轍のゆくえ
第二幕 狐と払い屋
虚翠は生きているのがやっとである。何度も呼吸をして、体を起こし、その日を過ごしてまた眠った。一人きりの生活はやっていけない_何度も自覚していた。
参拝者と顔をあわせる度に何度も心配されていた。その度に虚翠は大丈夫だと返事する。それ以外の返事が分からなかったのである。
そんな虚翠にも家族ができた。口に出したことは無いが、感謝している。彼らが居なければ、きっとこんな神生投げ捨ててしまっていただろう。きっと、きっと。
狐と白雪姫
目を覚ますと、見慣れない天井が目に映る。最近はこんな展開に慣れ始めているが、その度に寝ぼける頭は驚く。
虚翠は体を起こしてみる。その瞬間、とてつもない痛みに襲われ、ベッドに逆戻りである。痛い。痛い。痛い。とてつもなく。頭痛と全身の痛みが酷かった。
物音に反応したらしく、ドタドタと走ってくる音がした。小さな音に反応する耳の良いところで、歩く音で誰が来るか大体判断できる。分かるからといって、出迎えるかと言えば別の話になってしまうが。
虚翠は楽な姿勢を取り、客を出迎える準備をした。いつもより無礼な体勢だが、痛みが酷いので致し方あるまい。
「起きたんだな、バカ狐!」
「ちょっと落ち着いたら?今、彼が起きるのはさっき伝えたじゃん」
「それでも、一週間は眠りっぱなしだったんだからつい心配で」
花見月だけではなく、いつの間にかワタも来ていたらしい。その背後から蓮堂が顔を覗かし会釈をしている。それにしても騒がしいと思っていたら、花見月は虚翠の傍らにやってきてペタペタと触り始めた。
熱はどうか、身体の調子はどうか、痛いところが無いか等。医者のように問い詰めてくる。熱は特になく、身体は少しだるいくらいで、全身が痛い。そう答えると、花見月はまたバタバタと部屋を出て行く。慌ただしいことこの上ない。
花見月を見送っていると、今度はワタが傍にやってきてちょこんと座った。こちらは花見月よりも落ち着きを残している。ワタは虚翠の顔をじっと見つめるが、何かを話そうとするわけではない。ただいるだけという感じであった。
暫しの沈黙があった後、徐に虚翠が口を開く。
「なぜここに?」
「うーん、見えたから…としか答えられないかも。貴方が重症で寝込んでいるのを見かけたから、薬とか布団とか必要なものを用意して駆けつけたの」
ワタは天眼通を持っており、未来を見通すことができる。ただし、本人の脳が処理できるところまで、という条件付きで。その能力を駆使してここまで来てくれたのだろうが、こんな偶然あるのかどうか怪しい。
「それは有難い。たまたまワタが未来を見たときに、たまたま俺が重症で、たまたま準備ができる状況だったんだから」
「もう、分かってるくせに」
ワタは微笑み、後ろめたいことは無いと告げる。
虚翠自身、ワタのことは疑っているわけではない。これまでの付き合いで大体の性格は分かっているつもりであるから。しかし、偶に極稀にワタはグレーゾーンなことを仕出かしたり、しなかったりする。ので、今回も本当かどうか分からない。今更、ワタが花見月に言い聞かせても聞く耳を持たなかっただろうし、兎角言うつもりはない。
「それで、ここはどこなんだ。状況説明をしてもらっても?」
蓮堂に支えられながら、ゆっくり体を起こし虚翠はワタに向き合う。ワタはなぜか不敵な笑いを漏らし、何枚かの画用紙を取り出す。1枚目にデカデカと書かれたそのタイトルは、事件後の流れについて。そのままだった。
ワタが語り始めたのは事件解決後の話。花見月が旅蛍のことを射抜いてからの話である。
見るからに旅蛍は黒焦げであった。花見月は手加減を大失敗したのである。その旅蛍が手当てを受けている最中、虚翠も倒れてしまいその場はてんやわんや。
妖の治療ができるのは隠成のみであり、花見月が重傷を負わせたため旅蛍の治療が優先になる。そのため自然と虚翠は後回しにされ、軽い処理しか施されていなかった。血が流れ出てていく虚翠は旅蛍に並ぶ重症具合。切り傷だけでなく、妖力不足にまで陥っている始末であった。
そんなとき救いの手を差し伸べたのは恋田稔である。彼女は旅蛍に攫われていた人間だが、妹になるよう命令されていたが次第に旅蛍と恋仲へと進展した相手である。その彼女は幸運なことに人間向けではあるが看護師であった。虚翠の身体が人間をベースにしていたこともあり、専門的な処置受けることができ虚翠は一命を取り留めることができ、旅蛍の治療も無事に終了した。
そしてタイミングよく駆け付けたワタと蓮堂たちのお陰で、近くの安全な建物に避難することになった。けが人は多数、しかし死者はいなかった。
