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ダンス事始め日記 序章

最初に出会ったダンスの記憶

学生時代ガリ勉だった私には、読書以外のアートや文化的ななにかが入る隙間は殆どなかった。

でも、本当はずっと憧れていた。
ダンスにも、音楽にも、演劇にも、絵画にも。

ガリ勉が実を結んで大学に入学したはいいものの、居心地が悪くなって大学の外で仲良くなったのは、いつも大きなつばの帽子をかぶって指より大きな指輪をしていた絵描きの卵、空の写真ばかり撮っていた写真家の卵、四六時中音楽の中で生きているDJの卵、猫と女の子の絵と本人そのものがかわいいイラストレーターと、靴下に異様に詳しいお姉さん、いつもふざけてばかりいるのにクソ真面目に生きるバンドマンと、その周りの愉快な仲間たち。

彼らと出会って、私はずっと本当は憧れていた音楽や、絵や、ダンスや、そういう文化的ななにかにソロソロと歩み寄った。

その頃に下北沢で鑑賞したダンスが、忘れられない。
体の線が全てむき出しになる衣装を身に着けて、無言で、これでもかとからだを大きくこちらに開いてくる、そして舞台にいるダンサー同士による生命を感じる関わり合いのパフォーマンス。

圧巻だった。

何が、とか言葉にはならなかったし今もできる自信がないけれど、とにかくそれは強く強く私の脳裏に焼き付いて離れなかった。
それが私の、コンテンポラリーダンスとの最初の出会いだ。

重心児のコミュニケーションを探る

それから約10年後、私は三度目の出産で、重度の障害を持つ子ども(=ハル)の母親になった。ハルは、8歳になった今も言葉を持たないし、体を思い通りに動かすことができないし、目も見えない。

ハルはいったいどうやってコミュニケーションをとる?
ハルはどうやって自分を表現する?

そんなぼんやりした問を抱えながらハルの子育てをする中で、引き寄せられるように出会ったのが砂連尾理さんの本だった。

砂連尾さんが介護施設で始めた「とつとつダンス」は、介護の現場によくある単なるケアの一種ではなく、様々な立場の人とダンサーである砂連尾さんが混ざり合うようにして、一見バラバラで無意味で不可解な動きしながら、かみあっているようないないような一つのパフォーマンスをつくりあげる。

それは、言葉がなくても、体が不自由でも、目が見えなくても、耳が聞こえなくても、どんなできないことがある人でも、からだとからだを開きあうことで可能になるコミュニケーション。他者との関わりの中で自分のからだがどう変化するかを感じ取り、感じたままに動くことで、見る人をストレートに圧倒する。

ハルも、ダンスができるだろうか。

私は、かつて下北沢で見た抽象画のようなコンテンポラリーダンスを思い出しながらそんなことを考え始めた。

それからしばらくすると、私の心中を察するかのように自治体広報誌に以下のお知らせが掲載された。

もちろん、迷わず申し込んだ。

コンテンポラリーダンス市民講座

最初は「これがダンス?」と思うようなことばかりだった。
ペアになって主体と客体を交代し合うとか、誰も主体でも客体でもなく、でもなんとなく空気を察して動きを揃えるとか。使っていない脳みその部位をグリグリとつつかれるような感覚が、次々にいろいろな思考を促してきて、脳みそが慌てるほど刺激的だった。

さらに、螺旋をイメージすることで絶対にできないと思っていた動きができるようになることや、空気とからだを使って相手との関係を探り合うことは、普段使っていないからだの部位に冷水をかけるようで、想像以上に爽快だった。

講座を重ねるごとにもっと自由にからだを感じたいと思うようになった。ガリ勉生活で図らずも培ってしまった頭でっかちの思考の枠を取り払い、もっと柔軟に相手のことも感じたいし、もっと身体や自分の存在を開放したかった。

有志のダンスクラブ立ち上げ

あっというまに終わってしまった全5回の市民講座の後、ハルのことも下北沢のことも一旦忘れて「もっとやりたい」に全振りした私は、ダンスを継続したいと口に出した。すると他の参加者の希望もあり、講師の栄ちゃんにお願いして、「完全素人だけどとにかくコンテンポラリーダンスというキーワードにひっかかった」という共通項だけを携えた有志で集まり、ダンスを継続することになったのである。アラフォーの図太さよ!わっしょい。

2024年1月、その有志によるコンテンポラリーダンス第1回がついに実現し、ドイツ滞在歴のある講師の栄ちゃんにより<das Leben ist der Tanz>というかっこいい名前を与えられた。

<人生はダンスだ>

(ほぼ)40にして新しいことを始めることも、それが、仕事とは全く関係ないダンスであることも、「コンテンポラリーダンス」というキーワードに引っかかっただけの愛すべき仲間たちも、もちろん講師の栄ちゃん夫妻も(おこちゃまも!)どれもホームランバッター級に面白いので、このダンスの様子を日記として記録していくことにする。

わたしたちがどのように変化していくのか、あるいはしないのか。後から読み返してクスクス笑ったりできたらいい。

<das Leben ist der Tanz>
<人生は、ダンスだ>

なーんて、言える日がくるのか?

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