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【◯-Salon(わのさろん)ってこんなとこ】 ◯+(わたし)のストーリーが生まれる場。

◯-Salonわのさろんは、
◯から何が生まれるかが見てみたくて
開いた「場」。

◯は、
何も足さない、
何も引かない、
ゼロであり、
原点であり、
ウラもオモテもない

ありのままのすがた。

胎児姿勢にも通じる、
生命のかたち。

「◯から生まれるなにかを見たい」

そういう想いをもって
◯-Salonを提供されているのは、
高田紗妃さきさん。

全くなにもない状態から、なにが生まれるか。

まったく行き当たりばったりな私の場合は、

思いがけず八日間、
ひとんちに住み着く家守ヤモリになったわけですが、

さきさんは、
その「生まれたもの」を面白がってくださった
んじゃないかと思います。

満月の晩、
「はじめまして」ということもあり
いろいろとお話しする中で、
さきさんのされている活動について、
インタビューまがいのことをさせていただきました。

そこに至った経緯や、
想いなどをうかがうことができました。

一人一人の身体の内にある力を知ってほしい


さきさんは現在も、
「野口整体」を学びながら実践されていらっしゃるので
必然かもしれませんが
お話を伺った時、野口晴哉さんのことが思い出されました。

【治療ではなく、体育を】

私は昔、この整体操法
(人間の体の中にある元気を喚び起こすための技術)を
治療法として使っておりました。
よく治るという評判で、
操法を受けたいという人が非常に多くなりました。
しかし、それはみんな
治療術として求めてきた人達でした。
………
 (自分が)次第に上手になり、
 相手が早くよくなる程、
「いざとなれば野口先生の所に行けばいい」
とズボラになるばかりか、
自分で自分の体を保つことを忘れて、
私の所へ来なければ丈夫になれないと
思い込んでしまう。
………
こういうことを繰り返していたのでは、
人はだんだん生きることに不熱心になり、
自分の体を人任せにして、
他人の力ばかりを頼って生きることになる。
しかも、私の周りにいる
何百人か何千人かの人だけしか丈夫にならない
ということになると、それでは困る。
誰もがみんな丈夫にならなくてはならない。
それにはどうしたらいいか。
………
それには、
一人一人が自分の生きている力を自覚する。
自覚して、それを発揮するように
誘導していくことが本当だと気がつきまして、
治療術という面を全部捨てたのであります。

『整体法の基礎』第一章 技術以前の問題 四頁より


多くの情報が錯綜する世の中、
発信者が自分を売り出すための
「できる私が、できないあなたを助けてあげる」という
言外のメッセージが横行するうちに、
多くの人が受け身になってしまったのでしょうか。

私も、自分という主体を持たなかった子供の頃は、
自ら動くという発想自体、
欠落していたように記憶しています。

自分の力から隔離された心許なさを抱える人にとって、
「自分の内にある力」を知る機会は、
生きる自負につながる、重要なものになると思います。

さきさんの用意される「場」には、
自身に内在している力と向き合い、
その動きに身を任せられるような安心感がありました。

私の中に内在する力と、その表出による流れストーリー

「◯から何が生まれるか」を見てみたい、
というコンセプトで開かれた場で過ごして、
自分なりに見えてきたものを表現してみると、

今回ここから生まれたものはきっと、
「わたしのストーリー」なんだろうと思います。

さきさんという鏡、
布という壁、
「◯-Salon」と京都の街という場
を通して自分を発見し、
八日間という時間の中で醸成されるものを感じ、
最終日には、それまで抱えていたものに対して
腹を決めることができたと感じています。

◯に他者がされて「わたし(◯+)」になる。


そう感じた八日間でした。

2024年8月31日 拝


知る・学ぶ・会いにいく・対話する・実際を観る・体感する すべての経験を買うためのお金がほしい。 私のフィルターを通した世界を表現することで還元します。