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我らにはどうしても松を切ることはできませんー東京国立博物館 特別展「やまと絵」
ようやく冬らしくなってきて、今年もあと10日あまりを残すのみとなりました。
ここ2週間ほど風邪を引いてしまって、体が思うように動きませんが、こんな時にはよけいに、この秋から冬にかけて様々に思ったことが、ゆるゆると思い出されて、良いものです。
12月3日までの会期を終えた、東京国立博物館特別展「やまと絵ー受け継がれる王朝の美」へは、最終的に5回足を運びました。
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(前半)令和5.11.1、11.2、11.4
(後半)令和5.11.19 、12.1
「どうしても全部の作品を見たい!」という、止むに止まれぬ欲求というものを久しぶりに感じて、身体を壊してまで見切った展覧会。
図録は買わない、実物を生で見た時の感覚ごと全部体に入れるぞ!という、強迫観念に似たものがありましたが、見てよかった。私の2023年の宝です。
ざっくりいうと、日本の歴史や古人の営みがよそ事ではなく、当時の人々が感じてた「感じ」を私も感じてる心持ちになっていること。
それもとてもリアルに。
それは、この展覧会の「序章」の展示編集から得た発見が、とても大きかったのです。
序章 伝統と革新 -やまと絵の変遷-
やまと絵は中国由来の唐絵、もしくは漢画との対概念で成り立っているため、その概念は時代によって変化します。
序章の最後には、室町時代に至って、それぞれの道を極め高い熱量で拮抗した、和(やまと)と漢を、大きな屏風絵に代表させ、左右並べて展示されていました。
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会期の前半は、次の2つの屏風絵。
<やまと絵>
No.9 「浜松図屏風」6曲1双 *室町のやまと絵のダイナミズム
<漢画>
No.10 「四季山水図屏風」6曲1双 *現在最古級の大画面漢画
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室町時代・15世紀 東京国立博物館
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伝周文筆 (しゅうぶん)
室町時代・15世紀 東京国立博物館
この2つの屏風を初めて見た時に、思考や連想がおきたことは、その日のうちに、勢いのまま、書き記しました。
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そして、会期の後半はこちらの組み合わせに変わっていました。
<やまと絵>
No.7 「日月四季山水図屏風」6曲1双 *海にも山にも松、松、松
<漢画>
No.8 「四季花鳥図屏風」雪舟等楊筆 6曲1双 *眼前の巨大な松
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室町時代・15世紀 大阪・金剛寺
![](https://assets.st-note.com/img/1702971579148-IpeTFyvPoe.png?width=1200)
雪舟等楊筆
室町時代・15世紀 京都国立博物館
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「日月四季山水図屏風」には、海にも山にも松松松。
ものすごくデフォルメされた松の姿ですが、この屏風をみていると、海辺に住む人、山間に住む人、そこを旅した人も、しない人も誰もが見たことがあるような不思議な景色。
そしてここには日月と春夏秋冬があって、日本の隅々を時空ごと一編に見渡しているような、限りなくマクロで、神々しい気持ちになってきます。
やまと絵を見るときはいつも空を飛んでいるような気分になるのです。
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室町時代・15世紀
大阪・金剛寺
![](https://assets.st-note.com/img/1702974525373-888ju3JulX.png)
室町時代・15世紀
大阪・金剛寺
それにしても、展示されているやまと絵の絵巻には、例外なく松が描かれていました。本当に、日本の風景にとって松は特別な存在だったようなのです。
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信貴山の山並みには松ばかり
『信貴山縁起 日本の絵巻4』中央公論社 より
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そして、雪舟の「四季花鳥図屏風」は打って変わって視点がズームインしてミクロに迫ります。まるで目の前にいるような大きな鶴。
長寿を賀ぐ「鶴松」の最強コンビ。松もその木肌に触れられそうな距離感です。
雪舟は水墨画を代表する絵師ですが、やまと絵伝統の四季絵の要素をいれつつも、主題や構図や描法は中国の山水画に根を持ち、漢の要素に和を巧みに合わせて消化しています。
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雪舟等楊筆
室町時代・15世紀 京都国立博物館
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そして、第3章「やまと絵の成熟ー南北朝・室町時代ー」で展示されていた土佐光信の筆と伝えられる「松図屏風」の前に、4度目に立って初めて「はっ」としました。
No.179 「松図屏風」伝土佐光信筆 6曲1隻
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伝土佐光信筆
室町時代・16世紀 東京国立博物館
『日本美術絵画全集5 土佐光信』集英社 より
土佐光信のこの「松」と、雪舟のさっき見た「松」が全然違う。
この違いは何だろうと思った時に、気が付いたのです。
当時の漢画の影響からか、それとも次にやってくる安土桃山の気分の萌芽か、「事物をクローズアップして大きく描く」という流れになっていたような感じがするのですが、この「松図屏風」は、今までになく大きく松だけが描かれていて、一本一本の個性が立っています。
でも、雪舟の描く松の表情とは違う。
光信は松の優美な姿全体を描き、雪舟は松の部分を切り取っている。
やまと絵では、松は常に松全体の姿。
もしかして、松の一部分だけ描く、言い換えると松を切ってしまうような行為は、やまと絵の絵師にはできなかったのではないかと思ったのです。
ここに、やまと絵の「殻」があったのではないか。そして、それを漢画側から攻めた雪舟は軽々とやってのけてしまった。
松を含め”生きとし生けるもの”は、全体があってはじめてそうなっているので、一部を”切る”というのは”殺す”ということ。
自然とは「あるがまま」の姿ですので、もしかして、それまで(室町時代以前に)人の好みに合わせた木の剪定とかというのは、していなかったのかもしれない。
水墨画や枯山水の庭が視覚化する「禅」の思想は、ある意味非情。
もはや、古代日本のモノに宿っていた霊(もの)は、その力を大きく減じていたのでしょうか。
そうした人々の意識の変化そのものが、応仁の乱がもたらした古代との決定的な決別だったのかもしれないとも思いました。
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そして、土佐光信の婿ともなった狩野元信は晩年に描いた「四季花鳥図屛風」で、ついにその殻を破って突破したのです。
No.207 「四季花鳥図屛風」狩野元信筆 6曲1双
![](https://assets.st-note.com/img/1702981261006-V8KIcGbkSt.png?width=1200)
狩野元信筆
室町時代 天文19年(1550)
兵庫・白鶴美術館
『日本美術絵画全集7 狩野正信/元信』集英社より
松を「松を切らずに部分化」する方法。
松を大きく描いても「霞」で覆うことで、その全体を幻影化できる。
霞で時空を分ける方法は、平安時代に遡るやまと絵の誕生以来の方法でした。
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狩野元信筆
『日本美術絵画全集7 狩野正信/元信』集英社より
やまと絵と漢画の大きな大きな異質なエネルギー同士が、高いレベルで合一化した瞬間を、ここに見た気がします。
外来の異質なものを、高次元で取り込み、自らを失うことなく我がものにしてしまうアルテ。
方法日本の面目躍如だ。
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それにしても、それほどまで、思われる「松」って何なのでしょう?
神事や芸能に留まらず、日本文化の超ベーシックとして古代から特別な存在である松。日本の人々の松への思いを具体的にもっと知りたい。
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