそんなことを言う。
「なにかの比喩表現かい、西口門」
 僕が尋ねる。
「ああ。星に願いをしてたんだ、さっきまで。夜空を彩る想いがおれの前でみんな燃え尽きちまうような、昔はそんな気がしてた。でも、夢物語はおれを置き去りにはしなかった」
 蔵人くんが西口門に返す。
「バンドは、夢物語っすか、西口門さん」
「殴り合いをして生きてきて、ある日突然、親に大学進学だけを目標にされて、無気力になりそうだったおれを救ったのは、この学生宿舎だ」
 僕は湯船で発汗しながら、あはは、と吹き出す。
「口伝《くでん》である魚山流声明を使いこなしてる今の西口門は、求道者だよな。間違いない。前に湖山に西口門が学園都市に入るときの逸話を聞かされたんだが、あれは『今昔物語』の中にある讃岐の源大夫のエピソードに似てるな、って」
「阿弥陀も、ヒップホップも、おれたちのような極悪人であっても分け隔てなく救う点は同じさ」
「功徳……か。学園都市にも良心がある、といいな。それこそ、悪い病も吹き飛ばせるような」
「ははっ。笑えること言うなよ、山茶花。おまえにゃ道化師の才能があるとは思うけどよ、〈衆生済土〉、つまり〈みんなを救う〉ためには、学園都市は浄化される必要があるんじゃないか、とさえ、おれには思えるんだよ」
「ふぅん?」
「不浄の身、宿業に苛まれる身、自戒できぬ身、それら今まで救われないとされていた者も救われるとするのが『浄土門』の優れたところだ」
 ああ、と僕は黙って頷いた。
 言ってることは『山上の垂訓』と似てるように、僕には思える。
 影響関係があるんだな、やっぱり。
 ネストリウス派……か。
 いや、似てるとして、じゃあ、それがなんだって言うんだ?
 日本には大陸経由でマニ教、ゾロアスター教、そしてキリスト教ネストリウス派が入ってきたってのは事実だってわかったし、それを親鸞が〈悪人正機〉の考えをつくるきっかけのひとつとした可能性が大きいのもわかった。
 でも、だとしても、この事件とどう繋がるんだ?
 復古神道の体系に聖書を取り込もうとする一派がいたのも確かだ。
 だが、危険すぎて何度も明治政府に弾圧を受けていて……。
 ん?
 弾圧を受けていた?
 長い二度の大戦が終わったとして、弾圧を受けた信仰を持った者でも、海外の生物兵器のラボから帰国してきていたら……学園都市の頭脳のひとつになるんじゃなかろうか?
 国が違うと難関のひとつになるそのひとつが、宗教だ。
 ドグマに入ったらまず抜け出せないと考えた方が良いが、だが、その国の信仰のドグマを知らないと思考のその論理がわからないのもまた本当だ。
 だから、その道のエキスパートが存在する。
 それはともかく、繋がっている糸を手繰るようにして、ドグマの〈越境〉が可能だとしたら?
 ドグマを越境できる共通の〈敵〉がいるとしたら?

 話を変えよう。
 ひとを殺しちゃいけない、なんてのは本当は大戦が終わったこの国でもなければ習わない考え方だ。
 人類史では、「味方は助けろ、敵は殺せ」がスタンダードだ。
 近くにいるのは味方だから、殺さない、殺させない。
 だが、敵は殺す。
 近代国家は暴力を国家が独占することによって、〈復讐原理〉を克服しようとしたし、ある程度、それは成功した。
 だが、だ。
 ここに敵がいるとしたら?
 つまり、諸悪の根源と見なされているみんなの嫌われ者、孤島の言葉で言うなれば〈国賊〉という怨霊が跋扈しているとしたら?
 将門をよみがえらせてまた十年前の〈厄災〉を引き起こそうとするのではないか?

 自分ら共通の悪である敵を、同盟した正義の味方の自分らが結集して倒す、という〈わかりやすいストーリー〉を用意すれば、とりあえず結束するのではないか?

