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轍のゆくえ


愛したが故に

愛して愛して愛して、愛したからこそ…失望した。
今覚えば、きっと自分の理想が高すぎたんだと思う。完璧を求めるあまり、満たさない全てを嫌っていた。
全て完璧でないと気が気じゃなかった。全部を手に入れたいから、足掻いた。もっと頑張ればきっと、私は私のままでいられる。完璧な私。私を見失わずに、ワタシで私以外の存在はいなくなる。
ー私で許してもらえる。愛してもらえる。


狐と裏の会合

狐とくえない子供

「先に入ってろ」

そう促され、俺を先頭に部屋に入る。案内をしてくれた男は、部屋の外で俺たちが入るのを見守っていた。一緒に入るわけではないらしい。罠を警戒していたが、勘違いだったようで一安心。だが、警戒は緩められなかった。
 部屋の中には、十人ほどの人間がそれぞれ集まり合って話していた。時間よりも少し早く来たつもりだったが、遅い方だったようだ。会合は少しピリついた雰囲気が漂っているものの、会話はそこかしこで行われていた。
 二人そろって知人、友人もいない。自然といつも通り二人でいることになった。

「入ったはいいけど、どうする?このままだと完全に浮いてるけど…潜入どころじゃないんじゃない?」

花見月がヒソヒソト話しかけてくる。完全に初めましての人間と顔見知りの人間。どちらが話しやすいかなんて明白。顔の知らない二人など、誰も話しかけようとしない。
 この場に入り込めただけでも上出来である。大国主命が偽りの身分を作り上げ、会場の情報を一通り提供はしてくれた。話しかけられても、怪しまれることは無いはずだ。あとは花見月の言う通り、浮きまくっているこの状況をどうにかしなければならない。何を探れとも指示されていない現状、関係性に亀裂を生じさせるのは悪手になる。

「とりあえず、分かれて関係を構築するぞ。そこから次の作戦を考える。上手くやれよ」

花見月が頷いたのを確認すると、俺たちは分かれて適当な集団に話しかけた。
 花見月がグループに混ざるのを確認しながら、俺も行動を開始した。

「なあ、ここに来るのは初めてなんだ。今はどういう状況なのか教えてくれないか」

手始めに二人組に話しかけてみた。一人はスキンヘッドに着物が似合う男、もう一人はショートカットで目元を強調するような化粧をし着物に身を包んだ女。なんとも派手な二人なのだろう。払い屋とはこんな派手な奴らなのか。しばらく見ないうちに変わっちゃって…親戚の子供を見るときはこんな気持ちなのだろうか。

「…中々見かけない顔でありんすな」
「まだペーペーだからな。やっと出世したんだ。先輩、色々教えてくれよ」
「へぇ。ここに来るには相当な苦労をしたんでしょうなぁ。会合に来るには、最低でも府に認められないといけないし」
「まあな」

府とは。聞いたことがない。最近できたものなのだろうが、ボロを出すわけにもいかず知ったかぶりをした。女がお喋りで話してくれたので、俺からは聞き手に努める。世間話が大半だが、その中でも掴める情報は掴んでおいて損はない。
 適当に相槌を打っていると、話が途切れないことに痺れを切らしたのか男が会話に割り込んできた。

「それで、お前さん名前は?出世頭につばをつけてておきたいもんで」
「おっと名前を聞くのは、自分が名乗ってから…だろ?」

咄嗟に機転を利かせた。我ながら良い判断をしたと思う。冗談交じりに指摘をして、男に先に名乗らせた。苦しいかと思ったが、時間稼ぎを疑われていなさそうだ。男は「失敬しやした」と、ワザとらしくリアクションをする。

「俺は松江で、こっちは出雲。お前さんは?」
「少し荒っぽい言い方をしてすまなかった。俺は久比くびだ。よろしく頼む」

二人と握手をし、笑いながら会話をした。松江は友好的に話してくれて入る。しかし、時折感じる懐疑は隠し通せていない。一方で出雲の方はそういった邪なモノを一切感じさせない。自分の魅力を引き出す方法を自分のものにしている。松江に気を向けさせ、出雲が隙をついて情報を聞き出す。二人で組むからこそ発揮できる能力。おそらく払い屋の中でも上位の実力者なのだろう。

