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開巻有得〜「影の投影」を知る〜
「読書はためになるなあ」というお話です。
今回、考え始めるきっかけになった本はこちら。
私の頭の中では、時たま「敵」が現れて、
私の闘争心に火をつけてくれます。
彼とは結構長い付き合いでした(今は鳴りを潜めていますが)。
敵は思慮が浅く、
彼自身が一時的優越感の得るためだけに
他者を批判するキャラクターをしていて、
私に「お前に何がわかる」と思わせるのが得意でした。
ゆえに、私には
「浅慮で、自分の善性に酔うために
他者に“悪”を押し付けて攻撃しようとする」(ように見える)輩を
悪役にして殴ろうとする習性があるんだと思います。
この延長からか、「悪」に反応することがあります。
大学生くらいの時に中島義道氏の『悪について』を読んで、
まえがきに強い共感を覚えました。
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他者を批判することで安心していないで、
日々「自分がどうか」を真剣に顧みていないと
いつだって自分が加害者になりうる。
加害者=「悪」は、「気を抜いているやつ」だ。
私にはこういう頭があるんだと思います。
誰かに、自分が一番我慢できないと感じる人間のタイプを
描写させてみるとよい。
彼は、自身の抑圧されたパーソナリティを語り始めるはずだ。
その自己描写は、完全に無意識的であり、
それゆえに、いつでも、どこでも、
誰か他の人からその影響を受けているかのように
彼を責めさいなむのである。
概して、シャドウは同性に投影される。
同性の他人の中に見られる大嫌いな性質を
正直に見つめることによって、大きな洞察を得ることができる。
…
平和主義者は、彼自身の中に弱いものいじめの部分を含み、
また英雄は臆病者を自らの中に含むのである。
…
しばしばシャドウは、個人だけでなく、制度あるいは宗教に投影される。
この現象はすべての、
狂信的な、またイデオロギー的な憎悪がみられるところに見うけられる。
シャドウと自我は、一緒になって全体を構成するのであり、
その全体は、我々がすでに見たように、
必ずしも完全無欠ではない。
しかし、それは完結しているのである。
我々の意見はすべて、それが高い感情価を含むとき、
疑わしいものとなる。(シャドウの投影かもしれない)
これまでにも、ちょくちょくこういうことを書いていました。
毎日投稿することを目指して、
断片的な「思うところ」を言語化しているうちに
連続投稿66日目を迎えました。
いまの私にとって
物を書くということが何になっているかを考えると、
「自分の意見を醸成させる」こと
というのがしっくりきています。
2024年2月5日 拝
知る・学ぶ・会いにいく・対話する・実際を観る・体感する すべての経験を買うためのお金がほしい。 私のフィルターを通した世界を表現することで還元します。