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【哀悼】深き耳と新しき目を持つ人 内橋克人

九月の一日に内橋克人さんがお亡くなりになった。と、NHKのニュースで知りました。

33歳も歳が違いますが、テレビで話されているのを初めてお聞きした時、お話の内容が素のままに入ってくるのが、私も同じ大学の出身だということにも繋がって、そこに何か「日本の芯のようなもの」を見つめようとされていると感じていました。そして、それが日本の胎というものかもしれないと、かすかに思っていたのです。

同じ大学というのは神戸の西の端、須磨と明石に挟まれた垂水という地の高台にあって、本館の踊り場の窓からは、晴れた日にはのんびりと、雨の日には妖しく淡路島が見えました。

この高台は古くから「高丸」と呼ばれ、五色塚古墳という4世紀後半に築かれた兵庫県下最大の前方後円墳があり当時の姿が復元されています。古からずっと、大阪の海に入ろうとする船からは、その姿が眩しく見えたことでしょう。

でも卒業したあと、明石海峡大橋を支える橋脚が立つ場所になるからと、母校は神戸の奥へ移転して、その後、大学の名前も兵庫県を代表する名に変わってしまったので、今は通りにその名が残るだけになりました。

兵庫県は、特徴がないのが特徴の県です。
明治維新のあと、但馬、播磨、丹波、摂津、淡路の五つの国が合併してできました。丹波と摂津はそれぞれ京都府と大阪府とに分かれた上での合併です。
さらに明石海峡のところが畿内(摂津国)と山陽道(播磨国)と南海道(淡路国)の境で、但馬国と丹波国は山陰道ですので、兵庫県は、単に国の境が紛らわされただけでなく、五畿七道の境も紛らわす場所に立ち上げられたのでした。奈良時代以来1000年以上の時を経て、初めての行政地区の境目の変更です。
行基が泊を開き、清盛が貿易港にして、開国とともに開港された神戸に役所を置き、古代の「つわものぐら」(兵庫)の名を冠して、初代の知事には伊藤博文が立ちました。

この摂津・播磨・淡路の接点にあたる垂水にあったためか、入学してくる学生は大阪方面からと姫路方面からの半々で、垂水と淡路島の岩屋を結ぶフェリーに乗って通ってくる人もいました。播州弁、大阪弁、神戸弁、摂津弁(神戸と大阪の間)、淡路弁が入り混じり、商学系の単科大学でしたので、理系にはちょっと、でも文系も。。という感じの学生が多かったです。(私も)

なので、兵庫県の成り立ちをそのまま集めたような、多様性のゆるい塊のような環境の中で、とんがった特徴や大きな夢はないけれど、自然に海外の風も受けながら、自分の生い立ちはそのままに、互いに関わりながら、妬むことなく媚びることなく、どこでも柔軟に生きていける感覚が気持ちいい。と思えるようになったのかもしれません。

Wikipediaの内橋克人についての記述は、彼のニュートラルな視点に立脚した、現実的・現場的な「しなやかさと強さと温かさ」が凝縮されていると思います。

内橋克人(うちはし かつと、1932年7月2日 - 2021年9月1日)

日本の高度経済成長を支えた現場の技術者たちを活写した『匠の時代』で脚光を浴び、一方で『「技術一流国」ニッポンの神話』において技術立国で向かうところ敵なしと言われていた日本経済が大量生産・大量消費を前提とした量産効果に依存しているという弱点を抱えていることを指摘、主流の技術評論家や経済評論家の楽観論を批判した。
また、バブル崩壊後もよく唱えられている「改革」が剥き出しの市場原理主義に則っていて社会的費用を弱者に転嫁しかねないと指摘、アメリカ流の聖域なき構造改革に厳しく警鐘を鳴らし、その対抗思潮をいち早く展開した。
(Wikipediaより)