「こんな感じかな。重傷者がいるし、神社には戻れないだろうからね。安静にしててほしいんだけど」
ワタは目の前の虚翠をじっと見る。肩から襷のように掛けられている大量の包帯に固定された腕。1週間寝ていたこともあり、少しやせこけた頬。ワタたちが食料や医療器具を持って来ていなければ、どうなったことやら。
ワタはため息をついた。本神に言い聞かせても、聞く耳を持ちやしない。花見月に文句を言っているが、それは全てブーメランである。無茶するな、妖怪・妖を信じすぎるな等々。本当にどうしようもないと思う。
「これからも安静にしててほしいんだけど」
「1週間ぐらい安静にしてたらしいし、大人しくしてたならもう良いんじゃないのか?」
そういうことじゃない。ワタは呆れてばかりである。ワタには天眼通がある。全てを見通す目。でも人間に与えられるべきものではないと思う。私利私欲のために使いかねない。そうワタのように。
「そうだけど、それでもなのよ。分かってるの?自分の状況を」
天眼通を通すとすべてが見えてしまう。見てしまったものは第三者視点で、他人事のようにとらえてしまいがちになる。実際に今回のこともそうだった。
虚翠が死にかけながら戦う姿を見て、悲しさを抱けなかった。虚翠とは親しくしているのに、ただ傷だらけで可哀想としか。
脳のキャパを超えそうになり、現実に戻ってくると突然感情が込み上げてくるのだ。早く助けに行かなければ、死んでしまうかもしれないと。結果は既に見たというのに、焦ってしまう。
「大したことじゃないだろ。大怪我…ともいえないしな。処置が大げさすぎるんだよ」
「無茶はしすぎると良くない。子供でも知っていることなのよ」
このままだと憐れな神は死んでしまう。
ワタは神との盟約なんて気にしたことは無い。先祖が交わしたらしい約束など、知ったことではない。証明写真でしか顔を知らない祖先の約束を守ったところで何があるのか。
ワタはこの先の結末は見れていない。脳のキャパを超えてしまうから。きっと良いことばかりではないし、覗き見て回避したいと思うことばかりだと確信している。時間を置けば再び見れるようになるが、そんなものを見て、何処を愉快だと感じるのだろうか。先祖代々のこの能力はとてつもなくつまらないもののようにしか感じられなかった。
ただ一つ、ワタ自身が感謝しているのはこの能力があったおかげでワタは普通の人間ではなくなったということである。
狐と天眼通の母
ワタと虚翠が出会ったのは、ワタが生まれる前。まだ母親の腹の中にいた頃である。ワタの母親は、ワタと同じ能力を保有していた。
天眼通と呼ばれるそれは、ワタの母親にとって毒でしかなかった。生まれつき体が弱かった母親は、ワタを孕んでから床から起き上がることすらできなくなっていた。当時のワタに知能と言われるものは無かった。ただ過ぎ去るものを追うだけの動物であった。
ある日、ワタの母親は決意したのである。長い階段を上り、神が居るという神社に足を向けた。身重の彼女にとって、危険でしかない。勿論、周りから止められたが彼女はそれで止まるほど、大人しくはなかった。
時間をかけて、見事籠の中から抜け出した彼女は、噂の神の袖を引き言った。
「もし、噂の神は貴方か」
「噂…?」
首を傾げる神に、彼女は顔を突き合わせて勢い良く言い放つ。
「そうでなくとも構いません!私の能力をこの子に移してほしいのです!」
さあ早くと己の手を握って懇願する女に、神は戸惑いを隠せなかった。こんな奇妙ともいえる願いをしてきた人間は初めて出会った。神は女を一目見ると、彼女が何者であるかを悟った。そして彼女の儚き寿命でさえも。
神は女を哀れんだ。短き命を自身の子のために尽くそうとする女に慈悲をかけたのである。
神は言った。汝の母親もそのような願いをしに来たことがある。母子揃ってそのような願いをしに来るとは、人間は大層我が子に尽くしたいのだな、と。言葉を聞いた女は動きを止める。
ワタの母親の母親、ワタの祖母にあたる人物は、後天的に神通力に目覚めた人物である。どうように受け継いだのかは本人以外は知らないと言われ、実子であるワタの母親でさえも聞いたことがない。ワタの母親にとって、自身の母は芯の通った真っ直ぐな性格に、誰に対しても平等に接する聖人君子。隙は見せず、皆に尽くし自我はないと思っていた。
母は何故そんなことを願ったのか。尋ねたが、神は首を横に振った。それは教えられず、知りたいのであれば自身の能力を磨くようにと。さすればいつか知ることができるとも。
彼女はそこから努力したが、彼女は二度とその神社の鳥居を潜ることは無かった。潜ったのは、幼い彼女の娘_ワタである。
神と散歩