「……あいつらも、学園都市に滞在してるんだよな」
「黙ったと思ったら、いきなり誰の話をしてるんだ、山茶花」
「いや、とある旧友たちが学園都市にいるみたいだからさ、会ってくる」
「今からか?」
「ああ。それに少し、外の空気でも吸おうかな、と思ってさ。先にあがるよ」
「おう。風邪を引くなよ」
「わーってるって」


 電話で聞いた住所まで街灯に照らされた学園都市の区画を歩く。
 GPSを頼りに行って、到着するとそこは木造二階建てのアパートだった。
 錆びた工事現場の足場みたいな階段を上がって、二つあるドアの左側の方をノックする。
「開いとるでぇ」
 と、中から声がした。
 僕はドアノブを回して、お邪魔しますもなにも言わずに、部屋に入った。

 入るとアロマの香りで満ちていた。
 エスニックな暖簾がかかっていて、そこを抜けると、ソファにどかっと座った小鳥遊ふぐりと、デスクに載せたデスクトップパソコンをいじっている椅子に座った枢木くるるちゃんがいた。
「山茶花、久しぶりなんやから、そんな怖い顔せんどいてぇ」
 苦笑するくるるちゃん。
 僕が口を開くのを制して、ふぐりが口を開く。
「このアパートは、ね。珠総長の家が持っている不動産よ。〈百瀬探偵結社〉の総長・百瀬珠は山の手のお嬢様なのをお忘れなく。でも、別にここが探偵結社の支部かというと、そうでもないんだけどね」
「猫魔は?」
「あのへぼ探偵ならばいないわよ。ここにはくるるとあたしの二人で住んでる。くるるは先に来ていて、『たまつかの坂』のクラブイベントの、レジデントDJとして活躍してもらってるってわけ」
 レジデントDJとは、いつも同じ曜日にレギュラーでプレイするDJのことを指す。
「潜入してたのは僕だけじゃなかったってことか」
「あの探偵がいなくても、解決するわよ、あたし、ふぐりちゃんの手によってね。お茶の子さいさい!」
 部屋の中でもゴス衣装を身にまとうふぐりと、群青色のジャージを着たくるるちゃん。
 対照的だ。
 事務所でもないのにマウスをカチカチとクリックしているくるるちゃんのパソコンの画面を見ると、音声の波形データが映し出されていて、その波形をカットしたり繋げたりしている。
 興味津々で僕が立ったまま観ていると、
「座ればぁ?」
 と、ふぐりが言うので目の前の座布団に座った。
 テーブル越しにふぐりと向かい合う格好になった。
「今、お茶淹れるから待っといてぇ」
 と、くるるちゃん。
「これ、どういうことなの」
「こっちが訊きたいわよ!」
 いつも通り、殴るぞぼぎゃー、と怒る小鳥遊ふぐり。
 相変わらずだ。
「数ヶ月会わなかっただけで、ずーっと会ってなかったような気がするよ」
「どう? 大学生活は?」
「上々だよ」
「教授たちの動向なんて追わないだろうからあたしたちで探りは入れておいたわ」
「どうやって?」
「学園都市の一貫校の女子校にくるるが潜入してて、好きな大学教授がいるのぉ~、とか適当に言っておけば、かなりのデータが入るわ。同時に〈裏政府〉の持ってる情報は猫魔が引き出して常陸市でうんうん唸ってたってわけよ」
「裏政府からも睨まれてる研究者がいる?」
「データ、真っ黒よ。〈市ヶ谷〉ルートも〈赤坂〉ルートも〈桜田門〉ルートでも、ね」
「うひー」
「アンクル・サムおじさんが飛び出してこないようにするのも大変なのよ」
「〈アンクル・サム〉……つまり、米合衆国、のことだね」
 ふぐりと喋り始めるとキッチンに向かったくるるちゃんだが、お盆をトレンチのように持って、テーブルのある部屋に戻ってきた。
 群青色のジャージに、真っ白いマフラーを巻いている。
「綺麗だね、そのマフラー」
 くるるちゃんは笑う。
「これ、違うんやでぇ」
 そこに、マフラーから〈鳴き声〉がした。
「はにゃはら、はにゃはら~」
 動物的というより〈人外のなにか〉の声だ、これは。
 と、すると、この長くてふさふさの白い毛の生命体は一体?
「はにゃはらぁ~?」
 顔をのぞかせて、その白くて長い奴は鳴き声を出した。
 新手のペット……なのか。