そして、改めてその著書の書名を見るだけでも、大きな視座と現場の肌感覚を同時に持ち合わせて、世界の流れを見ていたことがわかります。1968年の初著には「外資」という言葉があり、その儲け方を掘り下げることからスタートして、そこへの疑問から「じゃあ、どうしたら」ということを、自分にも日本にも問いかけ続けて、企業と社会にある「虚と実」を見つめてきました。そして1994年の『日本会社原論』のシリーズを経て1995年の著書の「共生の大地」という言葉へと結実していきます。

今、何に立脚したらいいのか、どっちを向けばいいのかを、迷いに迷っているのに、何を理由に迷っているのかが見えていない日本にとって、近視眼的ではなく50年過去から立ち戻って、自分たちの「芯」を考えるきっかけをもたらしてくれるのではないでしょうか。

そして、バブルを直前にした1986年の【「日本自讃論」では未来は読めない】という言葉が突き刺さります。自らを自賛して慰めるのではなく、かと言って昨今のように卑下したり自虐するのでもなく、ただ、諸向きに、「ありのまま」をよく見て、自ら考え、自ら行動することが、なにより大切なのだと教えてくれるのです。

そして、その方法はきっとある。


内橋克人 著書・共編著
(Wikipediaより、並び替え)
[1968]『外資のなかのニッポン』三一書房・三一新書
[1971]『恐るべき外資企業 高収益商法の秘密』エール出版社
[1972]『外資商法で儲けろ 超高収益商法から学ぶもの』エール出版社
[1972]『優績店への挑戦 ドキュメント 地域密着化に成功した銀行支店の記録』近代セールス社
[1974]『挑戦する幹部 「管理から指揮へ」のリーダーシップ』日本能率協会 MSDシリーズ
[1975]『伝説の日本人 明治・大正・昭和"型やぶり人間"考』ダイヤモンド社 「破天荒企業人列伝」新潮文庫、「日本資本主義の群像」現代教養文庫
[1976]『危機こそ好機である 売上アップの逆転商法』文潮出版 マネーシリーズ
[1978]『「安宅崩壊」以後これからの昇進・仕事・人間関係』徳間書店
[1978]『恐慌 サラリーマン恐怖時代 ドキュメント』東洋経済新報社 Vブックス のち新潮文庫、現代教養文庫
[1978]『匠の時代 先駆的開発者たちの実像』サンケイ出版  のち講談社文庫、岩波現代文庫
[1978]『続・匠の時代』サンケイ出版  のち講談社文庫
[1979]『続々・匠の時代』サンケイ出版  のち講談社文庫
[1980]『経営の匠・その生き方 「企業新世代」を拓く経営テクノクラートの実像』サンケイ出版
[1980]『新・匠の時代1(「生命の海」を拓く)』サンケイ出版  のち文春文庫
[1980]『続々々・匠の時代』サンケイ出版
[1980]『続々続々・匠の時代』サンケイ出版
[1981-82]『ニッポン地球時代 匠・海外篇』1-3 日本経済新聞社
[1982]『幻想の「技術一流国」ニッポン』プレジデント社 のち新潮文庫、「「技術一流国」ニッポンの神話」現代教養文庫
[1982]『新・匠の時代2(インターフェロンから核融合まで)』サンケイ出版
[1983]『社長辞典』サンケイ出版
[1984]『日本エネルギー戦争の現場』講談社
[1985]『「重厚長大」の復権 5年後 日本の企業はどうなっているか』講談社  「「重厚長大」産業の復権」文庫
[1985]『考える一族 カシオ四兄弟・先端技術の航跡』新潮社 のち文庫、「考える一族 : カシオ四兄弟・先端技術の航跡」岩波現代文庫
[1986](共編著)『KKニッポンを射る』佐高信共著 講談社  「「日本自讃論」では未来は読めない」文庫、「「日本株式会社」批判」社会思想社現代教養文庫
[1986]『原発への警鐘』講談社文庫
[1987]『「手法革命」の時代』中央公論社  のち講談社文庫
