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息子と日本旅:いわき編 アートってなんだろう

いわきは、私が今回の旅でどうしても行きたかった場所。尊敬するノンフィクションライター、川内有緒さんのおすすめの場所だ。

川内さんのこと

おすすめの場所というよりも、なにを隠そう、いわきは開高健ノンフィクション賞を受賞された「空をゆく巨人」という本の舞台になった場所なのだ。

川内さんの本に初めて出会ったのは、2015年のお正月。ハルを妊娠し、お腹の中で成長が止まっていることがわかり、不安な気持ちいっぱいでこども病院に入院していたときのこと。ネットでありとあらゆる情報を検索し尽くし、図書コーナーの関連する本を読み尽くし、涙を流し疲れ、そうして、ああ、楽しい本が読みたいな、とふと我に返って、Amazonで購入して病室に届けてもらったのが「パリでメシを食う。」だった。

彼女のいいたいこと、彼女の考え方がとても自然にすーっと中に入って来る感覚が心地よかった。その後、「パリの国連で夢を食う。」「晴れたら空に骨まいて」と彼女の著書を読むたび、深く共感し、こんなにも自分の心に響くことを上手に言葉にしている人がいるなんて、と驚きを重ねていった。そして2017年、夫が国連に転職したいと言い出し、しかも赴任地がバングラデシュだと聞いて、川内さんの「バウルの歌を探しに」を読んだとき、これはなにかのご縁かもしれない、とついに御本人に連絡してしまったほど。

その後私達は結局インドに赴任地が変更になり、この「空をゆく巨人」を出版された後もしばらく読めずにときが過ぎた。

今回日本に来れることになって、本を手に入れ、読み始めた。ところが、自分が今考えていること、自分が今書いていることに、あまりに通じることばが並べられていて、これはいかん、これは私が影響されすぎてしまうかもしれん、と一旦本を閉じてしまった。そんなことってある?? 共感しすぎて本を閉じてしまうなんて、そんな経験初めてだった。まずは自分の考えをきちんと整理してから読まなくちゃ、と思ったのだ。

いわき回廊美術館へ

そんな思いのまま、いわき回廊美術館を訪れた。少し離れた駐車場に車をとめ、遠足気分で歩いていくと、すーっと黒いプリウスに追い抜かされた。

それが本の主人公、志賀さんだった。

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空からも見つけられるくらい、万本の桜で山を埋め尽くしたら、震災で避難していった人たちもいつか戻ってくるんじゃないか、という思いで志賀さんが始めたのが、いわき万本桜プロジェクト。この万本桜プロジェクトを進める里山の中に、同じく物語の主人公、蔡國強さんと共に創った少し変わった回廊型の美術館が、いわき回廊美術館だ。

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回廊には蔡國強さんといわきチームが世界各地で作品を作り上げてきたプロセスや、地元の子供達の絵などが展示されていて、山のてっぺんにいくと、蔡國強さんの廃船の作品が存在感を持って展示されていた。

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そして回廊を少し外れた場所にはsolo unno(一冊の図書館)という川内さんが館長をするこれまた少しかわった図書館があった。

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自分の大切な一冊ばかりを持ち寄る図書館、という素敵なコンセプトのようだけれど、残念ながらこのときは扉は開かなかった。

のんびりじっくりウロウロしていると、志賀さんが燃やす火に息子が近寄っていって勝手に暖を取り始めた。すると志賀さん、「干し柿だぁ」と干し柿を下さる。わあ、ありがとうございます〜と言って美味しくいただき、「本に出てくる主人公の志賀さんですよね」と恐る恐る話しかけてみる。にかーっと笑って応じてくれる志賀さん。私達が旅をしている経緯など少しお話していると、志賀さんもこれからの構想のことなどをポツポツとお話してくださった。キラキラした目で話す様子は、本気で夢を実現していく力強い少年のようで、ずっとこの人とお話していたい、という気持ちにさせられた。化石館と水族館に早くいきたい息子に急かされて、なくなくその場を後にしようとすると、「写真とっていい?」とビックスマイルで志賀さんに言われ、もちろん!と私達は不思議な自撮り写真を撮った。