 以下、松江と出雲による話である。現在払い屋は二つに分かれており、緊張状態が続いているらしい。お互いプライドが異常に高く、会合の度に喧嘩が絶えないのだとか。払い屋界隈では、二つの派閥を緋日辻ひつじ派と黒田くろだ派と呼んでいるらしい。
 緋日辻派のトップに降臨する男は、緋日辻かい。代々払い屋のトップを務めてきた緋日辻家の嫡子で、戦闘狂と噂されている。その反面、一部では愛妻家とも呼ばれているようだ。恐れを抱かせる一方で性格によりカリスマ性を発揮して、人気を称している。
 黒田派のトップは黒田つづる。彼は神を嫌うという。祖先に神がおり、それも影響しているとか。性格は冷静で、残酷だとも聞くらしい。黒田は劣勢ではあるものの、規則による統制により団結力が凄まじい。

「それで?」

一通り話を聞き終えると、松江は言葉を詰まらせた。何か話しずらいことがあるらしい。急にどうしたと聞くと、松江は俺の後方を指差す。

「あんたの連れ…黒田に絡まれているが大丈夫か?」

言葉が理解できず、一瞬固まった。まさかと思い、振り向いて花見月を探す。花見月はすぐ見つかった。

「ちょっと、聞いてるの?ツッキー君」
「は、はい。聞いてます、黒田さん」
「黒田さんじゃなくて、ツヅルンって呼んでってば」
「ツ…ヅルンさん」

酔っ払いに絡まれた花見月は、乾いた笑いを漏らしながら水を飲んでいた。その表情は、死んでいる。

「あれが…黒田?」
「そうであいりんす。黒田派の黒田綴」

酔っ払い…いや、黒田綴は、聞いたよりもなんというかフレンドリーだ。

「さっきの話だと、黒田派のトップじゃなかったか?」
「そうでありんす。普段お堅いから、誰かが酒を勧めたようでありんすな。黒田が下戸とも知らずに」

自身の恥を晒すとは浅ましいと出雲は低く呟く。出雲は黒田のことを毛嫌いしているように感じた。機嫌悪い出雲を松江が宥める。

「お前たちはどっちなんだ?」
「私たちは中立でありんす。黒田派でも緋日辻派にも属さない。属してたまるものですか」

地雷を踏んだらしい。また一層機嫌を悪くした出雲が眉間に皺を寄せる。松江はため息をつきながら、頬をポリポリを掻く。

「いろいろ事情があるんしょうなあ…久比さんも変に首を突っ込まない方が良い。首を突っ込んでいなくなった彼らみたいになりたくないなら」

これ以上踏み込むなということらしい。分かったとあっさり引いておく。余計なことをして、ここで恨みを買うのは良くない。
 二人と別れて、花見月の方へ足を進める。周りから視線を感じるが、顔を向けると逸らされるので目を合わせない。怪しまれるようなことをした覚えは無いが、印象に残ることは避けたいところだ。
 このまま花見月を回収しようと思っていたが、机の上に並べられる料理と酒が目に付く。花見月を回収すると、そのまま撤収になるだろう。そうなると、この料理は味わえない。
 それならばと、手が付けられていない酒に手を伸ばす。これも情報の一種。これを逃せば、この酒の情報は手に入らないかもしれない。
 無色透明で、甘い香りが鼻をくすぐる。毒の香りは…ない。少し口に含んでみる。香りから予想していたが、柑橘系の味がする。その味もしつこい訳ではなく、あっさりとした後味で飲みやすい。
 空になった杯を見て、喉をごくりと鳴らす。もう一杯だけ、もう一杯だけなら問題ないはず。今までもっと飲んできているわけだから、何杯か飲んだくらいで酔いはしない…と思う。
 まだだれも手を付けていない杯に手を伸ばす。誰も手を付けず、捨てられるのももったいない。もったいない精神だ。