[1987]『ガンを告げる瞬間』新潮社  のち講談社文庫
[1988]『ジャパン・システム激変の新図式 突然変わり出した不可欠構造』青春出版社プレイブックス
[1988]『新・匠の時代』2 文芸春秋
[1989]『退き際の研究 企業内権力の移転構造』日本経済新聞社 のち講談社文庫
[1991]『尊敬おく能わざる企業』光文社カッパ・ホームス
[1992](共編著)『「会社本位主義」をどう超える 新しい企業社会のパラダイム』佐高信、奥村宏共著 東洋経済新報社
[1992]『「革新」已む能わざる企業』光文社カッパ・ホームス
[1993]『隗より始めよ 日本企業の生存条件』光文社カッパ・ホームス
[1994](共編著)『日本会社原論』全6巻 佐高信、奥村宏共編 岩波書店
  1 危機のなかの日本企業
  2 日本型経営と国際社会
  3 会社人間の終焉
  4 就職・就社の構造
  5 企業活動の監視
  6 企業社会のゆくえ
[1994]『破綻か再生か 日本経済への緊急提言』文芸春秋  のち講談社文庫
[1995](共編著)『規制緩和という悪夢』グループ二〇〇一共著 文芸春秋 のち文庫
[1995](共編著)『大震災復興への警鐘』鎌田慧共著 岩波書店 同時代ライブラリー
[1995]『共生の大地 新しい経済がはじまる』岩波新書
[1997](共編著)『経済学は誰のためにあるのか 市場原理至上主義批判』編 岩波書店
[1997](共編著)『現代日本文化論4 仕事の創造』河合隼雄共同編集 岩波書店
[1998-99]『内橋克人同時代への発言』全8巻 岩波書店
  1 日本改革論の虚実
  2 「消尽の世紀」の涯に
  3 実の技術・虚の技術
  4 企業社会再生論
  5 環境知性の時代
  6 周縁の条理
  7 九〇年代不況の帰結
  8 多元的経済社会のヴィジョン
[1998](共編著)『規制緩和 何をもたらすか』ジェーン・ケルシー、大脇雅子、中野麻美共著 岩波ブックレット
[2000]『同時代の読み方 私の読書術』岩波書店
[2000]『不安社会を生きる』文藝春秋 のち文庫
[2000]『浪費なき成長 新しい経済の起点』光文社
[2001](共編著)『斎藤茂男 ジャーナリズムの可能性』筑紫哲也、原寿雄共編 共同通信社
[2002](共編著)『「人間復興」の経済を目指して』城山三郎共著 朝日新聞社  のち文庫
[2002](共編著)『誰のための改革か』編 岩波書店
[2003]『<節度の経済学>の時代 市場競争至上主義を超えて』朝日新聞社  のち文庫
[2003]『もうひとつの日本は可能だ』光文社  のち文春文庫
[2005](共編著)『ラテン・アメリカは警告する 「構造改革」日本の未来』佐野誠共編 新評論 シリーズ<「失われた10年」を超えて-ラテン・アメリカの教訓>
[2005]『「共生経済」が始まる 競争原理を超えて』日本放送出版協会 NHK人間講座
[2006]『悪夢のサイクル ネオリベラリズム循環』文藝春秋  のち文庫
[2007](共編著)『城山三郎命の旅』佐高信共編 講談社
[2009](共編著)『始まっている未来 新しい経済学は可能か』宇沢弘文共著 岩波書店
[2009]『共生経済が始まる 世界恐慌を生き抜く道』朝日新聞出版  のち文庫
[2011](共編著)『取り返しのつかないものを、取り返すために 大震災と井上ひさし』大江健三郎、なだいなだ、小森陽一共著 岩波ブックレット
[2011](共編著)『大震災のなかで 私たちは何をすべきか』編 岩波新書
[2011]『日本の原発、どこで間違えたのか』朝日新聞出版
[2013]『荒野渺茫』第1-2部 岩波書店


内橋克人さんのご冥福をこころよりお祈り申し上げます。


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