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はるるん、日本で学校に行く

2年3組質問タイム

児童:「好きな色はなんですか?」
Z:うーん、目がよく見えてないから好きな色はよくわからないの。

児童:「どうして目が見えないんですか?」
Z:
今はちょっと遠いからよく見えないかもしれないんだけど、よーくはるるんの目を見てもらうとね、目の真ん中が白く濁っているのがわかると思う。みんなの目は、黒い瞳の真ん中の部分が少し色が濃くなってると思うんだけど、はるるんは白く濁ってて、それで目が見えないの。
Z夫:「白内障」っていう病気なんだけど、生まれつき眼球が小さくて手術もできないっていわれたんだよ。

児童:「目が見えないのに、どうやって『きれい』ってわかるんですか?」
Z:
うーん、難しいね。〇〇ちゃんが「きれい」って思うものって例えばなんだろう?
児童:「宝石とか、キラキラした石とか、そういうのがきれいだなって思います。」
Z:
なるほど。キラキラしているものってきれいだよね。でも、〇〇ちゃんがきれいだなって思うのは、目で見てきれいっていうことだとしたら、はるるんはそういうのは難しいかもしれないね。そもそも、言葉がどのくらい分かっているか分からないから、「きれい」っていう言葉の意味をまずはるるんに伝えないといけないよね。どうやったらはるるんに「きれい」ってことが伝わるか、私もよくわからないの。だからぜひ〇〇ちゃんも一緒に考えてみてほしいし、「きれい」をはるるんに伝える方法を一緒にいろいろトライしてみてほしいです!
Z:それと、目が見えない世界で生きてるはるるんにとっては、なにか別の感覚の「きれい」があるかもしれないよね。はるるんにとっては、音や風やにおいが、〇〇ちゃんの「きれい」と感じてる感覚とおなじように感じることもあるかもしれない。むかーしの人と今の人で、例えばどんな人が美人って言われるか変わってきたっていう話は聞いたことあるかもしれない。周りの様子とか時代とか、しゃべる言葉とかいろんなものによって「きれい」って変わるのかもしれないよね。

Z:みんなよりできないことが多いはるるんだけど、一つだけ、みんなが持っていないものをはるるんは持ってるんだけど、それがなにかわかるかな?
児童たち:「えー?」「なんだろう?」「・・・・・・」
それはね、目が見えなくて、身体も自由にうごかない中で感じる世界。それは、はるるんにしかわからないでしょ?笑
目が見えて自分で何でもできる私達が知らない世界を、はるるんは知ってるんだよ。はるるんだけが知ってる世界を、どうやったら私達も知ることができるか、みんなにも一緒に考えてほしいなあ、と思っています。

児童:「耳は聞こえるんですか?」
Z:
耳は聞こえます。でもね、生まれたばかりのときは、目も見えないし耳も聞こえないかもしれないって言われたんだよ。それで病院で検査をしたんだけど、耳の検査ってみんなもしたことある?音が聞こえてきたらボタンを押すやつね。あれをやったんだけど、その時はるるんはまったく反応がなくて、ああやっぱり、耳も聞こえないのかもしれないって思ったんだけどね。退院してお家に帰ってお兄ちゃんやお姉ちゃんの声が聞こえると、もうびっくりするぐらいニッコニコになったの。それで、興味のない音は無視してただけなんだって分かったんだよ。面白いよね。

児童:「どうしてこういう車椅子に乗ってるんですか?」
お腹の中にいるときから、なかなか大きくならなくてどうしてかなあって思ってたんだけど、生まれてみていろいろ検査をしたら、お腹の中にいるときに、頭の中で何回も血管が壊れてしまっていたことがわかったのね。そのせいで、身体を上手に動かす機能がうまくはたらかなくなってしまって、首もみんなみたいに真っ直ぐに起こせないし、歩くことはもちろん座ることもできないから、車椅子に乗って移動しています。