人生は急激に変わるという。それは最もだと確信した。
あたたかな日差しのもと。虚翠は空で引きずられているのだから。先程まで治療を受けていたというのに、この変わり様は人間の知恵も捨てられない。目にもとまらぬ速さで引っ張られ、虚翠の首が閉まり苦しくてたまらない。
虚翠は状況を生み出した首輪を燃やそうとする。しかし全く燃えない。今度は爪でなんとか外そうとするが、傷がつくような音がするだけで、分厚そうな金属は傷付かなかった。さらには藻掻けば藻掻くほど苦しくなっているようで、大人しくすると呼吸が楽になったりもする。そんな可笑しな機能はついているが、首輪は障害物を避けてくれない。そのため虚翠は木の枝、埃、砂に塗れている。
「止まらんね、どうしようか翠ちゃん」
「この状況でのほほんとできるお前が羨ましい」
横を並走する隠成は腕を組み唸る。遠くの空にはゴマ粒がいくつも見えており、気配から蛍妖怪のようである。
だが隠成がいるからといって状況が進展することは無い。隠成は状況を楽しんでおり、虚翠が死ぬような事態に陥らない限り手は出さないだろう。現に、隠成は楽しそうに微笑みを隠さない。
「どうにか…止められないのか」
「止めてもいいけど、首、手、足の全部を犠牲にしてもいいならできるよ。もっとも簡単なのは首を切断すること」
「やっぱり大丈夫だ」
無事には帰れないらしい。手立てを考えている最中にも、首輪は虚翠をどこかに連れて行こうとする。触った感触では首輪は磁石や引っ張るロープは付いていないらしい。
首輪を外す手筈もなく、苦しみから解放されるには、大人しくするしかないようだった。
「目的地は知らないのか?ワタは何も言ってなかったかのか」
「さあ、何とも。ただ今は生きていられるからねって」
”今は”とは含みのある言葉である。今をどう捉えるかで意味が変わるものであり、数十秒後には死んでる可能性も捨てきれない。ワタが焦っていないところを見る限りは、首輪で死ぬことは無いらしいので一安心…したい。
そうこう話している間にも、虚翠は森を抜けた。視界一面に住処が見える。子供が走り回り、散歩をする大人。こちらを見て声を上げる動物。平和な日常が広がっていた。このような状況でなければ、欠伸をしながら景色を眺めることもできるはず。
首輪は街中に入ると、急下降して舗装された道路スレスレに動き回る。そして急に方向転換するとまっすぐ進み、曲がり角を曲がる。また真っ直ぐ直進して、横道に入ると路地を突き進んだ。すれ違う人々から悲鳴が上がる。わざとじゃないと謝罪するも、恐らく聞こえていない。
猛スピードでよく分からない道を突き進み、見えてきたのは見飽きる程眺めた階段である。長い階段を低空飛行で登っていく。何度も鈍い音が頭の方から響いて聞こえるのは気の所為だと思いたい。今も視界に紅いものが垂れているのが見えるのも。
「翠ちゃん、また怪我したんやね。治療費、マシマシにしてあげる」
「保険適用しろ。これは故意じゃない」
「妖怪に保険はないです」
同じく横を飛行する隠成は余裕綽々でそれが腹立たしい。
虚翠は階段で手足をひっかけ、謎の引力に抗った。最初は今までにない程の力で引っ張られたが、息苦しさを堪えているうちに力は弱り始めた。そして数分後には力を失い、消失してしまった。
「一体、なんだったんだ」
虚翠はジトッとした目つきで隣を見る。隠成も首を横に傾け心当たりはないようである。
ほかに考えられるのは、妖怪の仕業、もしくは神の悪戯という可能性もある。神社の何かしらの力が働いたという可能性もあるし、ようは絞り切れない。
怪我を改めて治療してもらっていると、境内の方から一つの影が現れる。その影はこちらを認識すると、ゆっくりと階段を降り始めた。虚翠たちがいるのは階段の中腹辺りであり、頂上から歩いてきた影との間には距離がある。すぐには辿り着けないし、虚翠たちからも正体は伺えない。
隠成は軽く虚翠の治療を終えると、立ち上がり虚翠の前に出る。そして服についた埃を払うと、影と向き合った。影のように見えていたのはボロ布である。汚れた生地には泥がしみ込んでおり、ボロの隙間から覗く肌は褐色。顔は見えないが、紅い目が一つこちらを向いている。
影は二人の前までくると、動きを止める。そして急に空中で体を折りたたみ、地面に着地する頃には体を丸めていた。
「どうか、お力をお貸しください。国造りの神々よ!」
所謂、土下座である。
深々と頭を下げるその影は、頭を地面に擦り付けた。頭を横に振り、どうかどうかと繰り返す。頭を上げることはせず。
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