結婚ってまじで不思議だー


レポートより抜粋

ほとんどの人は生まれた時から両親、テレビ等のメディア、その他ありとあらゆるものから、たったひとつの純粋な男女による愛が幸せをもたらす、と教え込まれて育つ。

「愛」は普遍的かつ不変で、「結婚」はその愛が向かう最終形態であり幸せの象徴である、と。

しかしながら、2015年の厚生労働省による人口動態統計調査で、日本の離婚率は35.6%にまで上昇し、およそ3組に1組が離婚していることが明らかになった。

浮気をした、されたという話はありふれているし、ニュースでは連日有名人の不倫が騒がれている。
(この手のニュースは本当にうるさいし時間の無駄だからやめてほしい。放っておけばいいのに。)


 我々は、歳を重ねるごとに「永遠の愛」など存在しないとうすうす気付き始めるし、関係を持続させることは大変難しいと理解してもいる。

それなのになぜ、人は一夫一妻の結婚という制度に従事してきたのだろうか。一夫一妻や、結婚に代わる関係は存在し得ないのだろうか。

 一夫一妻制はモノガミーとも呼ばれ、その歴史は今から約1万年前、農耕が始まった頃に遡る。ホモ・サピエンスが誕生してから現在まで約30万年であるから、人類史においてモノガミーの歴史は非常に浅いと言えるだろう。

このころ、狩猟文化から農耕文化に切り変わったことで、土地の所有権が重要な問題となった。部族や民族ごとではなく、妻が夫の家庭に入り、血を分けた家族ごとに分かれて暮らし始める。

しかし、妻の身体から生まれる子どもが妻の血を引いていることは確かだが、その夫の血を本当に引いているのか証明する手段はもちろん当時は存在しない。妻の方も、男尊女卑の世界で女性一人で子どもを育てることができなかった。そこで、一夫一妻制が採用される。

女性は性的な忠実さを夫に差し出すことで財力やサービスを受け取り、男性は弱い女性を守ることで自分の遺伝子を残す確実性を手に入れたのだ。

その後何千年もの間、結婚は労働力や親戚を増やす手段となり、時には和平協定などにも使用された。幕府と朝廷が仲良くするために娘を嫁がせる、とかもあったよね。

モノガミーは人類が生物学的に元から持っていた性質ではなく、その方が都合がよかった、という文化的につくりだされたものなのだ。

もちろん、モノガミー制度を持たない文化は現代にも多く存在する。例えばベネズエラのバリ族は、女性が妊娠中に関係した男性は全員が父親として子育てを担う。母親が複数の男性と関係を持って、父親の数が多い子どもは、そうでない子どもに比べて成人できる確率が高いという。


 男女個人の、恋愛と性(出産)が婚姻と結びつくという概念、ロマンティック・ラブ・イデオロギーが西洋でうまれたのは1700年代のことだ。

ロマンティック・ラブ・イデオロギーをかみ砕いて考えてみると、恋愛による一時的な感情の高ぶり、出産による遺伝子の継承、結婚による社会的な安定、といった目的の異なるもの同士をひとつにした考え方であると言えるだろう。

ロマンティック・ラブ・イデオロギーが社会に定着する依然は、恋愛・出産・婚姻は分けて考えられていた。「愛しているから結婚する」「子どもができたから結婚する」というシステムは、実は人類の歴史で言えば全く新しいものであり、こちらも生物学的なものに起因するのではなくひとつの文化だと言える。


 さて、以上のことを踏まえると、ロマンティック・ラブ・イデオロギーに基づいたモノガミーが依然として現代社会の理想とされていることが非常に不自然に思えてくる。

現代では完全ではないにせよ、女性は男性に匹敵するほどの経済力を持つことができるし、基本的には法律も男女平等であるので、かならずしも男性によって守られる必要はなく、モノガミーである必要性は低い。


 ほとんどの人が婚姻前に何度か恋愛を経験し、避妊器具を使用して生殖目的でないセックスを楽しむ。

不倫が別段珍しい話でないことからも、婚姻を無理やりに恋愛や出産と結びつけるロマンティック・ラブ・イデオロギーに弊害が生じていることは一目瞭然だ。

更には、近年夫婦別姓や同性婚の議論が盛んになるなど、結婚の多様化に関心を示す人が増えている。「いつ結婚するの?」「子どもの予定はないの?」という発言も、場合によっては問題視されるようになってきた。恋愛=結婚、結婚=出産、といった、固定観念が変化してきていると言えるだろう。


 アメリカに留学していた時、自分のことを「リレーションシップ・アナーキー」だと称する友人がいた。リレーションシップ・アナーキーとは、自分と誰かの関係性を、ロマンティック・ラブ・イデオロギーが当然だと考える他人や社会に支配させないとする考え方だ。

彼女は女性のパートナーとも男性のパートナーとも性的かつ恋愛的な関係を持っていたが、両パートナーともそれに同意していたから浮気、というわけではなかった(ポリアモリーとも言う)。

彼女と親しくなるうちに、既存の価値観や制度になんの疑問も抱かず従っていることが大変不思議に思えてきたのだった。

愛は感情であり、結婚はシステムである。
システムは自然発生的ではなく、人工物だ。(めちゃくちゃ当たり前のことを言うた。)

それを混合して考えるから世の中ややこしくなってしまった。

 社会と共に性や愛が変化するのは当然である。実際、ロマンティック・ラブ・イデオロギーの誕生も大きな変化だったのだ。

我々は現在、1700年代とはまったく異なる環境に生きている。女性は経済的・法的な抑圧から解放され、男性は社会的抑圧から自由になるという人類史上初めての体験をしている。

そんな中で、婚姻制度だけは1700年代から変化せず、伝統的な家族観を保持するべきだ、という考え方にはいささか無理があるだろう。

てか伝統的な家族て、ナニ。

リレーションシップ・アナーキーやポリアモリー、同性婚や夫婦別姓といったさまざまな選択肢がより広く議論され、認知されたらもっと生きやすくていいのにな。


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