「山茶花、これはマフラーやないよぉ。この子はオコジョのほっけみりんちゃんやよぉ」
「オコジョ?」
 そこにふぐり。
「馬鹿ねぇ、山茶花。管狐《くだぎつね》のことよ、オコジョって。管の中で飼う式神の一種ね。竹筒の中で飼って、使役するの、神通力を備えているからね」
 白くて長い、痩せたシルエットの狐、と言ったところか。
 僕が驚いていると、くるるちゃんに巻き付いていた身体を解き、この〈ほっけみりん〉というオコジョが僕の正座している膝の上に乗った。
「はにゃはらぁ~!」
「うふっ。ほっけみりんちゃん、山茶花のこと気に入ってもうて」
 首からほっけみりんが離れたところで、お盆から湯飲みを三つ、テーブルに置き、自分の分の湯飲みを持ってデスクに向かうくるるちゃん。
 三人プラス一匹の、計四つの湯飲み。
 置き終えて、くるるちゃんは作業中のデスクの前の椅子に座って、椅子をぐるりと回し、僕らの方を向いて、湯飲みの中の液体をすする。
「くるるちゃんって、式神なんて使役できるの?」
「うちは飼ってへんでぇ。ほっけみりんちゃんは珠総長の使役している管狐やでぇ」
「はにゃはら! はにゃはら!」
「ほらほら、興奮せんでもええで、ほっけみりんちゃん」
「はにゃはらぁ~?」
 うーむ、この管狐、微妙に可愛くない。
 でも、動物になつかれると、ふにゃふにゃに顔が緩んじゃうものだよね。
 僕はそんなに動物、好きな方じゃないと思うのだけれども。
 式神だっていうけど、総長のペットか。
 破魔矢式猫魔だけが〈ペット〉だと思っていたよ、僕は。

 湯飲みに手を伸ばす。
 すすって、一瞬咳き込んだ。
「……ごほごほ。あ。これ、お茶じゃないじゃんか。お酒入ってる」
「当たり前やで、甘酒なんだから、アルコールも少しだけ入れとるんよぉ」
 くすくすおかしそうに笑うくるるちゃんは、袋詰めされたチョココロネを僕に投擲した。
 片手で僕はチョココロネのパンが入った袋をつかみ取った。
「甘酒にチョコレートたくさん入ったパンか。頭脳が活性化しすぎるよ」
「甘酒にパンは、合うんやでぇ」
「はにゃはら、はにゃはらぁ~」
 オコジョのほっけみりんも大喜びだ。
 パンをちぎってあげてみようかな、ほっけみりんに。
「そんなことはしなくてノーサンキューやでー!」
「はいはい、わかりましたよ、っと」
 対面《といめん》のソファに座っているふぐりが、あくびをする。
「眠いわ。用件を話しなさいよ、阿呆雑用係の山茶花」
「言われなくとも!」
 ほっけみりんが背を伸ばし甘酒をずずずー、っと飲むのを横目で見ながら、僕は話しだした。
 これまで得た情報を、僕はくまなく二人に話す。

 それを聴いていたふぐりは、僕が話し終えると、これは重要なことなんだけど、と前置きして言った。
「祇園祭は〈祇園御霊会〉の〈儀式〉なんだけど、これが失敗すると、もれなく〈この国が滅ぶ〉んで、よろしく! つまり、祭りが中止に追い込まれても、八坂神社の奥の院にある〈ご神体〉が破壊されても、ゲームオーバーってわけ」
「は? 滅ぶ? 日本が、滅ぶ?」
 きょとん、とする僕。
 ここに来て、あまりに新事実すぎるだろうが。
「滅ぶわよ、確実に、よ。あたしたち〈ソーダフロート・スティーロ〉は祇園祭で歌を捧げるの、天にいまし存在に、ね。この演奏は阻止されないようにしなきゃいけない。また、客が押し寄せる祭りのさなかに〈ご神体〉を破壊しようとする輩がいるわけ。孤島たちね。そいつらに破壊されたら〈疫病〉と〈地震〉が襲ってくる。表の政府は隔離政策を取ろうとしてるけど……ダメでしょうね」
「この国、こんなことで〈滅ぶ〉の?」
「将門の怨霊は本気で国を滅ぼすわよー。十年前の〈厄災〉を忘れたの? それに、滅びたら海外の日本嫌いの方々も大喜びするし、協力は惜しまないわね。 一大ミッションよ、これ」
「えーっと」
「蔓延る土蜘蛛を撃退しつつ、祇園御霊会を成功させるわよ! この国が滅びないようにねっ!」

 それにしてもあんたの集めた情報。
 空回りの空振りだったってわけでもなさそうね、山茶花。
 だけど、かなり錯綜してるみたいね。
 整理して、一本の線に還元しましょうか。
 あんたのためってわけじゃないけど、こんがらがってると支障を来しそうだから。
 祇園御霊会の成功のためってだけでなく、あんたの阿呆な思考がこんがらがってたら、解決できるものも情報の錯綜で邪魔されちゃって、解決できないことが起こるかもしれない。
 支障というか、あたしたちの邪魔にならないようにしてほしいってわけ。
 わかった?
 この唐変木。