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私のカメラで撮ったのはピンぼけだったのだけれど、その後志賀さんのカメラでとったいい写真を送って下さった。(LINEで!笑)

この場所にいて、蔡國強さんと志賀さんたちの作り上げたものを見ていると、私達が去年まで住んでいた南牧村で出会った人物の作品が自然と思い出された。標高1350mでトマトを作る、雲の上のトマトの高見澤憲一さんだ。彼が作家名一姓としてつくる、農機具の廃材を用いた作品たち。牛、カブトムシ、カマキリ、廃材として捨てられるはずだったものたちに、再び生命を吹きこんでみたかったのだ、と憲一さんは言っていた。どれも力強く堂々としていて、圧倒的な存在感のある作品だ。

山のてっぺんにある蔡國強さんの作品のコンセプトが「廻光」(朽ち果てた船が再び蘇るという意味)である、ということにも通じるものがあるな、と思った。そんなことを考えていたら、当の憲一さんから電話がなった。来週お会いしましょう、と話をして電話を切ったけれど、憲一さんにこの場所を、志賀さんをご紹介してみたいなあ、と心の中で考えていた。

アートと健康

アートってなんだろう、ということをここのところずっと考えている。私はこれまでアートに詳しかったわけでもないし、きちんと勉強したこともないので、こんな壮大な問を立てる事自体恐れ多いのだけれど、気になって仕方がない。学生時代に苦しんだこと、そこから救われた経験のこと、TEDxSakuのこと、その後ハルがうまれたこと、インドへの移住、自分の数少ない経験のことを少しずつ追いながら、考えている。

生活にどうしても必要ではないけれど、あったら生活が豊かになるもの、がすべてアートなのだとしたら、子どもたちの一見無駄に思える石ころ集め落書きや、他愛もない兄弟げんかは、もしかしたら彼らにとってのアートなのかもしれない、と考える。そしてその一見必要なさそうな彼らのアートは、これから先、彼らが生きていく上で大事な根っことなっていくのかもしれない。

アートは生き様そのものなのか。自分のアート(根っこ)がある生き方こそが、もしかしたら自分が健康に生き、自信を持って死ぬために必要なことなのかもしれない。

万本桜プロジェクトでは、たくさんのボランティアさんたちが、すすんで草刈りをし、植樹をし、敷地の手入れをしているという。志賀さんにいわせれば、「何十年も先を見てつくっていくっていうことが、楽しいんだろうなぁ」だそうだ。それだけでこんなに人々が集まるものなのか。

このいわきの回廊美術館や、万本桜プロジェクトが、蔡國強さんというアーティストと、志賀さんと、志賀さん率いるいわきの人々とともに作られていくということ自体が、アートなのだろう、とふと考えつく。自らが健康に生きるための確固たるアートを、皆求めているのかもしれない。

息子のアート

息子はその後、石炭化石博物館と、アクアマリンを目一杯楽しんだ。彼にとって、化石や鉱石を眺めたり、時には手に入れたりすることが、きっととても大切なアートなのだろう。私は楽しそうに見て回る彼を、羨望の目を持って眺めていた。

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それにしてもこのアクアマリンふくしま、ただの水族館と思っていったら、ものすごく素晴らしい場所だった。化石の展示あり、川の生き物についての展示有り、地層についての説明あり、歴史と絡めながらそれらを上手にスタイリッシュに展示されている様子は、まるで壮大な博物館のよう。中に寿司屋がある水族館というのも、きっと他にはないのではないだろうか。そのコンセプトもまた秀逸。

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いわきでお世話になったゲストハウスも、その出会いも、回廊美術館も、そしてアクアマリンも、大好きになってしまった。次はぜひ家族をみんな引き連れてかえってきたい場所。(家族みんなで日本に来れるのはいつになるのか?)

いわきの出費

高速バス 4130円

お弁当 1160円

レンタカー 9240円

スーパー 2718円

ラーメン 1800円

化石館 990円

水族館 2750円

潮目食堂 1900円

ガソリン 850円

Gamp house 13800円



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