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〝女〟ってレッテルが息苦しく感じる理由

フェミニストってわけじゃないけど、
モヤモヤしてる女の生きづらさってありませんか?
そんなモヤモヤを言語化してくれる面白い一冊の読書メモです。

言葉強めで私の偏見も織り込んで書いてますが、
モヤモヤが少しでもスッキリしたら幸いです。


この本を読もうと思った理由

『私もフェミニストってわけじゃないけど、
正直、結婚したら家事のプレッシャーに潰されかけたし、女性も社会進出しろって言われて育った世代だから、きつい。

たまにいるスーパーウーマンなら、むしろキラキラするかもだけど、僕にはみんなが求めてる全部を満たせるエネルギーは不足気味。
でも責任感という無意識で、言語化されてないプレッシャーに日々苛まれるてるから、たぶん女って生きづらないなって思う人は少なくないと思う。体調安定しにくいのに、軍隊みたいな出勤スケジュールこなさないといけないのは、そりゃ不調や軋みは出るよ。

そんな私の長年のモヤモヤが少しでも晴れますように☀️』


フェミニストじゃない、って前置き

「君はフェミニストなの?」
…中略…
意見が衝突しないように、よくそうしてきたように、私は口をつむぐことも出来た。
だけど、それは異なる意見から自分をしっかり守れるときの話だと、まもなく気づいた。

女性であることで直面する居心地の悪さや不当さ、ときに危険なことについて話すと、逆に世の中から押さえ込まれ、攻撃されそうになることがある。

本書より引用

ちょっとした、不満や違和感は、簡単に押し潰せる。
でも、誰かが声をあげると気づく人が増える。

きっと自分に影響がない、
それかむしろ利益を享受してる人たちは、
理不尽を被ってる人たちが変化を求めることを嫌がるか無関心かな気がします。

このnoteを書いてる時も、わりと慎重に少しドキドキしながら書いてます。
なんかすごい繊細な単語で、たまに思わぬ横槍飛んでくるから、いらぬ争いを避けるために。


大変なら変えたほうがいい

フェミニストは女性のための世の中を作りたいと話してるわけではない。
「性差によって与えられる義務や期待から自由になろう」という考え方で、それは男女関係ない問題だ。
だから、男の方が大変という、大変さ比べをするのではなく、
性別によって定められた部分をみんなで考えていくほうがいいのではないだろうか。

一部では、今まで女性がしてきたコルセット(女性を束縛するものの象徴)から抜け出したいと主張すると、
駄々をこねて権利を得ようとしてるとしているような言われ方をされてしまう。

本書より要約して引用

わがままと言われれば、なんか悪い考え方な気がしてくる。
著者の韓国では、自分のためだけにお金を使ってると「キムチ女」と言われるらしい。
日本でも、なんか良妻賢母みたいな、
結婚したら女性にめちゃくちゃ『お母さん』のように、包容力で倹約家で家事の世話も全部やってくれることを当たり前に刷り込まれてる気がするけど。
これはしんどいよ。産んだ覚えのない子供(成人済)が増えるんでしょ。
家事も育児も女性だって初心者スタートなのに、なんで旦那の教育みたいな、こっちからお願いしないと動がない前提なのだろうか。

知らず知らずのうちに、
出来ない自分がいけないんじゃないかって思わされるけど、
よく考えたら、妻はいつまでも恋人のような国柄もこの地球には存在しますから。

『お母さん』になったら、なったで、
目立ちすぎると、おしゃればっかりしてると、
なんかダメっぽい雰囲気ある気がします。
いつも脇役、目立たず、でもミスなくサポートしてこそ、やっと息できる感じ。
じゃないとなぜか責められるのは、父ではなく母である。

少しずつでも、もっともっと自由な世界になりますように。

いい夫といい妻の合格点の格差

いい夫の合格点はあまりにも甘い。
家事手伝うだけで褒められる。

いい妻は何しても褒められることは滅多にない。 

たまに自分に嫁いだら、実家のお手伝いとか全然ないって特権を自慢げに差し出すひとがいるが。
まず、彼はそもそもお手伝いは妻の仕事と思い込んでいる問題がある。
最初から自分が担う役目だとまったく思っていない。
しかも、その特権には、そのかわり、電話くらいはまめにしてよがついてくる。
これはありがたく思うべきなのだろうか?

