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思うこと295

「道成寺」のはなし。

 私はぶっちゃけ三島由紀夫があまり好きではなく、『金閣寺』や『仮面の告白』、『午後の曳航』などを読んだが、確かにその文章表現は巧みだと思うし、話も面白いとは思う。けど、とにかく何か苦手で、これを焼き物に例えると、薩摩焼きの豪華絢爛な色絵錦手が苦手なのと似ている。カラフルかつ、煌びやかな金色の映える錦手は、絵柄だって緻密な美しさを備えているし、確かに素晴らしいんだけども、なんかこう見ているとその豪華さに「ウッ」となってしまう。私は日本文学では専ら夏目漱石と安部公房を好み、焼き物なら青磁や白磁の無地、そしてまあ伊万里ならば、初期伊万里と呼ばれるシンプルな染付くらいが好みなので、三島作品と薩摩錦手がどうも受け付けないことは明白ではないだろうか。どうだろうか。しかしながらどちらも立派な日本文化だし誇り高い作品なので、決して貶めているわけではないことをご了承頂きたい。

 さて、そんなわけでどうも三島作品が肌に合わない私だが、演劇関係者に囲まれていた際にお勧めされた『近代能楽集』は結構ハマッた。能の謡曲を三島なりに現代風にアレンジしましたよ、という作品集で、『卒都婆小町』や『葵上』、『熊野』などが収録されている。能に詳しくない私が読んでも、とりあえず何かおもしれーな!と素直に思えた。とりわけ私は、古道具屋でオークションにかけられているドでかい箪笥の中でふらっと来た女が
殺された恋人への想いをこじらせて自殺を図ろうとする『道成寺』が気に入り、原作の話も辿ってみた。

 能の『道成寺』はちょっと能について調べるとすぐさま出てくる有名作品で、道成寺の釣り鐘を供養する際、女人禁制にも関わらず「どうしても舞いたい!」と女が来てしまい、仕方なしに舞わせていると、なんと鐘を落下させて、その中に篭城。「おいおい前も女にまつわるこんな恐ろしいことあったよ〜」と住職が語り、女の執念がまだ残っているのではと僧侶たちは祈祷を開始。そしてついに鐘を引き上げてみると、鐘の中で女は蛇に変身しており、やむなく僧侶とバトル。蛇は炎を吹いて暴れ回り、最後は蛇自ら川へ身投げして一件落着。

 ところで、能『道成寺』にもさらに元ネタがある、ということを最近知った。偶然にも、まさに「道成寺」(和歌山県最古の寺)の住職さんが「絵解き」と呼ばれる、絵巻物を使う説法を披露する場に参加することができたからだ。その絵巻物に描かれているのが「安珍と清姫の物語」で、先ほどの能『道成寺』で住職が語った「おいおい前も女にまつわるこんな恐ろしいことあったよ〜」がまさにこの話なのだ。

 福島県白河市から来た修行僧の安珍は和歌山に来ると、そこに住んでいた清姫にめちゃくちゃ好かれてしまうものの、修行の途中ナンデ…、と安珍は一人先を急ぐ。けれども清姫は安珍の後を追ってきており、途中でやっと再会するも、安珍は「人違いじゃない?」としらばっくれ。それが清姫を怒らせ、以降めちゃくちゃストーカーされて追いかけられまくり、最終的には辿り着いた道成寺の鐘の中に隠れるけども、安珍に裏切られた!と怒りで大蛇に変身していた清姫に鐘ごと焼かれ、安珍は無惨にも焼き殺されてしまい、
姫もそのまま入水してしまう。そして誰もいなくなった……。僧のみなさんはポカーンとしていたに違いない。

 けれども、この事件の後、寝ている僧の夢枕に二人が現れ、邪道に落ちてしまったと告げる。そのため法華経で供養してみると、天人になった二人は熊野権現と観音菩薩の化身でした…という、法華経はすごいね!、という結びもあるようだが、それまでの出来事が衝撃的過ぎてな。(道成寺的に大事なのはここなのでは?とも思うが。)

 さて随分長くなってしまったが、道成寺の住職さんが語る「安珍と清姫の物語」はとても素晴らしかった。ユーモア溢れる説法で聞く者を飽きさせない技術とでも言おうか。おそらくこうやって時代に合わせた説法を続けることで、脈々と道成寺の絵解き説法が続いているのだろう。

 私が一番印象深かったのは、大蛇となった清姫が、身体を巻き付け鐘を安珍ごと焼いているシーンの話。住職さんが言うに、これは物語上のある種の演出であり、もしかしたら実際は安珍の逃げ込んだ境内に火をつけた清姫が、その周りを回っていたのではないか、とのこと。道中を必死に追ってきたせいでぐちゃぐちゃになった着物を引きずり、裏切られた恨みに満ちながら、燃え盛る境内の周りをぐるぐると回る清姫の様子。それがあたかも蛇のように見えたのでは…?
 私はそれを聞いて文字通りハッとし、大いに感動してしまった。メタファーかくあるべし。凄過ぎる。いつかそういう「モノ」を作ってみたい、などと大それたことさえ思ってしまった。

 こうした道成寺に由来する作品群は「道成寺物」と呼ばれ、前述した能はもちろん、歌舞伎やわらべ歌、演劇や文学等々、多くの芸術作品に影響を与えているそうだ。住職さんは「今後も新しい『道成寺物』が作られていって欲しい」と仰っていた。

 そんなに好きでもない三島由紀夫から端を発した私と「道成寺」の出会いだが、(例の執念により)使われずに捨てた二代目の鐘は京都の寺に奉納されていると言うし、何だかどんどんと縁が深くなってきたように思う。いつか私も「道成寺物」が書けるだろうか…、とボンヤリ考えながら、久々の長文で疲れたのでこの辺で終わるとする。

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