「これももらいっ」

手を伸ばした杯が消えた。俺の隣から伸びてきた手によって。
 そちらを睨むように見ると、深紅の髪をした少年が上手そうに盗んだ酒を飲みほしていた。口元を着物の袖で乱暴に拭う少年とぱちりと目が合う。

「何、おっさん。何か用?」
「…おっさんじゃなくてお兄さんな。ガキンチョ」

そういえば子供が酒を飲むのは違法じゃなかったか。年齢を聞くと何歳でしょうか、と質問を返された。真面目に取り合う気がないらしい。取り合う気がないなら、こちらも真面目に話を聞く義理はない。

「おっさん、ところで誰?ここいらじゃ見ない顔だけど」
「招集された新人だ。初めて来たから、会ったことないのも仕方ない」

そう言って、少年からグラスを取り上げ机上に置いた。誰かが片付けるだろう。

「うん、それはそうなんだけど…資料でも見たことない」
「…資料?」

ピタリと手を止める。少年は明るい声で「僕はね」と話を続ける。

「ここに来る人だけじゃなくて、払い屋全体とその関係者…それ以上の人達の顔と情報を目にするんだ」

「全て記憶しているわけじゃないけどね」と付け加える。どうやらワタと似た能力を持っているらしい。ワタのように天眼通持っていないが、それに及ぶぐらいの能力者…という可能性がある。脅威となり得そうだ。

「その情報を振り返ってるんだけど、おっさんみたいな人見たことない」
「忘れてるだけじゃないのか?俺みたいなヤツどこにでもいる」
「そんなわけないじゃん。おっさんみたいな面白い|人間≪ヒト≫忘れる訳ないじゃん」

少年は俺に顔をグイッと寄せる。息が近くなるほどに近づいた顔に緊張す…るわけがなく、頬を掴んだ。

「近い。離れろ、ガキ」

モゴモゴと喋る少年を突き放して、服を整える。ふと空っぽの杯が目に入った。あの酒は美味かった。何処の酒なのだろうか。絶対探し当ててやる。

「あの酒はうちに直卸しのヤツだよ。市場には出回らない最高級品」

なん…だと。酒瓶の前で一人膝をついた。払い屋の会合でしか出されないような一品を手に入れることは困難だ。もし手に入れられたとしてもすぐに足がついてしまう。そこから神社に…ああ、もう嫌だ。
 妄想はいったんやめて、何か入れ物が無いか懐を探る。買えないのなら持ち帰るべし。それしかない。当たり前なのだが、出てくるのは札やらなんやらの払い屋道具のみ。もしやと思い探したが、碌なものは無かった。
 一人悲しみに暮れていると、袖をチョイチョイと引かれた。なんだと目だけ向けると、少年が口元に手を当てヒソヒソと何か話している。ただ見つめていると、しびれを切らした少年が袖を強く引き、仕方なく屈んだ。

「欲しいなら、あげようか」
「…何を」
「酒」

是非ともと二つ返事をしそうになる。ぜと口に出したところで何とかとどまり、一つ咳払いをする。気持ちを落ち着けると、少年に体を向けた。

「急にどうした。酒が欲しいって誰が言ったんだ」
「おっさんの顔に書いてある」

バレバレだったようだ。おっさん呼びは勘弁してやるとして、仕方なく、仕方なく、少年の話を聞くことにしよう。本当にもらえるなら欲しいし。

「それで何が条件だ。悪いが、忙しい身でな簡単なことしかできねぇぞ」
「うんうん、おっさん分かってるね。僕だって、その辺は承知してるよ。条件っていっても簡単なことだよ、このまま俺と一緒にいてほしい」

てっきりもっと難題を突き付けられるとばかり思っていた。まだ未熟な少年だが、人を使う術をしているらしい。共にいるという条件で、報酬は酒。喉から手が出るほどに素晴らしい取引だが、きっと裏があるのは分かっている。|侵入者≪間者≫と分かっていながら、活動を続けることを容認する言動。訝しんでくれと言っているようなものだ。

