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はるるん、インドで学校を探す

最初に「はるるん、インドに染まる」のポストで誤解を招いてしまったかもしれないので敢えて言ってしまうと、個人的にはあまりハルが歩けるようになるとは思っていない。

インドに学ぶ姿勢を

まだ余裕がないのでインドにきてから病院に行っていないが、これからこちらで病院も受診して主治医をみつけ、リハビリや医学的な治療を続けていくつもりだし、私のハルに対する接し方は基本的には日本にいたときと同じである。

ただし、彼女を愛してくれるインドの人たちが、彼女に良いと思ってやってくれること、彼女のためにしてくれることは、ありがたくうけとり、私もそれにならっていこうと思っている。自分の思い込みを見直したり日本にいたら気づかなかったことを発見するよいチャンスだと思う。

楽観はしないが、悲観もしない。ハルを大事にしてくれるインドの人たちに感謝をして、インドに敬意をもって彼女たちに倣う。郷に入りては郷に従うのみである。インドに来る前から夫と決めていた方針だ。

ハルの居場所さがし

さて、ハルについて、次なる懸念事項は居場所づくりである。

素晴らしいお手伝いさんがきてくれて、お家での生活は快適になったけれど、お家にずっとこもっているわけにはいかない。はるかだって立派な3歳児なので、お友達と遊びたいし、音楽やスイングや、好きなことを思い切りやりたい。

ハルの居場所を見つけるにあたって、まず頭に浮かんだのは保育園だ。日本で4番目のレンチビを出産するときに保育園でお世話になった1年間は、はるかにとって宝物だ。保育園の先生やお友達と過ごした時間の中で、たくさんできることが増え、そしてたくさん楽しい経験をさせてもらった。その後お世話になった療育園も、とてものびのびといろんな経験をさせてもらい、ハルにとっても私にとっても心の拠り所になった。

レンチビも遊びたい盛りなので、レンチビも通うつもりで保育園を探すことにした。

幸い日本人マダムの紹介してくれた保育園が、ハルについて話を聞いてくれるというので見学に行くことになった。日本人マダムいわく、「インドは人がたくさんいるから交渉次第できっとハルちゃんのサポートをしてくれる人を付けてくれるよ!」とのこと。

確かにインドは人口13億人、中国に次いで第2位の人口を誇る国である。あらゆるところで仕事が細分化されている。耳かきをする仕事の人、一日中卵とじを作るのが仕事の人、ガードマンさんは数人交代でドアサイドに立っているし、ショッピングモールの工事は実にアナログに一つ一つ人が手で石を並べていく。

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先日うちの壁を修理しに来たおじさんは、漆喰を塗ったあとじーっと部屋の片隅でただ乾くのを待っていた。ほぼ4時間、ただずーっと部屋の片隅に座っていたのだ。なんというか、マンパワーが豊富なのである。

話がそれた。

見学に行った保育園の園長先生はとても知的で柔らかな物腰の素敵なインドマダムだった。

「目が見えないのは問題じゃないのよ、保育園で彼女が心地よく過ごせるなら通ってもらって全く構わないわ。最初はレンと一緒に登園して、お母さんと一緒にアクティビティの日を楽しめばいいわ。慣れるまで様子をみましょう。月曜日は音楽、金曜日は陶芸の日だから、それを楽しみにいらっしゃい。無料でいいから、お母さんと一緒に来てね。しばらく通って慣れたら、少しずつ一人でいられる日を増やして行きましょう」

日本のM村で普通の保育園に通わせてもらったことはかなりラッキーなことだったと思っているけれど、インドでこんなふうにさらりと受け入れられるとはあまり予想していなかったので、とても驚いた。

「脳性麻痺の子が以前にもこの保育園に通っていたのよ、だから良い訪問リハビリのセラピストを紹介するわ。それに、もしよければ、ここからすぐ近くに特別支援学校があるから、一度そこも見学に行ってみたらいいわよ。私達はただハルと遊ぶことしかできないけれど、そこの先生たちはスペシャリストだから、そちらに通うことは、ハルにとってもきっと良いと思う。週の半分ずつ通うという選択もできるし。」

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なんと!訪問リハビリのセラピストをいずれ探したいと思っていたけれど、こんな形で紹介してくれるなんて。園長先生や他の先生達のハルへの接し方にも好感がもてたし、普通に受け入れてくれることにもとても感動した。

なんだなんだ、みんな、いい人じゃないか。

インドに行くとわかって主治医は「普通行かないよね!?」と驚きを隠さなかったし、盲学校の先生は「インドはそういう学校があってもやり方が遅れているかも・・・」と不安気だったし、リハビリに関してネットで探していてもほとんど情報が集まらなかった。だけど、みんなこんなにはるかを大事にしてくれるじゃないか。遅れていようがやり方が違おうが、はるかを愛してくれる人がいれば、それで大丈夫だ。

ふいに涙が溢れそうになってしまった。

はるるん、おまえさん、インドでも愛されてるよ。

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余談だが、レンチビはPlay Schoolでお友達を見つけると、見る人見る人みんなにハグをして突進していった。お前さんにもお友達と遊ぶ場所が必要だ。

Tamanaとの出会い

さて、そうして紹介されたのが、Tamana Special Schoolという家から15分ほどの場所にある特別支援学校である。その後パミさん(うちのメイドさん)と話をしたら、ニューデリーだけでもたくさんの特別支援学校があるらしい。

「You can choose!」

びっくらこいた。日本にいた時は、養護学校も盲学校も車で1時間以上かかる場所にあって、選択肢はほとんどなかった。それでも村の保育園ではとても良くしてもらったし、隣町の療育園にも本当に救われたけれど。

後日改めてTananaに見学に行き、結局12月からTamanaに通ってみることに決めた。

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TamannnaにはOT, PT, ST, 特別支援の教諭,そして臨床心理士など専門家が勢揃いしており、日本で書いてもらったリハビリの紹介状や医師からの紹介状などを提出してきちんとアセスメントをしてくれる。

就学前の子供から高校生まであらゆる年齢の子が通う学園になっていて、主に発達障害、そして少しの身体障害や重複障害の子が通っている。

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そしてこれが、ハルのホームルームだ。3歳から6歳までの子が母親やナニーさんと通う。

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レンチビが入園をきめたTamanaの近くの保育園も、長男長女が通うBritish Schoolも、日本人含め多くの外国人の人が通う場所だが、このTamanaに関して言えば、日本人はハル一人である。もっといえば、外国人はたぶん、ハルだけだろう。心地よいアウェイ感。面白い。面白すぎる。ハルのおかげで、なんて面白い場所に潜入できたんだろう。

というわけで、次回からハルとともにインドの特別支援学校の様子を少しずつお届けしていくことにする。

(つづく)



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