サンタのためのクリスマス

「思い出たくさんのこの書店も、もうすぐ閉店か……。だいぶ前から決まってたこととはいえ、その時が近づいてくるとやっぱり寂しいな」

 寒さが一層厳しくなる12月。街はイルミネーションで彩られ、聞き慣れた耳心地の良いクリスマスソングが至る所で流れている。

 クリスマスが近づくに連れて浮かれ気分になる者、師走の忙しさに寒さなど忘れて駆け回る者、今年の振り返りを始める者、来年の準備をする者。この時期の人々は、それぞれが違う表情をしていた。

 多分に漏れず、本田健介もそんな人々の中のひとりであった。師も走るこの時期に東奔西走しているが、それは決して明るい話題のためではなかった。

 健介は小さな街で「本田書店」という小さな個人書店を営んでいる。しかし、それももうすぐ過去のこととなる。出版不況の波が押し寄せ、もうすぐ閉店してしまうのだ。

「昔はこんな田舎でも書店は人で溢れていたなぁ。書店の知り合いもいたものだ。今ではすっかり書店仲間も減り、お客さんも数えるほどになってしまった。この書店とともに、俺も歳をとったな。そろそろ、潮時か……」

 健介の住む地方の過疎化にくわえ、趣味が多様化した現代において、わざわざ紙の本は選ばれない。いくら歴史のある老舗の書店も次々と閉店する時代である。個人経営の小さな書店など、生き残れるはずがなかった。

「お客さんがこの書店で本と出会うことができたように、俺もこの書店を通じてたくさんのお客さんと出会うことができた。だったらせめて、閉店する前になにか恩返しなど出来ないだろうか……」

 小さな書店にできる恩返し。健介は知恵を絞ったが、なにせ個人経営の小さな書店なのである。やれることは限られてしまう。せいぜい閉店セールを行うことくらいしか思いつかなかった。

 健介がうーんうーんと頭をひねっていると、奥から妻である良美が出てきた。

「この様子だと、まだアイデアが浮かばないようね。まぁ、小さな本屋だから、出来ること少ないもんね」

「そうだなぁ。良美はなにか思いついたのか?」

「うーん、近所の人に本を配ったりするのもありかなって思ったんだけど、うちの常連さんでもない限り迷惑かなとも思うのよね」

「本を配る……か。お客さん全員には無理だけど、せめて常連さんだけにでも本を配ることってできないかな?」

「常連さんにだけね。それならうちでもできそう。でも常連さんっていっても、最近になってうちによく来てくれてたのは、うーんと……、3人くらいしか思いつかないわ」

「常連さんの多くは都市部の方に引っ越したり、別の都道府県に移動したりしてこの街にはいないのかもしれないね。その3人って、具体的に誰だっけ?」

「子育てしながらよく来てくれてたお母さんと、小さな工場の社長さんと、それから今は動画配信をやってる大学生の子の3人かしら。会員カードを作ってもらったときに住所を控えてるから、そこに行けば本を配れるかも」

「その3人は以前からよく立ち寄ってくれてるよね。よし、とりあえずその3人にはとてもお世話になったから、閉店の挨拶も兼ねてなにか本を渡しに行くとするか」

 健介と良美は、本田書店の数少ない常連であった3人に送る本を選んだ。よく来てくれていた3人であったため、どんな本を買っていたかはよく知っている。書店員として関わる最後の日となるであろう。できるだけ良い本を選んで渡してあげたい。その一心で、二人は夜通し本を選び続けた。

 ※

「え! 閉店するんですか!? それは残念です。また足を運ぼうと思っていたのに……。お世話になりました。ありがとうございます。そして、お疲れ様でした」

 3人とも必ず、このようなことを口にした。本が売れない時代にこれ以上ない有り難い言葉だなと、健介と良美は思った。

 子育てしながら足を運んでくれたお母さんには『忙しい中で心が安らぐ言葉100』と『イラストでわかる「しょくぎょう」ずかん』を配った。

 この人はよく子供と一緒に書店を訪れていた。好きな本を子供に1冊選んでもらい、それを購入していた。その子供は街で働く「はたらくくるま」シリーズや、警察官や消防士などの「はたらくひと」シリーズを選んで買っていた。推測するに、その子供はもう3歳か4歳くらい。少しずつ憧れの人や夢を語りだすはずである。そこで、世の中にはこんなに素晴らしい職業があるんだよというのを知ってもらうために、『イラストでわかる「しょくぎょう」ずかん』を選んだ。

