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2024年2月28日 『潜行三千里』を調べる②

辻さんはなぜ潜ったのか

戦後、
辻さんとも交流のあった軍上層部の方達が
戦犯として処刑されていく中
辻さんは「潜行」を選びました。

そのことについて、当時からすでに
「死ぬのが怖くて逃げ回っている」と言われ
ご家族が迫害の憂き目を見ていたようです。

『潜行三千里』には、
潜行中、奥様から手紙が届いたエピソードへの
ご本人の言及があります。

(前略)
妻のたよりをもたらした。全く四年ぶりである。
わずかに糊口をしのいだ涙の痕が紙面にまでもにじんでいる。
最後の結びに「万一の場合はさすがに辻だといわれるように、
子供たちに恥ずかしくないように立派に死んでくれ」と書いてある。
妻に死ねと教えられるほど、
敗戦後腹も切らずに潜行していることが
平素の言行と一致しなかったのである。
戦犯を逃れるために、命を惜しんで潜ったものと
人に笑われ、妻子がひけ目を感じていることは察するに難くはない。
このことを十分覚悟しての潜行三千里の旅であるが、
卑怯者とののしられることの苦痛を、
これ以上まだ忍ばねばならないのだろうか。

『潜行三千里』240p

辻さんについてなんの先入観もなかった頃に
後年の評を聞くと、
いろいろと悪様に言われているのが目立ちました。
酷評の書き様をみると、
公を私して私腹を肥やしていたかのような印象を受けたのですが、

彼の人生から
「自らに自分の正当性を証明するための清廉潔白さ」
を感じとっている今の私からすると、
卑怯者というレッテルを貼られる屈辱は、
辻さんにとってもっとも不本意なことだったろうと思われます。
それを覚悟の上でも「潜行」を選んだのはなぜなのでしょうか。

『潜行三千里』では、終戦を告げる玉音放送の以前から、
辻さんが潜行を決意する経緯が綴られています。

ラジオの前に

8月6日、広島に第一の原子爆弾が投下された。
詳しくは判らないが唯の一発で軍都広島が潰滅したらしい。
いよいよ最後の危機が訪れた。
8月9日、軍司令部で各部隊の会合が行われ、
危機に応ずる軍の態度について最後の訓示と会報が行われた席上、
突如として報ぜられたものはソ連の宣戦布告である。
「群敵を撃摧げきさいして皇統を護持せよ」との
陸相の訓示に引き続き、
関東軍が兵力を南に退けて朝鮮を防衛しようとする
企図が正式に伝えられた。
タイ国が寝返るとせばまさにこのときである。
緊急配置につく軍命令がただちに即席で伝えられ、
各兵団、各部隊は間髪を容れず、
かねて準備した陣地にその夜粛々として入った。

潜行三千里(2019年版)  26〜27p

当時の状況を詳しく知ると、改めて認識するんですが
戦争をやめるという知らせが届くほんの直前まで、
日本は戦場だったんですよね。

辻さんにとっては「終戦」もまた、
常に先方で控えている乗り越えるべき逆境
という認識だったのかもしれません。

12日の夜、同盟通信の支局長が蒼白な顔をして参謀部に悲電を伝えた。
「日本政府はポツダム宣言を受諾中」との外国通信をキャッチしたのである。
この上は東京に行って善後処置を講ずべきであるとの軍の総意を体し、
僭越を顧みずサイゴンの総司令部に出頭した。
総参謀長は、「それは総軍の任務である。櫛田高級参謀が明日上京する」
との返事で軽く一蹴された。
その夜、林秀澄大佐としみじみ語り明かした。
原子弾の恐るべき威力と、抗命持久の前途とを冷静に申告に再検討し、
退いて再建のため大陸に潜ろうと決意した。
個人の面子メンツや感情で断じて軍の方向を決定してはならぬ。
軍は批判を抜きにして唯大命に随順し奉ろう。
民族永遠の歴史を思えばこの屈服もまた受けるべき試練である。
禍を転じて飛躍の踏み台にしなければならぬ。
15日正午、陛下のラジオ放送があるとのニュースが待ち構えていた。

潜行三千里(2019年版)   27p

ワーカーホリックのときは、
仕事がないと不安で
常に仕事を探している状態になるし、
せっかく仕事を見つけても
取りかかるとき人に先を越されたり、
誰かに分配されると
ちょっとガッカリするんだよな

と、我が身に照らして
突如「戦場」が終わってしまった辻さんの心情を慮ってみます。

腹かき切ってお詫びするのが武士道である。
無条件に武装を解き、連合軍の命に従うことが陛下の御心である。
臣子の本分がある。
信を再び中外に失うようないかなる行動も大御心ではない。
はらわたを千々に裂かれるような苦悶の後、
一人で大陸に潜り、仏の道を通じて日タイ永遠のくさびになろうと決意した。
この行動がもし大御心に背くとしたらその罪はいずれの日にか…。

