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廣瀬俊朗とラグビー Vol.2

RUGGERSオリジナルコラム
「廣瀬俊朗とラグビー」
第2章 大学ラグビー

筆:廣瀬俊朗
1981年生まれ、大阪府吹田市出身
元ラグビー日本代表キャプテン
株式会社HiRAKU 代表取締役
NPO法人 Doooooooo 理事

1.慶應大学ラグビー部
 関東の強い大学でラグビーがしたい。これが、高校生の時に描いた目標であった。最初は早稲田に行くことも考えた。でも、当時、慶應大学ラグビー部が100周年に向けて強化している最中で、どんどん強くなっていき、僕が高校3年生の時は、なんと日本一になった。勧誘の仕方がかっこよく、当時監督をしていた上田昭夫監督がサプライズで電話をかけてくれることもあった。本当にびっくりした。その心意気に感動して、慶應に行きたいと強く思った。
 目標が決まってからは、慶應大学理工学部への指定校推薦を取るため必死に勉強した。無事に入学が決まり、ワクワクして上京。でも、付属の中・高校から上がってきた人を中心として、今まで育ってきた環境があまりにも違うので、学校の雰囲気が大阪の公立高校の雰囲気とはかなり異なっていて、最初は戸惑いがあった。入学式は秋田出身の高校時代からの友達と二人でみなとみらい観光へ。まだまだ上京したばかりで初々しい感じであった。
 ラグビー部に入ってからも最初は、文化やバックグラウンドの違いに驚いた。合宿はバスに乗って皆で行くのではなく、車で現地集合であった。僕は仲間に乗せてもらうことに頼るしかなかった。また、親の干渉が大きいように感じたり、お金に対する価値観も違った。ラグビーの練習では、考えてプレーするというより、システムに従うことを大事にしていて、少し枠にはめているように感じた。このギャップを理解するために、自ら慶應の環境に触れようと、色々と踏み込んでいった。仲間の家に泊まったり、仲間の弟の家庭教師をしたり、友達の親父さんと色々と話をしたり、本人以外の関係者とも交流を深めた。違いはダメではなくて、面白い。自分の当たり前を考え直すことができる。お互いを認めることで、仲間になっていくことや、新たなアイデアが生まれる。過去よりも、今と未来に向けて一緒にやっていくと共に成長できるということを学んだ。違う文化の人間がどうやって一つのチームになっていくのかという過程を学ぶことができたのは良かったと思っている。
 1年目は、憧れのタイガージャージ(注)を着ることがあまりなかった。環境や大学ラグビーのレベルに慣れることに精一杯だった上、同じポジションをキャプテンが担っていたこともある。
 2年目になって、チーム構成も変わり、コーチ主導から学生主体になっていった。これまで自分で考えて動いてくることが多かったので、馴染みやすく、自分も活路を見出していった。自分自身もようやくレギュラーを獲得し、フルバック、センターで貢献した。ベスト4まで進んで正月を国立競技場で迎えられたことはとても嬉しかった。また、キャプテンの野澤武史さんの自分に対する追い込み様があまりにもすごくて、キャプテンとしての覚悟と、慶應の歴史の重みを知った。
 3年目は、水江文人さんがキャプテンになった。京都出身の優しいお兄さん。なんとか支えていきたいと思って、自分なりにチームを支えた。
(注)タイガージャージ…慶應大学ラグビー部のユニフォームの通称。黒と黄色の横縞で、色合いが虎を連想させるためそのように呼ばれている。

2.大学4年生、キャプテン就任
 いよいよ最終学年。キャプテンになった。これまで120人ぐらいのトップに立つ経験はなかったので、とにかく必死にチームのことを考え抜いた。
 一方で自分自身のパフォーマンスを上げる必要もあった。このバランスはとても繊細で難しかった。それでも、なんとか夏合宿まで頑張ったが、夏合宿最後の練習で、肩鎖関節を脱臼し、1ヶ月半以上試合に出られなかった。悔しかった。チームも筑波に負けた。明治、早稲田にも負けて、対抗戦5位で終了。本当に不甲斐なかった。
 なんとか大学選手権に出場したが、一回戦の相手はその年に日本一になる関東学院。大敗して、引退を迎えた。ここまでやりきったし、ラグビーを辞めようと思った。
 でも、一つ心に残ることがあった。

3.東芝ラグビー部へ
 大学最後の試合となった関東学院戦で、関東学院が醸し出していた雰囲気が素晴らしかった。皆が山村亮キャプテンを中心にまとまって、楽しそうにしている。お互いを尊重して、支え合っている。
 僕らが必死にもがいて活路を見出そうとしていたものを、見透かされているような印象を受けた。どうやったらこんな素晴らしいチームが作れるのだろう、と思った時に、まだラグビーで見ていない世界が大きいことを知った。この世界を見てからラグビーを引退しようと思い直し、トップリーグでラグビーを続けることにした。どのチームに行けば良いのか悩んだ末、最終的に東芝にお世話になることにした。
 決め手としては、合同練習をさせてもらったとき、部員の人柄の素晴らしさを感じたので、ここでラグビーをすれば、楽しいだろうと思った。また、一人一人が強くて、自分たちのフィジカルは歯が立たなかった。戦術的にも、システム重視の慶應とは異なり、状況を見ながら個々の判断を重視し、誰かの動きに呼応していくスタイルのラグビーをしている東芝に入ればおもろいかなと思った。慶應ラグビー部から東芝ラグビー部に入った人間がいなかったことも自分としては、ワクワクした。

慶應rugby

(慶應大学時代の筆者)

~第3章に続く~
第1章はコチラ

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