『成人式をもう一度』
「苦渋の決断ではございますが、新型コロナウイルスの感染拡大に鑑み、令和3年〇〇町成人式は中止させていただくこととしました」
晴れて成人を迎えた私達にとって、一生に一度の晴れ舞台となるはずだった成人式は、たった一枚の文書によってあっけなく無くなってしまった。
この日を楽しみにしてくれていた両親、私の成人した姿を見たいと毎日健康に気を遣っていた祖父母、そしてなにより一緒に晴れの舞台を迎えるはずだった地元の友達のことを思うと、涙が止まらなかった。
成人式は中止となったが、家の前で写真くらいは撮っておくことにした。私と母で、シャッターは父が押してくれた。心からの笑顔は作ることができなかった。
本来ならば無事に成人式が執り行われ、今頃は地元の友達と久しぶりの再会を祝って飲みにでも行って昔話に花を咲かせているはずだった。しかし、今は日本全国で執り行われるはずだった成人式が中止になったというニュースを、家族と一緒に観ていた。
次々とニュースが切り替わる。政治家が政治資金パーティーを開催したニュース。黙食を徹底しなかった小学生が体罰を受けたというニュース。コロナ給付金で飲食店のオーナーが車を買ったというニュース。子供たちが楽しみにしていた地方のお祭りが中止になったというニュース。
私の目からは、また、自然と涙が溢れてきた。世の中ってなんて理不尽なんだろう。制限することを決定する大人は身勝手。政治家はやりたい放題。いつも割を食うのは真面目に生きてる人間や子どもたち。
あ、私ももう成人したから大人なんだっけ。成人式が中止になったから実感がないや。
感情がぐちゃぐちゃになるニュースばかり観ていると、気分が悪くなってくる。だが、この気分の悪さは、世の中に対するどうにもならない感情からくるものだけではないだろう。
私は20歳にして、お腹の中に小さな命を宿している。つまり、この気分の悪さは悪阻も関係しているに違いない。
私は高校生の頃に、既に社会人であった年上の男性と付き合っていた。当時高校生の私に対しても偉ぶることなく対等な目線で話をしてくれる、誠実で心優しい人だった。しかし、私が19歳の時に妊娠したことが発覚すると、態度は一変する。子供を育てる気はないと私に言い放ち、姿を消してしまった。
当時の私は、看護の専門学校に通っていたため、とても一人では出産し、育児をする自信はないと一度は中絶することも考えた。実際に、中絶の相談をしに何度か産婦人科にも通った。しかし、エコーに映る我が子を見ているうちに、出産や育児の不安だとか、一人で大変だとか、そういうネガティブな気持ちよりも、可愛い、産みたいといったポジティブな気持ちの方が上回るのを感じることができた。
家族や学校などと話し合い、熟考に熟考を重ねた結果、私は我が子を産むことに決めた。勉強や実習はできる範囲で、金銭面のサポートは、私が看護師になって少しだけでも余裕ができるまでは両親がしてくれることになった。
そこからは、壮絶な日々が続く。悪阻が酷いときは勉強はおろか、日常生活もままならない。実習にも行きたいが、健康のことを考えるとあまり無理もできない。
それに加えて、新型コロナウイルスの感染拡大である。
ある日、新型コロナウイルスに感染してしまった妊婦の入院先が見つからず、やむなく自宅出産したが赤ちゃんが死亡してしまったというニュースを知った。まただ、またコロナ。またコロナが、人々の幸せを壊した。私も他人事ではない。妊婦の気持ちを考えると、涙が止まらなかった。
多分に漏れず、私もコロナ対策を厳重に行った上での出産となった。そこには父親はいなかった。コロナの関係で立ち会いができなかったからではない。逃げたからである。
私の元に、可愛くて愛しくて、天使のような女の子が舞い降りてきた。誰よりも守るべき存在ができた。父親はいなくても、私がこの子をしっかりと育てていかなくては。成人式が中止になった年に、私は母親となった。
