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【映画感想】「JOKER」を真剣に観る

※本記事は、ネタバレに一切配慮しておりません。
NGな方にはこちらの素敵な音楽をどうぞ。

フランク•シナトラの「That’s life」
この度、私のお気に入りの一つになりました。

「JOKER」とは

DCコミックス「バットマン」シリーズに登場するヴィラン、ジョーカー
をベースとした、2019年のアメリカのサイコスリラー映画。

監督:トッド・フィリップス
脚本:フィリップス、スコット・シルヴァー
主演:ホアキン・フェニックス
他、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイらが出演した。
R15+指定。

本作は、「DCエクステンデッド・ユニバース」をはじめ、
過去に製作された「バットマン」の映画・ドラマ・アニメのいずれとも
世界観を共有しない、恐らくマルチバースの関係にある完全に独立した映画である。
ジョーカーの原点を描いた内容ではあるが、
本作以前の映像作品に登場している、どのジョーカーの過去でもない。

公開時のキャッチコピーは「本当の悪は笑顔の中にある」

Wikipedia参照

個人的に、これまでまったくアメコミとは縁が無く、
バットマンのこともサッパリわかっていないのですが
Youtubeのオススメに上がってきたトレーラーに惹かれて
拝見いたした次第です。
「悪のカリスマ」という先入観がなかったので
ふつうに「孤独でにっちもさっちもいかない状況の男性」の話として
感情移入して観ました。

この映画で描かれるジョーカーは、「悪のカリスマ」ではなく
「悪のインフルエンサー」なんですって。
かく言う私も、
しっかりジョーカーに共感して、感傷的になってしまっています。
あぶねぇあぶねえ。

❗️これより先は、「ネタバレ構わん」という方のみお進みください。

ストーリー

舞台は1981年のゴッサム・シティ。
大都市でありながらも、財政の崩壊により街には失業者や犯罪者があふれ、
貧富の差は大きくなるばかり。

そんな荒廃した街に住む道化師、アーサー・フレックは、
派遣ピエロとしてわずかな日銭を稼ぎながら、
年老いた母親ペニーとつつましい生活を送っていた。
彼は、発作的に笑い出してしまう病気のために
定期的にカウンセリングを受け、大量の精神安定剤を手放せない
自身の現状に苦しんでいる。

それでもアーサーには一流のコメディアンになるという夢があった。
ネタを思いつけばノートに書き記し、
尊敬する大物芸人マレー・フランクリンが司会を務めるトークショー
が始まれば彼の横で脚光を浴びる自分の姿を夢想していた。

しかし、偶然居合わせた暴漢を射殺したことから、
アーサーの日常は大きく変わっていく。

Wikipediaに少し手を加えています

なぜ共感できるのか?

自分の中に起こった感覚として、気になっているのが、

アーサーがマレーの頭をぶち抜いたとき、
「でかした」感があった事です。

本来、実際に起こればそれは「しでかした」ことなんですが、
あの場面では、すっかりアーサーに感情移入してしまっているので
「ようやく解放された」
といった感覚になったんですよね。

私が感じている主人公への感情移入は、だいたい
第一印象から入り、
物語が進むにつれじわじわと染み込んでいくのですが、
彼、冒頭からずっと踏んだり蹴ったりなんですよ。

不遇の人

仕事としてやっていた道化師も、
ストリートチルドレンの悪ふざけで邪魔をされて
車には撥ねられる
若者たちには殴られる、蹴られる
依頼主からは怒られて弁償を求められ
しまいには同僚の罠で仕事を辞めさせられる

面白くもないのに笑ってしまうのを
母やオオヤケからは精神疾患と言われていて、
カウンセリングと薬で、日々を凌いでいる。

ホアキン•フェニックス演じるアーサーの
「笑い」の発作は
なんだか、うまく泣けない彼の慟哭に見えました。

加えて、マレーを殺害したあと、
カメラに向かって何かを言おうとしたところを
ブツっと切られてニュースに切り替わる演出も
不遇感が漂ってるなと思いました。

アーサーは一貫して、「不遇の人」として描かれている。

それまで彼が善良であり続けたのは、
彼を「ハッピー」と呼ぶ、母から言われた
「笑顔を絶やすな」を守ってのこと(だと思います)。

以下参照↓

生きづらさの原因は、抑圧された怒りにある
と聞いたことがあります。

彼はずっと、自分のために怒ることもできなかった。

マレーに銃を向けた時、はじめて怒りを爆発させたんです。
あの解放感は、ここから来ているのかもしれない。

やっと、怒れた。
そんなかんじ。

きっかけは自己防衛


一番最初に銃を使ったのは、たぶん正当防衛だと思うんです。
ストリートチルドレンからの暴行を
無抵抗で受けるしかなかったアーサーを見ているので
3人の酔っ払いに絡まれたとき、
その二の舞を想像するのは容易かったです。