「それだけでいいのか。もっと無茶ぶりしねぇの?ガキには分からねぇだろうが、こういうのはもっと難しい条件を出して悪戦苦闘する姿を心から楽しむもんだろ」
「…なんか、おっさんは鬼みたいなことを言うね」
「鬼じゃねぇけどな、そんなもんだよ」

酒がなくなったので、その辺に置かれていた水差から水を頂戴する。薄くスライスされた果実が入れられていた。所謂果実水というヤツらしい。花見月は天然水を好んでいるから、中々こういったものはお目にかかれない。念のため二人分注ぎ、隣で世の醜さを嘆いている少年に渡す。
 ふわっと香りが漂う。少し、薬品のかおりがした。薬品に明るくないため詳しくは言い表せないが、刺激臭…であることは確かである。

「やっぱり、お前の分は無しだ」

ぶつくさ言う少年を無視して、渡したコップを取り上げた。変なニオイのするものを渡して何かあったら責任を問われるのはこちらである。

「ガキは天然水でも飲んどけ。果実水はまだ早い」

そう言って、それとなくコップを机の上に置く。そのまま離れても良かったが、紙ナフキンにペンで”毒”と書いた。それをコップと水差の下に引く。冗談だと思う馬鹿もいるだろうが、それは俺の|責任≪所為≫じゃない。勝手に冗談と思ったヤツが悪いので、俺は知らないフリをさせてもらうことにしよう。
 少年が横から覗き込んできて、机上の文字を見る。そして気でも狂ったのか笑いを零した。

「これ本当?」
「さあ。何となくそう思っただけだ」

少年は完全に面白がっており、紙ナフキンに例の水を垂らしてじっくり眺めていた。口に入ることを想定せず遊ぶ辺り、子供らしい。

「実はさっき、その水瓶に何か入れているヤツを見たんだ。チラチラ人の目を気にしていて…すごく面白かった」
「そうかよ」

完全に遊ばれていた。もし俺が止めなければ、|少年≪コイツ≫はどうしたのだろうか。想像するだけで恐ろしい。

「知ってたのか?」
「うん。ただ、おっさんがどうするか見ていたくて」

最近のガキは末恐ろしい。




花見月と会合


「花見月くん、聞いてくれてる?」

肩を揺さ振られ、花見月ははいはいと適当に返事をした。花見月に絡むこの男_黒田綴_は、下戸である。花見月と出合い頭、すでに彼は酔っていた。そのため、花見月は黒田に対して絡み酒をする人物というただのダメ人間と認識されている。

「聞いてますって、黒田さん」
「本当?聞いてくれてるの?」
「はい。聞いてはいますよ」
「やっさしい~。花見月くんみたいな部下が欲しい!花見月くん、是非ともうちの部下、助手になってくれよ。給料は弾むから~」

給料を弾む。それを聞いて花見月は揺らぎそうになる自分を律する。花見月は神社の柱である。彼が居なければ、神社の経営はままならない。神社の柱であるべき神が漫画に費やしている金、それを考えるだけで頭を抱える日々。その日々から抜け出して遠くに行きたいと思ったことは何度もある。その度、|参拝者≪みんな≫に諭された。”狐様を一人にして大丈夫かい”と。大丈夫なわけあるかと叫び、神社に足早に戻る花見月を街の人々は何度も見た。

「今、家業が忙しくて…」

言葉を濁して伝えるも、相手は酔っ払い。花見月の話を碌に聞かなかった。

「払い屋もやって家業まで…なんていい子なんだ…君みたいな子を放って置けない!君を雇ってあげよう!」
「あの、聞いてますか。いいって言ってるんですけど」

黒田は立ち上がり、腕を縦にぶんぶんと振り回す。花見月は腕に当たらぬよう避けながら、黒田に話しかけるが黒田は聞く耳を持たない。一人で大声を発していた。
 助け舟を求めて花見月はいつもバカと罵る狐を見る。彼は子供と話をしていて、こちらには気付いてくれない。これだけ騒いでいて耳のいい彼が気付かないはずも無く、無視しているのだと花見月は怒りに震える。