これは、二学期の終業式前日、地域の小学校の2年3組でのやりとりである。

日本の小学校に体験入学

夫とともにフィリピンに暮らし始めてまもなく2年の次女ハル。うまれつき肢体不自由で目が見えない。重い知的障害もあり、いわゆる重度心身障害児に分類される。

現在小学校2年生に該当するが、この2年、フィリピンで学校に通っていない。彼女が学校に毎日通う必要性を親の私達がそこまで感じていなかったのも事実だけれど、同世代の子どもたちとつながれる居場所はつくってあげたかった。

しかし、フィリピンでハルを受け入れてくれる学校探しは極めて難航した。外国人を多く受け入れているインターナショナルスクールの面接も受けたし、日本人学校とも話し合いを重ねたが、結局在籍は難しかった。半年以上の話し合いの後に日本人学校の音楽の授業に1回お邪魔させていただいたのが唯一の結果である。

そこで、今回の一時帰国中、兄と姉が通う日本の小学校に体験入学をさせてもらうことを思いついた。学校は二つ返事で承諾してくれ、1ヶ月後の体験入学日がスムーズに決まった。

「車椅子、押したい人いる?」
事前に簡単な打ち合わせをして迎えた当日、学校玄関まで迎えにきてくれたクラスの子たちに声をかけると、我先にとたくさんの子が手を挙げ、奪い合うようにしてバギーの後ろを陣取った。

「はるるんね、結構スピード好きなんだよ!」
敢えていたずらっぽく伝えてみると、案の定、みんな乗ってくる。ノリノリだ。ものすごいスピードでハルのバギーを押して、教室まで連れて行ってくれた。ハルはニコニコだ。

2年3組のM先生が子どもたちと一緒に考えてくれたプログラムは5つ。

1.自己紹介・質問タイム
2.音楽(ダンス・手遊び)
3.図工(みんなで色をつけよう)
4.風船バレー・ロンドン橋
5.感想発表

冒頭で紹介したやりとりは、質問コーナーでの様子だ。
子どもたちのシンプルな質問は、どれも素直で、ときどき深くて、もっと直球で不躾な質問もウェルカムなのだけれど、みんな優しくて、嬉しかった。ひっきりなしに元気よく手をあげて、時間内では収まり切らないほどだったから、今度公園かイオン(帰国時の出没率高い場所)で見かけたら続きの質問をしてほしい。

準備していただいた授業は、子どもたちと先生とで事前に話し合い、はるるんも一緒に楽しめるよう考えてくれたという。

ほっておくとグーに握りしめる事が多いハルの手は、ずいずいずっころばしにぴったりだったし、風船の中に鈴を入れて、ハルが音と一緒に風船を楽しめるようにしてくれたアイディアには脱帽である。

一緒だからこそ描けた絵

中でも感動したのは、班ごとに分かれて絵を描くという図工の授業。ハルも描きやすいようにと、歯ブラシと網のセット、スポンジに割り箸を付けた道具、コロコロ転がせるローラー、紐がついた棒、ビー玉と、いろいろな道具を用意してくれ、自由に絵を描くことになった。

ハルが所属した班は、ハルの他に4人。一番人気であろうローラーを、「ほら、はるるん使って!」と持たせてくれる子、色付きが薄いとわかると、せっせと塗料を追加してくれる子、真っ白いセーターに色が飛ぶのもお構いなしに夢中になる子、泥のように手のひらを真っ黒にしてニヤニヤする子。はるるんが持ちやすい道具は何かと一生懸命に世話をやきつつ、みんな少しずつ大胆になっていく。

最初はおそるおそる色をのせていた
だんだん大胆に
途中、みずみずし過ぎる出来栄えに…(たれるたれる!)
なんとも言えない深い色になった

次々に色が塗り重なってきたない濃い色になっていく絵を見て、大人の私と夫はオロオロしてしまうのだけれど、そんなのはお構いなしだ。色をのせては壊し、壊してはのせ、次から次に思うがままに重ねられていく子どもたちのアート。