 そしてお母さんの方とは、以前こんなことがあった。いつもは子供と一緒に書店に来るはずが、一度だけ一人で訪れたことがあったのだ。珍しいなと思い様子を見ていると、顔が少しやつれたような、そんな印象を受けた。

 たまらず「大丈夫ですか?」と声をかけると、どうやら旦那さんと離婚してシングルマザーになってしまったとのことだった。ちょうどその頃から、子供も少しずつ意志を持ち始め、子育てがより大変な時期になり始めていたようだった。話を聞いてもらえた安堵感からか、そのお母さんは涙をポロポロと流し始めた。何と声掛けしていいか分からなかったが、せめてこの書店くらいは心の拠り所となって欲しいという意味を込めて「本を買う買わない関係なく、ここへはいつでも来てくださいね。もちろん、お子さんも一緒に」とだけ言った。

 あれからどうなったかは詳しくは知らない。しかし、おそらく今も一人で子育てをしているのには変わりはないだろうから、自分の身体も大切にしてほしいということから『忙しい中で心が安らぐ言葉100』という本を選んだ。

 「寂しくなりますね……。子供にも伝えておきます。もし閉店までにもう一度来られたら、また改めて挨拶させていただきますね」

 自身も子育てで大変な中、ねぎらいの言葉をかけてくれるなんて。健介と良美は救われた気持ちになった。

 ※

 小さな工場の社長には『町工場のあり方〜小さなネジ工場の奮闘〜』という本を配った。

 社長と健介が初めて会話をした時、こんな話をした。
「僕ね、30にして初めて会社を起ち上げるんですよ! といっても、小さな町工場ですけどね」
「へぇー! それはすごい。この街の同じ経営者として応援してますよ! この街を盛り上げていきましょう」

 しかし、会社を軌道に乗せることが簡単でないことくらい、健介もよく知っていた。また、その町工場は本田書店と同じような零細企業であるため、その厳しさは特に理解ができた。社長が書店を訪れるたびに口数が減り、笑顔が消え、心なしか身体も小さくなっていく印象を受けた。

 そしてある日、「小さな町工場なんてやるんじゃなかった。会社は小さくても夢はでっかく、なんて思ってたけど、所詮下請け企業の現実は厳しい。数少ない従業員のためを考えたら、もう会社を畳んだほうがいいんじゃないのかと思ってる」と社長が言った。
 その当時、まだ会社を起ち上げて一年も経っていなかった。健介は、同じ小さな会社を経営している身としてもう少し頑張って欲しいという気持ちがあった。
「会社を軌道に乗せるためには一年では短すぎます。特に小さな企業は、まずはとにかく信頼と実績を残すことが大切。この書店もここまで長く続けられたのは、社長みたいな常連のお客さんを大切にしたからなんですよ。だから社長も、もうしばらく辛抱して、小さいことからコツコツと積み重ねてはどうですか?」と伝えた。
 それがどう伝わったかは分からなかったが、その時は社長は静かにうなずき、本を一冊買って帰っていった。
 
 それから倒産したという話は聞いておらず、実際に工場へ人が出入りしているのも何度か見かけているので、経営は続けられているのだろうと健介は推測している。

「あなたの書店こそ、ずっとずっとこの街の明かりを灯していてほしかった。この書店に何度救われたことか……。とても残念です」

 健介は同じ経営者として、この街を盛り上げ続けることが出来なくなった悔しさもあったが、代わりにこの町工場には頑張って欲しいという気持ちが高まった。社長と会社の今後を願って『町工場のあり方〜小さなネジ工場の奮闘〜』という本を送ることにした。

 ※

 今は動画配信をやってる大学生の子には『人々を笑顔を作り、魅了し続ける私の信念』という、時代を作る人気人物のエッセイ本を配った。

 この子が初めて書店を訪れたのは、この子がまだ中学生の頃だった。まだまだやんちゃな男子中学生であり、健介は未だにこの印象のままであった。活発な子で、健介を「本屋のおじちゃん」と呼び、健介もまたこの子が書店を訪れるたびに近況を聞いたりしていた。

 いつも漫画本や雑誌を買ってくれていたが、高校生に上がると小説を買うようになった。珍しく思い声を掛けてみると、どうやらクラスで好きな子ができた様子で、その子がよく小説を読むことがきっかけで小説を買いに来たんだと照れながら語ってくれた。最初は読み慣れない小説に四苦八苦していたようだが、次第に書店を訪れるたびに5冊以上もまとめて買うようになった。お客さんの、今まではなかなか読めなかった本を次第に読むことができるようになるという過程を見守ることができる。書店員としてこれ以上の幸せはなかった。

