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「嫌い」という感情は悪者にしなくていい

あまり人を嫌いにはならないのですが
「この人からは離れよう」という人はたまにいます。
基準は「この人といると自分の性格が悪くなりそう」な人です。
人には、その人の生きて来た歴史があるので、
それを直せというのはこちらの傲慢。
指摘する必要もない。ただ、静かに去って行くだけです。

安田登さんのつぶやき

先日、こちらの記事で「嫌いな人」への
熱烈なラブレターを書いてしまいました。

「あんたのことなんかこれっぽっちも気にしてないんだからね」
というスタンスで離れながら、しっかり引きって、
しっかりエネルギーを使って格闘していたことを告白してしまいました。
ああ、恥ずかしい。

今回、再び筆を執ったのは、
今朝(2023/10/6 7:30)起床一番に、
冒頭にある「つぶやき」の通知が目に入ったからです。

この方の著作が好きで、フォローさせていただいておりました。

Twitterが突如、謎の「X」に変わったのにびびって以来
心が離れてアンインストールしちゃったので
今は見られませんが…

「この人といると自分の性格が悪くなりそう」なら離れる

そして、人にはその人の生きて来た歴史があるので、そこは尊重する。

私もこのスタンスで生きているつもりだったんですが、
自分自身の「影」がつつかれるとこうも感情が動くものなんですね。
私ってば、チョーカァイイ(棒読み)

まぁ、自制心はありましたから、
対象の方に何か攻撃を仕掛けたことはありません。
…悲劇のヒロイン的世界観に付き合ってられなかった
と言った方が正しいかもしれませんが。

むしろ、仕事で協力する必要があるからと、
そのかたの繊細なプライドへの取り扱いに
色々と気を遣っていたと思います。
…これが自身の感情への抑圧になっていたのかもしれないと、
今になって思いますが。

ともあれ、先方からしたら
静かに離れていった人から
離れた場所で静かに憎まれているというだけ
だと思うので、
似たようなもんだと思うことにします。


「猛烈に嫌い」になるのは自分を許せていないから


「嫌いな人」は自己の投影なんですって。

人間は我慢して生きていると、
「私は我慢してるのに、コイツ、のうのうと…(怒)」
って思っちゃう生き物らしいです。

これまでの私が嫌いになっていた相手は、おおよそ
「自分の気持ちや快不快にばかりフォーカスして、
 周りの人の状況や心情を慮っていない状態にいる(ように見える)人」
だったと思っています。

そのころは、私自身が
自分に「周りのニーズを汲み取って動き回っている状態がベスト」
「それ以外はNG」「できていないのなら明日あす改めよ」
「自分を優先するのは烏滸がましい」みたいな制約を掛けて生きていたので、「消費者意識」とか、「批評家精神」とかも嫌いだったんですよね。

自分と同じような立場の同僚から「(誰かが)〇〇すべき」「(誰かが)〇〇していない」みたいなリークを聞かされると、それを言っている本人に「厚かましい」という感想を抱いていました。

”当事者こそ至上である”みたいな価値観で、
「〇〇すべき」とか言うだけ言って
誰かが動くことを待っているタイプの人は、
「お客さま(皮肉)」だと思っていました。

自分の体が発する警報のようなものを無視できなくなって
嫌な感じがする場所を離れ、
ここ二年くらいをかけて
自分の居心地の良さを最優先することを続けた事で
ようやく、この「こだわり」から脱け出すことができたと思います。

私自身が自分の快不快を優先することを選んだので、
「もう人のこと言えねえなぁ」って感じですね。

すっきりした気持ちでいます。

多分、こう言うことなんだと思います。

自分の欲求によく耳を傾けて
自分自身のことをしっかり大事にしていると

周りの人から何かしらの働きかけを受けても
境界線が引けているので、嫌なものを受け取らずに済む

人を嫌いにならずに済む方法

私、子供のころ
周りの様子を伺ってキョロキョロしている
のがすごく嫌だったんです。

だって、疲れるんですもん。

そういう環境に身を置くことになった時は、
一刻も早く落ち着きたいと思っていました。
だから本を読んだり、絵を描いたりすることに
没頭していたのかもしれません。

周りに影響を受ける疲労感から逃れたくて
自分の世界に没頭してたんですけど、
社会に出ると、今度はその分、
「周りと噛み合わないことで受ける」ストレス
が発生するようになったんですよね。

もう逃れられないストレスに耐性をつけるために、
周りと噛み合うトレーニングとして
あえてキョロキョロし出すようになったんだと
今となっては思います。

「嫌い」を悪者にする必要はあるのか。


ここにきて思い当たったんですけど、
「嫌いになる」って、

「関わっているとエネルギーの消耗が激しい(疲れる)」とか、
「この人と一緒にいることで向かう方向に行きたくない」とか
の警報
なんだと思うんです。

よほど強烈であれば、
「自分を大事にできていないサイン」かもしれません。

エマージェンシーですよ。
望まない状況を避けるために必要なものです。
むしろアンテナをちゃんと立てておくべきものです。
そうしてないと危険なんだから。

…と、
他人を激しく嫌っていた自分への羞恥心を
吐露するつもりで書き始めたこの記事でしたが、
思わぬ形に着地しました。でも、しっくりきています。

だって、
こうして離れた距離から
穏やかな気持ちで振り返っていられるのは、
「こいつほんと好かねぇ!」って自覚したからなんですもん。


2023年10月6日 拝














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