完成したと思ったら、Sちゃんが最後に虹をかけてた。
「はるるんのカラフル世界」

実はハル、指先にポップコーンというタイプの筆をつけて一人で絵を描くこともあるのだけれど、そしてそれはそれで素敵だと思っていたのだけれど、みんなと描いた絵には、一人では決して描けなかった深くて力強い色やタッチが表現されている気がした。

班のみんなが、この絵に「はるるんのカラフル世界」というタイトルを付けた。目が見えない、体が思うように動かないハルが感じている世界を、もしかしたら少し想像してくれたのかもしれないと思うと、この共に絵を描くという時間に、とてつもない重みを感じる。

空気を共にした証のテープ

普段は日中ウトウトしがちなハルだけれど、この日、クラスのみんなは「はるるん起きてー!」と容赦なかった。その結果驚くべきことに、彼女はほとんど眠らずに機嫌良く1日を過ごした。

帰り際、みんなは名札がわりに貼ってた名前のテープを、はるるんに貼り付けていった。誰かが声掛けするでもなく、みんな自然に、ベタベタと。

1枚、また1枚とテープが貼られるごとに、
「忘れないでね」
「また来てね」
と、一緒にいることを許してもらえていくような、そんな気がした。

そうしてみんなは、テープだらけでニコニコするハルを玄関まで見送ってくれ、しまいには上履きのまま外に出て、ハルが車に乗り込んで見えなくなるまで、ずっとずっと手を振ってくれた。

実はこの日、朝から夫婦喧嘩をして、学校に到着したとき、私達は超絶険悪な状態だった。出発前、寒さのせいか朝から痰絡みがひどかったハルの口の中をきれいにしようと、私がスポンジを口腔内に入れると、ハルは咳き込んで痰と一緒に10分前に食べ終わった朝ごはんを吐き出してしまったのだ。洗面所で身支度をしていた夫は眉間にシワを寄せ、慌てて攻めた。
「だから言ったのに!」

(なんやねん偉そうに!たまたまやん。)
私は嘔吐を刺激するようなことをした覚えはなかったし、たまたま口腔内をきれいにしていたときにハルが咳き込んだだけだったと思うのだけれど、いつも一緒にいる夫からしたらなにかひっかかったのだろう。ハルをめぐっての夫婦喧嘩あるある、である。

「そうやってさ、ハルに関わってくれる人に対してダメ出しばっかりしてたら関わってくれる人いなくなっちゃうよ」
私はそう言い返して、登校する車中には重苦しい空気が流れた。

私はただ、初めて学校のみんなに会うハルを、少しでも清潔に、かわいくしてあげたかっただけなのだ。だって、本当はちょっと怖かったから。ハルを連れて行って「きたない」とか「気持ち悪い」とか言われたらどうしようって、心のどこかで心配していた。

でも、学校に到着して、迎えに来てくれたお友達の様子を見て、一瞬でそんな不安は吹き飛んだ。私も夫も直前まで険悪な雰囲気だったことをすっかり忘れてしまうくらい、何も気にせずに子どもたちはハルを受け入れてくれた。そうして「またきてね!」と溢れんばかりの勢いで見送ってくれている。

なんだ。
空気を共にするって、やってみると思ってたより難しくないし、思ってたより怖くない。そして思ってた以上に、一瞬で溶け合えることもある。

お腹の中で十分に発育しなかったハルを出産して、はじめて家族と対面させるときも、同じように怯えていた私は、手放しで妹を可愛がる上の子達の様子に、同じようにホッとしたことを、思い出していた。

最初の質問タイムで「目が見えないのにきれいってどうやってわかるんですか?」と質問してくれたあの子が、「はるるんのこと、だーいすきになっちゃった!」とニコニコとはるの頬に触れてくれたのが、忘れられない。はるるんの「きれい」はなにか、ヒントは見つかっただろうか。

※illustration by ZJr

今回はあくまでも非日常の交流だったから実現できたあれこれというのも有ると思うけれど、次の記事(2023年1月末公開予定)では、どうやったら空気を共にすることを日常にしていけるのか、ということについて、重症心身障害児をめぐる教育の仕組みや事例に触れながら考えていく。

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