守っていかなくてはいけない。私はそう誓ったはずだった。しかし、育児というのは、我が子が可愛いということだけでやっていけるほど甘くはない。むしろ、うまくいかないことだらけで殺してしまいたくなる衝動にすら駆られるのだ。
我が子はたしかに可愛い。愛しい。狂おしいほどに。だから、お願い。何が原因か分からないまま泣かないで。授乳の時に強く噛まないで。離乳食を床にぶちまけないで。発狂してしまいたくなる。
唯一の助けの船である両親は、そんな私を察してか、苦しいときには必ず駆けつけてくれた。私が私を傷つけずに済んだのは、我が子に手をあげずに済んだのは、今思い返しても両親の存在が何よりも大きかった。ありがたかった。
一年留年して、無事に看護師国家試験に合格し、学校が紹介してくれた病院へ就職した。そこは母親である看護師の比率が高く、それゆえ私の環境を理解してくれる恵まれた環境だった。
育児をしながら業務を覚えるのは、想像よりも遥かに大変だった。さらに、新型コロナウイルスは収束する兆しすら見せず、やがて時代はwithコロナの傾向となる。そのため、私もいつ感染してもおかしくはなかった。
両親を含め、周りのサポートのおかげもあり、決して裕福とはいえなかったが、それなりに暮らしていくことができた。
娘が小学1年生となったある日、「その日」がやってきてしまった。
新型コロナウイルスに母子共に感染してしまったのだ。熱などの基本的な症状は出たものの、幸い重症化することもなく落ち着くことができた。
ただ、私が心配していたのはコロナの症状ではなかった。娘はまだ小学1年生。日常的に見聞きしているし、感染対策も日頃から行っているので、コロナが何なのかくらいは知っている。しかし、知っているのと実際に感染するのはまた違う。コロナに対してより恐怖を覚えるのではないか? 偏見を持つのではないか?
悪い予感ほど的中するものだ。娘はコロナに感染して以来、再度感染するのを恐れ、過度に対策をするようになった。過度に手洗いをするのはまだ良かった。しかし、次第に外に出るのも恐れ始めてしまったのだ。
またコロナは、大切な人から大切なものを奪うのか? いや、私が守らなければ。我慢するのは私だけでいい。だって、成人式も我慢できたじゃないか。
私は娘のケアに全力を尽くした。仕事が休みのときは、出来るだけ側にいてあげた。感染対策をしっかり行えば外出だって、人との会話だって、普通にできるんだよと教えてあげた。
子供は我慢する必要なんてないんだよ、と常に言い聞かせてあげた。
時間はかかったが、娘は少しずつ、コロナに感染する前の状態に戻りつつあった。少しは母親らしく、この子を守ることができたであろうか。
月日は流れ、娘が高校2年生となった頃。娘は夕ご飯の時に、こう話しかけてきた。
「ママはさ、今よりももっとコロナが危ないものって認識されてる時に、私を産んだじゃない? しかも、看護学校に通ってる時にさ」
「そうねぇ。あの時は色々と大変だったけど、あなたを産んで本当に良かったって思ってるわ」
「それから今日までずーっと、女手一つで私を育ててきてくれたよね」
「何よ突然、気色悪いわねぇ」
「私ね、今日先生に、進路はどうする? って聞かれたの」
「へぇ、それで、なんて答えたの?」
なぜか娘は姿勢を正し、少し息を吸ってから話し始めた。
「私は常にある人の働いてる姿を見てきて、それはやがて憧れに変わった。その人はいつも、自分のことは二の次で、私優先で動いてくれる。自分もいっぱい我慢して辛いはずなのに、私には「我慢しなくていいよ」って言ってくれる……」
娘の声が少しずつ、また少しずつ震えてくる。
「私もそんな人になりたい、って思うようになった! その人みたいに、誰かを安心させたい、誰かの未来を守りたい、って! だから……、だから!」