 ある日、書店を訪れたその子であったが、いつものように小説を買うでもなく、また漫画や雑誌もパラパラとめくる程度で何も買おうとはしなかった。様子がおかしいと思った健介は、たまらず声をかけてみた。

 すると、好きだった子とは小説を交換するくらい仲良くなったが、ある日病気が発覚してしばらく学校に来られていないとのことだった。とても小説を読む気持ちになれず、しかし書店に立ち寄ることは習慣になっているから、とりあえず新刊だけでもチェックしようと訪れてくれたらしい。

 おじさんである健介に若者の気持ちは分からない。たぶん、わかってほしくもないだろう。しかし、常連さんを笑顔にするのが書店員の務めである。適切な言葉かは分からなかったが、何も言わずにはいられなかった。

「好きな子がどんな病気かは分からないし、君の気持ちを完全に理解するのも多分できないけれど、今の君にできるのは、その子が元気に帰ってくるのを信じて待ってあげることじゃないかな? そのために、以前と変わらず小説を読んでおいて、帰ってきたときにその子に薦めてあげるのはどうだろう。小説を介して君たちは仲良くなったのだから、喜ぶんじゃないかな?」

 健介の言うことを、黙って聞いてくれていた彼は、しばらくしてから深くうなずくと、「新刊のおすすめの作品を一冊ください!」と言い、それを買って帰って行った。

 その後、病気を患ったその子のことは聞いていないから詳しくは知らない。しかし、以前のように明るい表情に戻った彼の姿を見てからは、心配いらないなと健介はほっと胸を撫で下ろした。

「本屋のおじちゃんには本当にお世話になりました。定期的に通う場所が無くなるのは寂しいですが、またどこかで会えた日には、「彼女」と一緒に挨拶に行きますね」

 今は主に「病気の子を元気付ける動画」を配信し、そこそこのファンも獲得しているらしい彼には、『人々を笑顔を作り、魅了し続ける私の信念』という人気人物のエッセイ本を送ることにした。

 ※

「よくしていただいた常連さんに本を送ることができて良かったわね。あとは、年内までに店を畳むことができたら、あなたもしばらくはゆっくりしてくださいな」

「そうだな。今回本を送った人たち以外にも、色んな人にお世話になった。だから本当はもっと多くの人たちに恩返ししたかったんだけど、それができる時間もお金もない。せめて、常連さんにだけでも本を送ることができてよかったよ。良美もありがとう」

「私はただ住所を調べて、本を選ぶお手伝いをしただけよ。あなたこそ、お疲れ様でした。……でも、本当はクリスマスまで営業したかったんでしょう?」

「そうだな……。クリスマスはこんな田舎の小さな書店でも、ブレゼント用の本を買いに来てくれる人がいるからね。そういう人たちに本を売ってから終わりたかったんだけど、なかなか上手くはいかないもんだよ。仕方がない」

「クリスマスは来週ね。お仕事もしなくていいんだし、久しぶりにゆっくりと過ごしたらいいじゃない。ね?」

「あぁ、そうするよ。俺はサンタにはなれなかったけど、久しぶりに世間のクリスマスを楽しむとするよ」

 ※

 12月25日。クリスマスの当日の朝、寒さで身震いしながら寝室から出た健介は、なにや、玄関の方から自分を呼ぶ良美の声に気付く。

「ちょっと! あなた! 早く来て!」

「どうしたんだ、朝早くから……えっ……?」

 健介は信じられない光景を目にした。書店の入口付近に、たくさんの人だかりができていた。皆こっちを見ている。その先頭に、この間本を配った3人が、なにやら書類の束らしきものを持って立っていた。

「大田書店さん……! 朝早くからすみません。どうしても今日、これをお渡ししたくて……」

 子供を傍らに引き連れたお母さんが言う。こんな朝早くから渡したいものとは何なのだろうか……? 健介には検討もつかなかった。

「渡したいもの? 一体何でしょうか?」

「これをどうぞ。街のみんなの気持ちです」

 町工場の社長が言うと、お母さんと大学生の子も一緒になって、書類の束らしきものを渡された。

「これ……は……?」

「これは、本田書店さんが存続してほしいという街のみんなの署名です。メッセージを書いてるものもありますよ!」

 大学生の子が言った。よく見ると、横に同じくらいの年齢の女の子もいた。

「署名? この書店が存続してほしいという?」

 いまいち事情が掴めず、健介はついオウム返ししてしまう。

「私は知り合いのママ友や子供を預けている保育園の保育士さんなんかに協力してもらって、署名を集めてきました! 特にうちと同じくらいの子供は、また本田書店さんで絵本を買いたいって言ってましたよ!」