「花見月くん!君の戦歴は…そういえば聞いたことない。でも、何とかするから!」

だから話を聞けと花見月は思わず突っ込んだ。黒田はノリがいいと花見月を誉め、また酒を飲んだ。堪忍袋の緒が切れかけていた花見月は、黒田から坂月を取り上げサッと水を注ぎ黒田に渡す。酔っている黒田は、花見月が酒を注いでくれたと思い飲もうとする。しかし上手く飲むことができず、床に零した。
 花見月は見ていられず、近くのフキンで濡れた床を拭いていく。

「しっかりしてください」
「すみません…しっかりしてます」

話の脈絡が合わせられないほど黒田は酔っていた。花見月はあきれ果て、一先ずと黒田を座らせる。
 そのとき、閉じられていた障子が開いた。

「おうおう、今日も今日とて元気なことだ!」

言葉の節々から生きの良さを感じる。男はお付きを二人連れており、男が部屋に入るとお付きたちは続いて部屋に入り障子を閉めた。酔っていた黒田が急に黙り込む。一方で会場は今までにもない盛り上がりを見せていた。入ってきたばかりの男は、人々に取り囲まれていく。人だかりが大きくなるにつれて、少数派が際立っていく。

「…|緋日辻≪ひつじ≫の七光りが」

隣で黒田が低く呟く。その声は明確な恨み辛みが込められていた。
 花見月は黒田の方を見ることは無く、それを耳で聞いた。きっと深い|理由≪ワケ≫があるのだろう。深入りは禁物である。花見月も存じていた。

「彼が緋日辻さん…ですか」
「そうだ。緋日辻家の当主。戦闘狂と呼ばれる許の戦好きで有名なヤツだよ」

黒田は先程の泥酔状態が嘘のように、立ち上がり身なりを整える。そして眼鏡を指で押し上げると、一咳をして人垣を押しのけていく。花見月は遠くから後姿を見送っていた。
 黒田に気付いた払い屋たちは次々に端へとはける。やがて緋日辻と黒田をつなぐ直線が出来上がった。その道を通り、黒田は緋日辻の前にたどり着く。そしてまた乱れた身だしなみを直すと声を上げた。

「緋日辻、久しいな」

先程までの盛り上がりは一気に冷め、辺りに沈黙が訪れる。誰かが息をのむ音が聞こえてきそうなほどだ。緋日辻は一瞬表情を落としたかと思えば、すぐに表情を取り繕う。笑顔で快活に言った。

「黒田か、本当に久しいな。お互い忙しい身だ、会えて嬉しいよ」
「こちらこそ、嬉しいさ」

穏やかな雰囲気で握手を交わす。その表情には笑顔しか見えないが圧がかくせていない。建物が悲鳴を上げる。軋む音、軽い揺れが建物を襲い、グラスが弾け飛んだ。

「すごい威圧感だな、あれは仲良くするつもりがないだろ」

いつの間にか隣に来ていた|虚翠≪こすい≫が花見月に囁いた。花見月は頷く。このままでは膠着が落ち着く以前に、建物が崩落しかねない。花見月は当てにするつもりはないが、虚翠の方を見る。虚翠は傍観者気取りで、行動を起こす気は一切無さそうだった。
 不本意だが、止めに入るべく花見月は立ち上がろうと腰を上げた。そんな花見月の隣を影が横切る。

「父上、お久しぶりです」

そこにいたのは、虚翠と話していた子供だった。それほど成熟しているとは思えない。年齢は中学生と言った頃合いだろうか。幼い子供である。危ないと花見月は二人の間に入ろうとする。
 緋日辻は声に反応し、黒田との握手を終える。そして子供に目を遣ると、また一層笑顔を浮かべた。

「|晴≪はれ≫か、久しいな。元気にしていたか」
「勿論です、父上」

こましゃくれた言葉遣いに大人のような振舞い。その振る舞いは妙に似合っていた。虚翠は花見月の隣で呆れたように頭を掻く。

「やっぱ、タダもんじゃなかったな。しかも当主の息子。ははぁ…面倒なのに目をつけられたもんだ」
「面倒なのって言っても、タダの子供じゃないか。特に何か気にすることでも…?」

