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ファー・アウェイ 2009年4月28日

髪をサラサラにしたくなる。
ふと、ある感覚に襲われると
どこまでも髪をサラサラにしたくなる。

それで美容室に行って
高いお金を払って髪をサラサラにして
帰ってくる。

髪をサラサラにして
笑顔を貼り付ける。
私は笑顔を貼り付ける。
同じものが色あせて見えるから。

優しかったものが
涙したものが
勇気付けられた場所が
一晩中踊り狂った場所が
遠い遠いものに見えたから。

私は悲しくなって
わからなくなって
ただ微笑む。

泣いていないな、と思う。
泣きたいことはいっぱいあるのに
泣いていない。
飲み込んでばかり。

じゅるる
さめざめと、よっぴいて泣くのは
きもちがいい。
飲み込むのではなく。

何も感じない私は
涙を忘れて
ただ笑顔を貼り付けて
不自然に笑い続ける。
ビィルを飲みながら。

そうして遠い遠いところから
「なんで笑ってんの?」
という声が聞こえて
あっ、と急に恥ずかしくなって
それでむかしむかしのことを思う。

その人の目の奥の奥の方から何かが飛んでくる
いつだって見透かされている。

そうだった
何年か前
ずぶぬれで息も絶え絶えになっていたのを
海から引き上げてくれたときも
全部わかってしまった様な気がして
だから私は泣いた。
泣けた。

なのに。
ビィルを飲んでも全然酔わなかった
酔わないままものすごく気持ち悪くなった
何も感じない私がただただ恥ずかしかった。

爪に塗られたピンクのマニキュアが
キラキラ光るアイシャドウが
テラテラ輝くグロスが
夜の鏡に映っていろいろなものを遠ざけるから
私は恥ずかしくなって
家に帰って一生懸命
一生懸命全部を落とした
寄ってこないでね
見透かさないでね

遠いです。
私のすぐそばにあったもの
すぐそばにあった場所
いろいろが遠くなって
そうか、もともとすぐそばになんて
何もなかったんだった、と思う。


それが悲しいわけでもなく、
ただ
ああ遠い
と思うだけ
近くにあるものはなんだったかしら
どこにあるのかしら

鮮やかな色の風船に空気を入れて
自分の部屋から窓に放つ
それで
晴れ渡った青い空に高く高く飛んでいって
次の瞬間
ぷうしゅーっと空気が抜けて
自分の、この部屋に戻ってきたような
そんな感じ。

寂しい風景なのに、悲しいのに、
なんだか落ち着く
寒々とした部屋
湿った空気と
マイナスイオンを放つ
自分で買ったサンスベリアの鉢

落ち着くのはこの場所だけで
窓の外は遠い遠い景色になっている

風船はパンパンになっているときしか割れないのに
空気が抜けてしわしわになってから
割ってしまいたい、と思う。
でも、腑抜けの風船はどんなに針でつついても割れないから
次にパンパンになって空に飛んだら
今度こそ割ればいい
それでパァンと粉々に飛び散ればいい
鮮やかな色の風船の破片が世界中に飛び散ればいい
と、そう思うのだけど
パンパンになって空を飛んでいるときは
割ってしまいたいなんて思わないことを
本当はわかっているのです。

髪を、
高いお金をかけて
髪をサラサラにしたので。

また
窓の外が近づいて
それで飛び立って遠くになって
戻ってくるのかしら。

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※この記事は、2009年4月28日の日記を転載したものです。

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