潜行三千里(2019年版) 28p

当時の辻さんも、
どうにか「戦場」を続けようとしていたんじゃないかと
想像します。

日本国内では徹底抗戦派の若手参謀たちによる擾乱があったが、
(辻が配属していた)バンコクの十八方面軍は
緩やかな慣性に流されるようにその日を迎えた。
8月15日正午、司令部の地下室に玉音放送が流れた。
幼年学校入学から数えれば、約30年にも及ぶ軍人人生が終わった瞬間でもあった。
この時、辻は42歳。
「申しわけがない。私も太平洋戦争を主張した一人だ。
 その結果が民族を破局に…腹を切ってお詫びするのが武士道の教えだ。
 無条件に武装をとき、敵の命に従うことが陛下のお心である」
(『潜行三千里』1957年版)との心境だったと後年回想録に記している。

辻は打ちひしがれたのか。いや、そうではなかった。
なぜなら文章はこう続くからだ。

 腸を千々に裂かれるような苦悶をこえて、一人で大陸にもぐり、
 アジアの中に民族の再建をはかろうとの決意を固める。
 その行動がもし大御心にそむく結果になったら、
 その時こそ笑われないように腹を切ろう。(同前)

潜行生活への決意を語る。まさに意気軒昂。

前田啓介『辻政信の真実』

前田さんによる『辻政信の真実』の続きでは、
辻さんが周囲の人の目にどう映っていたかが
よくわかります。

辻の陸士の同期である閑院宮春仁王かんいんのみやはるひとおう
(戦後皇籍離脱し、閑院純仁)が
辻について記した論評は、正鵠を衝いている。

 かれは大尉時代から、ある程度全陸軍を引き摺った傑物である。
 私はあるときかれに向かって
「お前のいう大御心とは、陛下の大御心ではなく、辻の大御心だ」
 と言ったことがある。
 かれは辻自身の大御心をもって、陸軍を動かしてきたのである。
 かれは決してあえて不忠をするような男ではない。
 しかし自己意識過剰が、かれの本心に反して、
 真意とは逆な結果を呈して、実はそれに気づかないのである。
 陸軍の俊才には、往々こういう人が少なからず存在したが、
 これは陸軍のため、また国家のため不幸であった。 
               (閑院純仁『日本史上の秘録』)

前田啓介『辻政信の真実』

陸幼時代に猛勉強して「正解」を叩き込んだ弊害かもしれないな
と思いました。

自分の外側にある「正解」を頭に刷り込んで大きく(偉く)なった人は
成功体験を重ねて、自分がそれをマスターしたと思うと、
自分の感覚が本来外側にある「正解」と完全に同化しているという
錯覚を持つんじゃないでしょうか。

そのうち、自分がその場その場で受け取る感覚を
「正解」だと判断するようになって、
本人は常に「正解」を選んでいるつもりなのに、
その実、個人的な意向でしかない選択をしている状態に陥る。

自分の経験に馴染みがないというだけで
他者の特色を「へん」「非常識」と決めつけるのも、
この状態と似ていると思います。

辻さんのもつ危うさは、
「刷り込み教育」のクセみたいなものが底流している、
いまの時代にも見受けられるように思います。

理想に向かう先で自分についた嘘

私は、追悼法会に向けての調査のために
辻さんのストーキングを始めました。
彼が成仏するための着眼ポイントとして

「彼には理想があった。
 だが、その理想に近づいていくとき
 彼自身に無意識についている嘘があった」

というヒントをいただいていたのですが、

無意識のうちに自分についてしまう嘘…
つまり、本当の感覚と建前を並べる頭とのズレ
がなんだったのかを考えようとすると、
この「辻の大御心」に関係があるんじゃないかと思います。

理想にまっすぐな正義漢というキャラクターが
彼の自己イメージなのかな、と想定しているのですが

なんというか、

「自分が生きるために」戦場を終わらせたくない
という気持ちと
「人生を捧げて国のために」戦ってきた
という自負との自家撞着

みたいなものは抱えていたんじゃなかろうか
と思うんです。

でも、それなら
国のために働いて戦場で死ぬという一挙両得の失踪を
ちゃんとやってのけたのだから、
無念はないようにも思える。

私は辻さんをちょっと英雄視している節があるので
なにか必要があるから、それを「伝える」ために
現れたのではと勘繰っちゃうのですが

「これまでやってのけてきた」というプライド
へのこだわりが
悲鳴を上げる老体に鞭打つことになったという事情も
ありうるよな、と思えます。

私がお世話になっている山寺の住職さんが
タイへ慰霊の旅にでられているのですが、
タイ•バンコクは住職さんが辻さんと最初に出会った場所で、
辻さんが『潜行三千里』の一番最初に潜伏した場所でもあります。

潜行のルートをなぞれば
当時の事情を少しは理解できるのではということで
辻さんの潜行を追ってみようと思います。

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