本書より要約して引用

女性がこなさなければいけない家の中の当たり前は、デカすぎるのに、
それに気づいてるパートナーはどれくらいいるのだろうか。

家にいることは楽なことだろうか。
経済活動してる方が偉くて、
家のことは全部忘れても許されるのか。
家で楽してる方がやるのは当然で、
やったところで大したことじゃないって。

本書より要約して引用

夫がどれだけ家事を手伝ってくれるかではなく、
2人がどれだけ自発的に家事をこなすかが重要だった。
それが自立した大人ではないだろうか。

本書より要約して引用

常に家が綺麗で、ゴミも溜まってなくて、食べるものがあって、日用品が足りなくなることもなく、細々とした書類の催促状が届かないのは、
一人暮らしの時は各自で出来ていたと思うんだけどな。

なぜ一緒になった途端、思考から放棄してしまうのだろう。

配偶者に「お母さん」の役割を期待してはいけない。妻も夫も「お母さん」じゃない。
それに母親だって、もうスーパーウーマンじゃなくていいと思うのだ。

本書より引用




逆差別をなくせは、おかしい

もう十分平等になったから、女性のためのものはもうなくそうみたいな話。
日本だと女性専用車とかあたりの話かな。
歌舞伎町のジェンダレストイレの問題とかも記憶に新しいかな。



男は子供だから

男は歳をとっても子供だから
そこに含まれる意味は結局、女であるあなたが我慢してわかってやりなさいって包容力の搾取に近いものもある。
不思議と男性は子供と言われるのを嫌がらないようだ。まあ、男性のフリーパスだからだろう。

男は褒めて持ち上げるのが賢い女って思わされてきたけど、
男に自信を持たせるためなら、女には自信はいらなくて、自己卑下してもいいってこと?

それなら、私はその賢い妻をもらう側になりたい。
それでいいなら、私は子供になりたい。

本書より要約して引用

男の子は褒めて、自信を育ててもらえるけど。
なんか女の子は、もっとしっかりしなさい。
あれは女の子らしくないからダメ。
部屋汚いのはダメ。
行儀が悪いと男の子は元気だねで済まされるのに、女の子は矯正のように早くからたくさん怒られる。

これでは、どうやって自己肯定感、上がるのだろうか。
まあ、男でも厳しい家もあるから、人それぞれではあるけど、
小さい頃からそんなフィルターを通して性別によって接し方を変えられることは少なくなかったんじゃないかな。



自分の中の義務感との戦い

結婚して私を苦しめたの、外からのプレッシャーではなく、
私自身の中から湧いてくる義務感だった。
そして、これまで生きてきた中で、どれほど多くのことを嫁の義務として思い込まされてきたかに気づきはじめた。

「稼ぐこと」と「家事」は生きるために両立すべき領域だが、これを分担すると、
「稼ぐこと」を受け持つ側ばかりに権力が偏り、社会的に認められることが多くなる。

お金を稼ぐ人は家事をしないことに対する罪悪感が少ないのに対して、
家事と育児と出産を担当する側は、なぜ相手より自分の役目を果たせてないような後ろめたさを感じるのだろう。

本書より要約して引用

そうなのだ。
謎の義務感との戦いだし、

謎に当たり前のように、家事を押し付けられる願いは、私がやらなくてもいいことだと言わなければならない。

この謎の義務感なんだろうね。
たぶん言語化できたら、少しずつ減らせるかも。



全然マシになってきたけど、みんな平和になれる世界に‼︎

大変なら、変えた方がみんないいになる。
たしかに、我慢比べの言い争いからは何も生まれない。

もっと自分を大事にしていい。
自分のためにお金を使っていいし、
いっぱい休んでいいし、
無理しなくていい。

私はゆるふわな世界を生きたいです。
もっと多くの人が謎の義務感から解放されますように。

本には、もっといろんなモヤモヤを言語化していたので、目を通してみるのおすすめです!

最後まで読んで頂き、
ありがとうございました。

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