虚翠は子供_晴_の特出した能力の話をするか逡巡し、口には出さなかった。色々あるのさと誤魔化すと、花見月と離れ松江と出雲の方に向かった。見知らぬ二人と話す虚翠を見送り、花見月はぼんやりと会場を眺めた。




_愛しき子たちよ

子守歌が聞こえた。花見月は会場を一周見渡す。見渡し終える頃には歌は聞こえなくなっていた。一瞬だけ、一瞬だけではあったが、聞こえたのは耳なじみのある子守歌だった。
 不思議に思いつつも気のせいだと思うことにした。花見月はテーブルの上に並ぶ食事に手を伸ばす。濃すぎず、甘すぎず。程よい味わいが口いっぱいに広がる。

「あ、美味しい」

思わず口から出た。慌てて口元を塞ぐ。幸い、辺りは賑やかさを取り戻しており、大勢に聞かれることは無かった。

「お口にあって幸いです」

急に声をかけられて、花見月は肩をビクつかせた。振り返ると先程まで緋日辻と話していた晴である。花見月はホッとする。

「すごく美味しいです。思わず口から出るほどに」
「そうですね。ここの料理は美味しいと評判なんです。予約も埋まるぐらいなんですよ」

そう言って、晴は机上に置かれていたローストビーフをひょいと摘まむ。二人で暫し料理を堪能したころ、晴が口を開いた。

「あなた、お名前は?」
「ああ、失礼しました。花見月と申します。晴様」

一応礼儀を尽くした。払い屋の礼儀など全く知らないため、一般的な言葉で失礼に当たらなさそうなものを選んだつもりだ。花見月は一礼をする。晴は特に気にした様子もなく、興味の無さそうな返事をした。

「僕のことはもう知っているんだよね。でも、一応するのが礼儀だと思うから名乗ります。緋日辻晴。よろしくお願いするよ」

お互いに握手を交わした。挨拶のつもりだったが、晴は花見月の手を放そうとしなかった。それどころか花見月の手を握ったり放したりを繰り返している。花見月は動揺を隠せない。戸惑いながらも花見月は問いかける。

「あ、あの。どうかされましたか」
「うん、ちょっと気になることがあってね」

晴はそう言うと、やっと花見月の手を放し座るように促した。断る理由もなく、花見月は素直に座った。
 晴は水瓶の水を二人分のグラスに注ぐ。そして花見月に差し出した。それを受け取り、花見月はそっと口をつける。それを見た晴は口を開いた。

「さっき、同じデザインの水瓶で毒が入ってる水を飲みかけたんですよ」

花見月は咽てしまい、晴は花見月を心配するように紙ナフキンを差し出す。それを受け取り、花見月は口元を拭った。

「本当運がよかった。ギリギリで止めてくれた人がいまして」

あの人と晴は虚翠を指差す。こみ上げる咳を堪えながら、花見月はそれは凄いと大げさにリアクションをする。内心、目立たないという話はどうしたと怒り心頭である。

「アイツ、見たことがないんです。つまり払い屋じゃない」
「気のせいでは?」
「そんなことないはずだ。なぜなら俺は払い屋の情報を網羅している。ここにいるほぼ全員、功績から住所まで」

冷や汗が流れる。花見月はヒクつく口元を力ずくで押さえながら、平生を取り繕う。

「それなのに、アイツの情報は一切ない。名前以外。名前は久比らしいが」
「へえ、久比と言うんですね」
「で?」

いつの間にか態度を大きく変えた晴は、花見月の手に己の手を添える。そして握りしめた。逃がさないというように。
 なんとか言い逃れようとする花見月は、チラチラと周りを見渡しながら助けを求めた。しかし誰も来なかった。目が合うどころか、こちらを見ようともしない。まるで聞こえていないかのように。

「因みに、この会話は誰にも聞こえない。だから、どんな話でもできる」

圧倒的状況だった。笑う晴の表情が次第に曇っていく。

「なあ、あの比丘は何者だ?手を握らせてもくれないし、会話も早々に切り上げられる。俺と関わりをあまり持ちたくないみたいだった。それはお前もそうだ」
「そんなことないと思います。きっと気のせい」