そんな、身の危険を感じる状況にあって、
助けてくれる人はいない。
そして、手元には一丁の銃がある。

成り行きに身を任せた結果、ああなったんだと思いました。

親愛する人々からの裏切り


ずっと過酷な状況にいるアーサーですが、
一番、救いが無いと感じたのは、
母親の言っていたことが全て偽りだったということ。
しかも、それは母親自身の、ただの自己愛的妄想によるものだった。

母親は幼いアーサーに大きなハンデを負わせ、
更には数十年にわたって彼女の妄想に縛り付けてきていた。
でも、それに対して
アーサーが素直に怒りをぶつけられるだけの器量は、
彼女には無い。

何より、怒る事をその母親に封じられてきている。

やり場のない怒りと、やるせなさを感じます。
…アーサー、しっかり彼女のことも殺すんですけど。

彼が、そのときつぶやいた言葉

「人生は悲劇だと思ってた。
 だが、いま分かった。僕の人生は喜劇だ」

JOKER 母殺しの場面

チャップリンの名言が思い浮かびます。

人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇。

マレー•フランクリン•ショーで、アーサーが言っていたのは、こう。

僕の人生は喜劇だ。もう自分を偽るのは疲れた。
喜劇なんて主観さ
みんなだって、社会だって善悪を主観で決めてる。
同じさ、自分で決めればいい。
笑えるか、笑えないか。

アーサーはどういうつもりでこう言ったんでしょうか。

トーマス•ウェインのインタビューを聞いて笑ったアーサーが
母親に窘められるシーンが思い浮かびました。

周りからは何が面白いの、と言われるようなことが、
自分には面白い。だから笑っていた。

これまでの「精神疾患」を、そう捉え直したのかもしれません。

面白くもないのに笑ってしまう病気じゃなくて、
僕は、周りから面白くないと言われる事を、面白く感じていたってだけ。

…憶測ですけど。

物事は受け取り方次第だから、極力面白がろうってスタンスは好きです。
…この解釈で合ってるかは不安ですけど。

ずっと、周囲からの評価(世間の目や、「普通」という言葉)
に苦しめられて来ていた、ということかもしれませんね。

アーサーが
「自分がどう感じるか」を抑えつけられている状況にいるのは、

母からの「笑顔を絶やすな」や、

ネタ帳への書き込み「心の病を持つ者にとって最悪なのは、世間の目」

カウンセラーへの「僕の話聞いてる?」

で伝わってきます。

失望から行われた復讐


母親、マレー、カウンセラーさん…
アーサーが殺した人たちって、
ほとんどが善良だった頃に心の支えにしていた人たちなんですよね。

同じアパートに住んでいた女性、シングルマザーのソフィー・デュモンさん。
あの方の安否が不明なんですが、救急車(パトカー?)が来てるのが不穏なんですよね…
え、なんかした?ってなります。なんかしてそうな気もします。

アーサーが復讐しなかったのは、
もと同僚のゲイリー(こびと)さんだけじゃないでしょうか。
実際の親密度はさておくとしても、
彼だけが、アーサーを失望させなかったということかもしれません。

マレーやソフィーさんなど、事実上他人の人たち
(アーサーを癒した記憶が、彼の妄想でしかなかったので)
には、とんだとばっちりでしたけど、
アーサーの主観で見ると、
数少ない心の拠り所との絆さえ「そもそも存在していなかった」ことには
絶望しただろうなと思います。

悪のインフルエンサー映画

と、まあ、殺人鬼にすっかり共感させられる映画でした。

世間さまとか、同調圧力とかとの折り合いに悩んだり
理不尽な出来事にやり場のない怒りを抱くことは
生きていれば誰にでも起こることなので、
その部分に、

思うようにしていい。決めるのは自分だ

ということを宣言してくれるジョーカーの姿が、

うまく刺さるのかな、というのが私の考察になります。


以上が、私の「JOKER」を観た感想です。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!

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