 絶望に絶望してる暇なんて、あたしたちにはないのよ。
 数ヶ月を無駄に過ごして任務失敗したら、未来はないわよ。
 明日も青空を見たいでしょ、星空だって見たいでしょ?
 そのために、情報を整理するわよ。
 この国が滅びるかどうかが決まるパーティ。
 滅亡へと繋がる瀬戸際のパーティが始まる、その前に、ね。

 軍事研究のため、祇園サマ、すなわち牛頭天王の〈ご神体〉である〈玉〉の、疫病神としての機能が現在、利用されているわ。
 病気を起こす生物兵器のプロトタイプを、学園都市に住む研究者たちが祇園の〈玉〉を依り代にして、呪術的に利用している、ということね。
 その呪術作用によって瘴気の磁場が生まれ、交通事故が多発したり、ここ震源で地震が起きている。
〈玉〉を利用しているうちはいいけど、政府はこの実験の予算の打ち切りを決定した。
 実験のサンプルは採れたから、〈玉〉の呪術作用に耐えきれず学園都市が壊れたら、学園都市を封鎖、隔離して蓋を閉めて終了、と政府は考えている。
 政府のお偉いさんにとっては国家鎮護が重要で、自分らは採ったサンプルを元にした〈呪術〉で極楽浄土への道を開き、ここ、常陸国の学園都市を八大地獄にも似た〈穢土〉とし、犠牲になってもらおうとしている。
 MC西口門が言う、権力と既得権益が生んだ〈堕落〉と〈腐敗〉というものの帰結が、これにあたるわ。

 御座《みざ》に鎮座する〈あの方〉の取り巻き、つまり政府の連中は、テロリスト・孤島の組織にとっては大抵〈国賊〉扱いなの。
 孤島の組織にとっては、だけどね。
 だから、ご神体である〈玉〉を破壊すること、つまりその調伏を反転することによって、今の政府をひっくり返すつもりなのね。
 日本という国が気に入らない外国の連中や、さっき話した生物兵器の研究をしていて海外にいた連中は、孤島のシンパ、つまり協力者、内通者になっているの。
 孤島は国賊を倒す契機が欲しいし、海外のシンパは日本が潰れて欲しいし、出戻りの研究者たちは現政府が潰れて欲しい。
 この三者の考えは全く違うことを意味するわ。
 でも、繋がりがある。
 その上、自分らのために実行するミッションは同じ。
 それは三ツ矢八坂神社の祇園祭を壊し〈祇園御霊会〉を失敗させることと、ご神体である〈玉〉の破壊。
 隔離政策の無効化。
 日本という国家全体の破壊。
 破壊後にやってくるのは〈選ばれた民のみが入れる王国〉ってわけ。
 祇園祭には、一番力を持つご神体だからこそ、破壊するには祇園祭のときじゃないとならない。
 孤島が言ったという『疫病神である八坂の牛頭天王。地震によって眠りから覚めた牛頭天王がその疫病を起こし病原体をばらまくなら、地震で避難してる学園都市の、〈この国屈指の頭脳たち〉の上にばらまく、というのはどうでしょうか』ってのは、最大限の〈皮肉をこめた言葉〉ね。

 国内外の軍事部隊は、百瀬探偵結社の東京支部にいる舞鶴めるとと、百瀬珠総長が指揮して、殲滅をはかっているわ。
 祭りが制圧されることはないし、もちろん一般のひとたちは知らない。
 奥の院は相当、その手の〈異能力者〉でもなけりゃ近づけないようになってる。
 十年前の〈厄災〉で、将門の力にやられたからね。
 と、すると、術者である人間がやってくるわ。
 孤島自身がけりをつけにくる可能性が大きいわね。

 そういうことで、一番輝いているときの〈玉〉が潰されたら疫病が爆発的にこの国を覆うわ。
 そうなったらジ・エンド。
 いいかしら?
 あたしたちは、このミッションをクリアするためにここにいるの。
 このふぐりちゃんでも冷や汗をかくこの事件、どうにかするわよ。
 わかった?
 この阿呆雑用係?
 でもね、大切なことなので二回言うけど、このふぐりちゃんの手にかかれば、お茶の子さいさい!!



つづく!!


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