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素戔雄神社と與喜天満神社

奈良県桜井市初瀬。

長谷寺で有名なこの土地は、天神(菅原道真公)信仰の地域でもあるようです。

天神山である與喜山 

與喜天満神社と同一敷地内に、素戔雄(スサノオ)神社

神社から神社へ続く道。


天満神社の八王子社は天照大神と素戔嗚尊と表記されてますが、こちらは素戔「雄」表記。


なんか珍しい注連縄と


なんか珍しい姿勢の狛犬。


岩戸隠れした天照(アマテラス)を強引に引っ張り出した後、隠れ直しができないように張った結界が注連縄(しめなわ)の起源と言われています。


私はこの一連の岩戸隠れ話、天照の意思や感情が無視されているようで非常に違和感があるんですよね。天照ってそもそもこの引きこもり事件以外に主役級の話ないのも気になるのです。


読みづらい・・・
天照のお山なので、弟の素戔嗚を鎮めようとして創建。
牛頭天王とかごってらさんで親しまれてました。
明治期に鍋倉神社と合祀されました。
というようなことが書いてあります。


・・・寺社の由緒や縁起を読んでも、話がどうにもわからないことが少なくありません。因果関係なくないか?という前後の文章が順接的に展開されていく気がします。


神仏習合とか、
廃仏毀釈とか、
強引に勧請とか、
時代の圧力で改名や由緒の書き換えとか?
のせいで意味不明に?

誰に何を伝えようとしているのでしょうか。
わかる人にはわかるのかな~・・・


素戔雄神社前の謎オブジェ。
すんませんけど、何を表現しているのか
私には本当にわかりません。
何。


天満神社の祭神は菅原道真。スガ。
素戔雄神社は「ス」サノオ。

この二人が近い距離で祀られているのは、例えば斑鳩もそう。

蘇我ゆかりの入鹿神社やその周辺には、「ソガ」「スガ」の音と同じ、または親和性の高い地名があります。



良ければどうぞ寄り道ください。↓


この與喜山、もともとは蘇我の祖霊祀りの山では?というのが私の妄想。

大化の改新で蘇我氏衰退。
昌泰の変で道真左遷。
原因はどちらも藤原(中臣)氏。

素戔嗚と結びつく牛頭天王。
天満宮にある撫ぜ牛。
(仏さまは、しばしば牛にたとえられていますが。)

共通項が気になるところ。






同じ敷地内に鍋倉神社というのもあるのですが、

天気のせいもあって、なんか・・・


正面から拝むことを拒むような建ちかたで結界まであります。

参道も少し歩きづらい斜面、これをどう解釈しましょうか。
もとは與喜天満神社境内にあったようなのですが、出されたということのよう・・・

鍋倉神社と玉鬘神社は、2018年に再興されたようです。
そこでも敢えてのこの位置取り。


玉鬘(たまかずら)。
源氏物語ゆかりの地。
私は、源氏物語の良さが全く分かりません。
作中、縁結びに繋がる話があるとは思えないのですが?
素戔雄神社の向かいなのですが、
注連縄は違う。



どうしてもこの一帯、女性神信仰というのは煙幕に思えて仕方ないです。「長谷寺は花の御寺(みてら)」とかも、女性的な雰囲気の後押しに思えるな~と・・・

自分の中でちょっとまとまらないまま、今度は花の頃に来ようと思ったのでした🦌このあたりご存知でしたら、何卒コメントください。


新緑のきれいな季節は、中田様の記事で!!




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