 お母さんは言った。子供の方を見ると、手に本を持っていた。よく見ると、それはこの間渡した『イラストでわかる「しょくぎょう」ずかん』だった。それを大事そうに抱えながら、こっちを見てニンマリと笑った。

「僕は動画配信サイトで署名を呼びかけました。こういう街の本屋さんは無くなってはいけない。本は病気で落ち込んだり、闘病で挫けそうになっている人たちの力になるから。そしたらたくさんの人が協力してくれましたよ! もちろん、彼女も」

 大学生の子の隣りにいた女の子が微笑む。元気になったのだろうか? 今も一緒に小説の感想を語り合っているのだろうか? こういう若者が増えてほしいなと、健介は密かに願った。

「みなさん、本当にありがとうございます……。ですが、もうこの本屋の経営を続ける余裕がありません。残しておきたいのは私も同じですが、年内で店を畳むことになりました。皆さんに協力して頂いた手前、ご期待に応えることができず大変申し訳ありません」

 健介は感謝と懺悔の気持ちを述べ、深々と頭を下げた。この本屋を残したい気持ちが一番強いのは、他でもない自分なのである。自分のためにも、街のみんなのためにも残しておきたかった。それができないのが、今はただただ悔しい。情けない。健介はそんな気持ちでいっぱいだった。

「資金のことなら心配いりませんよ。僕がなんとかしますから」

 その時、町工場の社長が発言した。

「え? どういうことですか?」

「一時は今の本田書店さんのように会社を畳むことを考えた時期もありました。そんな時、健介さんが救ってくれた。その後も、何度も何度も。次は僕が助ける番です。大きな会社じゃないので大金を出すことは出来ませんが、少ない額で良ければ僕の会社が資金面の援助をしましょう。だから、続けられるところまで続けてみませんか?」

「し、しかし……」

「私たちも本田書店さんが存続できるように協力します! 子供たちと一緒に、本を買いに行きます!」

「僕も動画配信で、本田書店さんを紹介しますよ! 一人一人に合った本を紹介してくれる店主さんと、その店主さんを支える優しい奥様がいる本屋があります、って!」

 自分でも気づかないうちに、健介の目には涙が浮かんでいた。健介は良美を見る。良美も自分の目元に手を添えていた。涙を浮かべてるのだろう。

「本田書店さんがなくなると、街から本屋が消えてしまう。本屋というのは、なくなってから改めてその存在の大きさに気付くんです。もちろん、本を買いに行かない僕たちも悪いところはあります。だから、今後はもっと街の本屋さんとの付き合い方を考えて、街ぐるみで盛り上がるようなイベントもやりましょう! 僕の会社は町工場ですが、僕たちなりに本田書店さんや街のためにできることを考えて支援しますから! だから頑張りましょう!」

「……分かりました! 続けられるうちは頑張って続けようと思います。こんなにも多くの方に支えられてるんだなと改めて思いました。本当にありがとうございます。小さな書店ですが、大型書店やネット書店にはない、「いつでも気軽に立ち寄ることのできる空間」を作ってまいりますので、これからもどうぞ、よろしくお願いいたします!」

 自然と拍手が沸き起こった。今後もこの街のみんなのために頑張らなければ。

 街から本屋の明かりを消してはいけない。人と本との出会いをなくしてはいけない。将来大人になる今の子供たちから、本や読書の文化を奪ってはいけない。

「クリスマスも、なんとか営業できそうね。今日も本との出会いを楽しみにしてくれるお客さんが来るかもしれないから、頑張りましょう!」

「そうだな! クリスマスの飾り付け、まだ倉庫にあっただろ? それを急いで飾り付けるぞ! 今日からまた頑張るんだ!」

 本来、書店はお客さんに「本との出会い」というプレゼントを渡すする場所。しかし、今日は逆に街のみんなからプレゼントを貰ってしまった。サンタがみんなからプレゼントを貰ってような気分だな、と健介は苦笑いした。

「サンタのためのクリスマスか……」

 街の本屋の明かりが灯る。今日は特別なクリスマスカラーの明かりで。

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