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医療は資源であって、魔法ではない

新型コロナウイルスを巡って、これまでの日本人の医療資源の使い方が変化しようとしている、と感じている。というかこれを機に変化してくれたらいいな、と期待している。

「診断」を欲しがる日本の教育現場

日本の学校で子供が発熱すると、必ずと言っていいほど学校や保育園から「医療機関を受診して診断を受けてください」と言われてきた。そうして何らかの感染症が判明すると、即座に「◯学年に1名、インフルエンザが出ました。体調が悪い場合は必ず医療機関を受診させてください」などと連絡がまわり、その度に当のお子さんが批難されているようでなんだか気の毒になった。

学校や保育園で感染症を流行させたくない、というのは分かる。最もだ。たとえばママ友同士でも、子供の行き来を通じて病気をもらったり逆に移してしまったりというのはしばしばトラブルのもとになる。

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しかし、「発熱あるいは風邪症状が出たらすぐに受診」という日本の教育現場における暗黙の基準に対して、あまりにみな受け身すぎるのではないか、と常々思っていた。

なぜ、発熱してしんどいときに、病院に行って時間をかけて受付をして診察をしなければならないのか。感染力が強いときに自宅で療養せずに他人に移すリスクをおかしてまで病院で診断を受けなければならないのか。

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疑問に思ったことはなかっただろうか。もしかして万が一疑問に思ったとしても、声を上げることができずにいる人が多かったに違いない。そこで異を唱えたら、体調不良なのに病院にも連れて行かないネグレクト、あるいは診断を受けずに学校現場に流行を引き起こすリスク因子として学校の先生たちや保護者の中から爪弾きにされてしまう可能性があるのだから。

普通の風邪は休んでいればいずれ治る

医師である夫は、もちろん診察室では様々な感染症を診断し、薬を処方していた。けれども自宅では、「病院に行ったら他人に移したり別の病気をもらうリスクがあるのだから、しんどいときは水分をとって自宅でゆっくり休んでいればいい」と常々言っていた。それがインフルエンザだろうが、ただの風邪だろうがなんだろうが、対処方法は同じだ。休んでいればいずれ治る場合がほとんどだから、わざわざ二重三重のリスクを負って病院を受診するよりは自宅で休んでいるのがよい、というのが持論だった。

「(風邪症状に対して)薬はもらわなくていいの?」と聞くと、「あれはおまじないみたいなところがあるんだよ。せっかく病院に来たのだから、何かしてもらわないと気がすまない人が多いから処方する。基本的には多くの風邪は休んでいれば治るんだから。」(※注:状況や場合によって、薬の処方が必要な場合もあります)

何を隠そう、私自身、こんなことを言う夫と、当初はよくぶつかった。そうはいっても、学校への登校基準とかあるんだから診断してもらったほうがいいんじゃないか、病院に連れて行かなくては私が学校や他の保護者から白い目で見られるのではないか。

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けれども子供が四人になり、一人は重症心身障害児、一人は乳飲み子、となると、実際、多少の熱発や風邪症状で病院にいくことのメリットは一つも見当たらなかった。小さい子や免疫力の弱い障害児を連れて病院という病気の巣窟に自ら足を踏み入れることはもはやバカバカしかった。一番弱いはずの障害児でさえ、風邪を引いて咳や熱などの症状がでた時に病院に行ったところで出来ることはほとんどなかったどころか、慣れない病院での水分補給や食事や排泄はむしろ彼女にとって負担でしかなかった。

そうして大抵の場合、水分をしっかりとらせてしっかり休ませて2〜3日すると自然に症状は治った。しっかり休養をとらせても4日〜5日高熱が下がらない、あるいは水分を十分に取れない、強い痛みがおさまらない、といった場合は医療機関を受診して、いつもと違う点や不安な点を医師に相談すれば、きちんとそこで医師は必要な処置をしてくれる。それで十分だった。

夫はしばしば「家で休んでいれば十分だ」を過信しすぎて長男の盲腸もみすみす見逃しそうになったのだけれど、子供の訴えや普段との違いをきちんと聞き取ることに関しては、最も近くで一緒に生活している家族の見立てはたいてい間違いない。おかしいな、を決めるのは本人や家族であって、そこに医者の資格は必要ない。(盲腸の長男を病院に連れて行ったのは夫ではなくて私、えっへん)

それぞれのケースにおいて、病院にいって出来ることはなにか、メリットとデメリットはなにか、毎回頭の中でシュミレーションをして、必要であれば病院にいけばいいし、必要なければ自信を持って自宅で休んでいればいい。これが私がたどり着いた結論だった。

それでも引き続き、子供が体調を崩す度に、周囲からは「医者につれていかなくていいのか」と言われ、学校からは「診断してもらってくださいね」と言われ続け、夫の言い分や私自身の経験から出した結論と、周囲の言い分との狭間で板挟みになっていた。

医療資源の使い方を見直す

今回、コロナウイルスが流行したことで

「風邪症状がある場合はむやみに医療機関を受診せずに自宅で療養すること」

「発熱が通常より長く続いたり、息苦しさや普段と違うしんどさを感じた場合は医療機関を受診すること」

ということが広く正々堂々と告知された。これはまさに、夫が常々私達家族に言っていたことであり、私自身がこれまでの子育てで実践してきたことだった。

日本で、これまでこんなことが声高に主張されることは、すくなくとも私の周りの親御さんたちの間ではなかった。私は得体の知れない罪悪感を少しだけ感じながら、それでも経験に背中を押されていつもこれを実践してきた。

今回のコロナウイルスの流行で、限られた医療資源を効率的に回していくために、このような方針が正式に広く告知されることになったことは、私にとって得体の知れない罪悪感を払拭できる喜ばしいことだった。

ある意味で私達の中に知らず知らずのうちに入り込んでいる「過剰な医療への期待/依存」を反省するべきよいきっかけになるかもしれない。

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医療は資源であって、魔法ではない。そこに行けば何かが得られる、というものではない。診断が何であるかにかかわらず、体調が悪いときはまず水分と休養をしっかりとる、という当たり前のことを、もう一度思い出してほしい。診断に振り回されて人間関係や教育機会を失うことは、本末転倒だ。大事なのは診断名でも薬でも腕の良い医療者でもなくて、あなたがあなた自身の体の声を聞くことだと思う。

本当にその資源が必要なときに、必要な人に届かなくなる事態を避けるために。

そして、ただでさえ争いの絶えない世界の中で、レイシズムがこれ以上横行しないことを願って。


★参考;病院の受診の目安がよくわからない、という場合は、愛する佐久が誇る先鋭集団が作っているこちら↓のサイト&アプリをぜひ!

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