気付けば私も、泣いていた。
「だから私は、お母さんみたいな看護師になりたい! って伝えたよ!」
涙が止まらなかった。なぜ泣いてるのかはわからない。自分の娘が親と一緒の職業を目指すと言っているのだ。誇らしいことだから笑って頑張れと言えば良いのに。なぜかわからないが、私の目からは自然と涙が溢れていた。
それからしばらくして。18歳となり、晴れて成人となった娘は高校を卒業し、昔の私と同じように看護学校へ通い始めた。
そして、成人式を迎える。
看護学生で成人式。昔の私と一緒である。違う点といえば、成人年齢が18歳になっていることと、そして成人式が執り行われることである。
娘は朝早く起きて準備する。鮮やかな振袖に包まれた娘が私の元へやってきた。
「ほら、見て! 綺麗でしょ?」
「あら綺麗ね! よく似合ってるわ! 頑張ってバイトしてお金貯めといてよかったわねぇ」
「本当よ。 もう行きたくないけどね!」
「それにしても、大きくなったわね。七五三の時なんか、晴れ着よりも小さく見えたのに」
「ここまで大きくなれたのも、お母さんのおかげだよ、ありがとう」
「何よ急に。あ、またお母さんを泣かせようとしてるでしょう」
「お母さん」
「うん?」
「お母さんのときは、成人式が中止になっちゃったんだよね?」
「そうね。まぁ、あれば仕方がなかったからね」
「じゃあさ。お母さんにとっては、今日が初めての成人式だね!」
「お母さんも、成人式?」
「そうだよ! お母さんは私のお母さんになって18年。18歳だから、立派な成人だね! だから今日は、お母さんも成人式だよ!」
「成人式……」
もはや込み上げてくるものを抑えることはできなかった。いや、抑えることすら、したくはなかった。
「もう、お母さんったら! おめでたい日なんだから、笑っていこうよ!」
「あなただって、泣いてるじゃない!」
二人で抱き締め合って、泣いた。また成人式の日を迎えられるなんて思ってもいなかった。成人式が中止になっても、我慢できた。我慢できたはずだった。しかし、心の何処かでは思っていたのだろうか。
もう我慢しなくていいんだ。
成人式を、もう一度。
(エピローグ)
娘が成人式へ出掛ける前に写真を撮った。シャッターを押したのは私の母。
写真に写っていたのは、さっきまで泣いていた名残が多少残っているものの、晴れやかに笑う娘と私の姿だった。
すると、母がおもむろに私に1枚の写真を手渡してきた。それに写っていたのは、さっきの写真と同じように、こっちを見て笑う二人の女性の姿。私と母であった。初めて見る写真である。
「これ、あなたが成人した時の写真よ。ほら、あなたのとき、成人式中止になったじゃない? だからこの写真、なかなか見せられなくて。今日が良い機会だから、見せようと思って。無理やり作った笑顔だから、お互い引きつってるね」
これを見て、私の中を申し訳無いという気持ちが支配した。そして、また涙が出る。
「……ごめんなさい、ごめんなさい……。せっかくの晴れの日なのに、ちゃんと笑った顔で写ってあげられなくて……」
「いいのよ、本当に苦しかったのはあなたなんだから。あなたは偉いわ。自分はたくさん我慢して、子供にはできるだけ我慢させなかった。私にはできなかったわ。私こそ、ごめんなさい。あなたに我慢ばっかりさせちゃったわね」
「ううん、お父さんとお母さんがいたから、私はあの子を成人させることができた。本当にありがとう。そしてなにより、私もあの子と同じように、お母さんが看護師として働いてる姿を見て、私も看護師になりたいって思ったの。だから、今こうしてあの子が看護師の夢に向かって頑張ってるのは、お母さんのおかげだよ」
「あの子も将来子供ができたら、あなたみたいに素敵な人に育ててほしいわ。あなたは私の自慢の娘よ。改めて、成人おめでとう」