晴はため息をついた。年齢に見合わず、眉間に皺を寄せている。

「いい加減にした方が良い。俺が聞いてるんだ、さっさと答えろ」

体が震えあがりそうだった。年下に怯えるなんて恥ずかしい話だが、晴は尋常ではない執着を見せていた。
 花見月の首にそっと手をかけた。花見月は咄嗟に手で晴を振り払う。バチッと何かが弾ける音がして、目の前が白く光った。目を隠し眩まないようにしつつ、花見月は席を立った。

「失礼します」

突然立ち上がった花見月を不審がるものはおらず、花見月は部屋を出て行った。


 花見月が座っていた空っぽの席を見て、晴は小さく舌打ちをした。最初はうまくいっていたのに、肝心なところでミスをした。逃がした獲物を惜しみながら、席を立ちあがる。父親は相変わらず崇拝されているようで、暫くは置いておいても大丈夫そうだ。二匹目の獲物は逃がしたが、獲物は幸いもう一匹いる。
 席を立ち、久比と名乗った男を探す。先程まで見かけた二人組の払い屋はすでに帰ったようで、姿が見えなかった。唯一の話し相手であった彼らが帰ったなら、あの男は一人でいるはずである。

「探し人か?」

背後から声を掛けられ、背後に振り返りながら腕で薙ぎ払う。

「おっと、そんなに驚くなよ。攻撃的な|子供≪ガキ≫だな」

探していた獲物だった。相当力が込もった攻撃はあっさりと防がれ、煽るように頭をポンポンと撫でられる。内心舌打ちをしながら、謝っておいた。
 虚翠は晴の謝罪を受け止め、穏やかに会話を続ける。

「友人がいなくてな、話し相手も帰ったし帰ろうと思っていたんだ。最後に話しかけてやろうかなって」
「そうなんですね。ありがとうございます」

晴は穏やかな笑みを浮かべた。何も知らないであろう虚翠は、会合から抜け出そうとする。それだけは阻止したいところであった。晴は世間話をつづけながら、それとなく情報を掴もうとした。しかし虚翠は隙を見せることなく、寧ろ晴を自分のペースに巻き込んでいく。

「父親と話さなくていいのか?」
「後でじっくり話せますから。今は普段話せない方々を優先するべきです」
「それは大人の判断だな。もっと甘えてもいいと思うぞ」
「おっさんに言われなくとも、”またあとで”ですよ」

会話はそれで終わった。
 その後、虚翠は緋日辻と軽く話しを交わし颯爽と帰る。その後ろ姿を晴は見送った。


狐と一日の終わり


「待たせたな」

花見月が会場に続く階段に座っていると、背後から声がした。振り向くと、メイクを落とした虚翠が立っていた。花見月は立ち上がると、虚翠を小突く。

「バレたらどうするんだ!」
「厄介なのはもういねぇよ。巻いてきた」

あきれ果てた花見月は虚翠にハンカチを差し出し、虚翠はそれで残ったメイクをゴシゴシと拭っていく。メイク落としなど持っていなかった。花見月も普段手入れはするものの機会がなかったため、メイクはしたことは無い。そのため、メイクを落とすときのことは考えていなかった。
 虚翠は左、花見月は右に並んで、歩き出した。

「これでいいのかな」
「潜入は成功しただろ。俺たちは潜入してこいとしか言われてないからな。お遣いは終わった」

疲れたと言いながら、虚翠は伸びをする。そのとき、ふと隠れていた左腕がのぞく。

「…何もってんだ、それ」
「…酒」

その言葉を聞いた瞬間、花見月は酒を取り上げようと動いた。手を伸ばしたが、酒を持った手を高く伸ばされ届かない。

「返してこい!何盗んでんだ!」
「盗んでねぇよ。これは貰い物、つまり俺への捧げものだ」
「何嘘ついてる!怒られるだろ!」
「これしきのこと誰も気づかねぇよ!気付いたとしても、犯人が誰か分かんねぇだろ!」
「それでも神か!」

花見月は結局酒を取り上げることができず、酒はその日の晩に空になった。



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