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雅体文字(みやびたいもじ)Ⅱ|王超鷹による雅体文字復元《越王勾践剣》と新刀《魚腸剣》お披露目!


                             王超鷹essay

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赤山 (1)

雅体は中国古代文字の一つです
その文字は精緻でしとやかで美しい
春秋戦国時代周王朝から伝わる芸術です


越王勾践剣

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越王勾践剣


雅体文字が刻まれた越王「勾践(こうせん)」の剣。

越王勾践剣は、春秋後期(紀元前465年頃)呉を滅ぼした越王勾践の銅剣である。

この銅剣には雅体文字で「越王勾践 自作用剣」と彫られている。

勾践自身が刀を作り所有していた事を示す。

中国湖北省で発見された越王勾践剣は、2500年以上前に作られた。

勾践剣は、土中か出てきたにも関わらず、サビは一切無くほぼ完璧な状態で発見された。

剣の大きさは柄を含めて長さ55.7cm、刀身は47.3cm、幅4.6cm、重量は875g。刀身にはヒシ形の紋様が刻まれ、柄にはトルコ石・青色水晶・ブラックダイヤが埋め込まれている。また剣全体は薄いクロム層に覆われている。

春秋時代の文字には、大篆(だいてん)・亀甲・金刻・鳥蟲(ちょうちゅう)などがある。
文字はそれぞれの字体により、正体・俗体・雅体の3つに分けることができる。
大篆は正体文字、亀甲は俗体文字、金刻・鳥蟲は雅体文字に分けられる。

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雅体文字復元図(越王勾践 自作用剣)

越王勾践と呉王夫差

「呉越同舟」のことわざがあるように、春秋戦国時代の呉と越は宿命のライバルであった。両国は30年以上に亘って激しい戦いを繰り広げた。そして、遂に越王勾践が呉王夫差(ふさ)を敗死させた。

呉越の戦いの中で「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」「日暮れて途遠し(ひくれてみちとおし)」「狡兎死して走狗烹らる(こうとししてそうくにらる)」など有名な格言も数多く生まれた。

「呉越春秋 呉越興亡の歴史物語」(平凡社)を引用すると、

勾践は夫差との戦いに敗れた勾践は呉の臣(どれい)となって夫差に仕える。
夫差の目を欺き帰国した勾践は復讐を誓う。勾践は夫差に献上を重ねて封土を増やしてもらう。
勾践は家臣の范蠡(はんれい)や文種(ぶんしょう)と謀り、美女(西施)を夫差に献上するなど陰謀を練る。
用意万端を整えた勾践は遂に呉を伐つ。勾践には二人の側近、軍事の范蠡と政治の文種がいたが、
范蠡は「越王とは患難(かんなん)をともにすることはできるが、楽しみをともにすることはできない」と言って去り、文種は留まる。范蠡の予言通り、文種は死を賜る。
勾践が最後の覇者となり、孔子が訪ねてくるが何も答えずに立ち去る。

春秋に生きた武人の美意識

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湖北省荊州博物館収蔵「越王勾践剣」

恥辱に塗れた戦の中で越王勾践は、比類ない美しい剣を誕生させた。
この剣は、決して戦闘用とは考えられない、高い芸術性がみられる。

柄の“黒”に刀身を覆う“エメラルドグリーン”。そして“金色”の雅体文字の銘。

この剣に、もし足らないものがあるとするなら、それは「赤色」。

越王勾践は事が成らなければ、この剣で自裁し自らの血で赤色を補うつもりでいたのか。

自らの血で剣を完成させる。春秋に生きた武人の美意識を垣間見るようである。

越国「越」の意味

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越 雅体文字


「越」漢字の成り立ちを見ると旁(つくり)は「大きな斧」の象形であり、偏(へん)は「歩く人」と「立ち止まる足」の象形である。この成り立ちは「歳」とほぼ同じである。

「歳」の語源は足元を斧で一本の線を引き、すべてはここから始まる事を表す。この事から「歳」は暦を意味するものとなった。

古代中国では暦を司る惑星「木星」を「歳星」と呼んでいた。木星の公転周期が12年である事から天球を12分割して年を数える「歳星紀年法」と呼ばれる暦を作った。

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木星「歳星」


「歳星紀年法(さいせいきねんほう)」は一日の時間、一年の季節の推移を十二辰(じゅうにしん)で表す「太歳紀年法(たいさいきねんほう)」となり、木星の公転周期の誤差を修正する「干支紀年法(えとけねんほう)」と発展していった。

暦を制定するという事は、国の時間を支配することである。暦=歳を支配する者こそが真の王である。「越」という国名には、我こそが中華を治める王であるという意味が込められていたのであろうか。

越王勾践剣

王超鷹デザイン短剣2

王超鷹作「魚腸剣」


越の勾践剣に対して、呉には勇絶の剣と呼ばれる「魚腸剣(ぎょちょうけん)」がある。

魚腸剣は、元は暗殺剣であったが、後に武人の「命を懸けて事を成す、成らなければ自裁する」精神性の象徴となった。

哲学的ではあるが、春秋武人の精神性は、雅体精神と呼ぶにふさわしい。この雅体精神が、日本に伝わり武士道となったのかもしれない。

「魚腸剣物語」司馬遷《史記・刺客列伝》より

『刺客専諸(せんしょ)王僚を刺し、飛ぶ鷹、大殿に撃突す』

黒鉄(くろがね)のような大鷹が大殿に向かって飛翔している。専諸は正装し、マエツ(汽水域・淡水域の魚)の梅花炙り(ばいかあぶり)を自らの手に持って宮殿に上がってきた。天空には太陽が燦燦(さんさん)と輝き、大殿には鎧(よろい)をまとった兵士たちが整列し、専諸はゆっくりと進んでいく。雲は鷹の気勢に押されて徐々にゆっくりと動く。呉王僚の処へ専諸の手にある菜香(さいか)が漂い、王僚は前のめりとなりただ料理だけを見ていた。

この料理は、厳冬の寒梅の枝で、盛夏のマエツを炙った食べ物だ。

鷹の眼に大殿の輪郭が映った時、天は突然暗くなった。専諸はすでに王僚の目の前まで進み入り、料理を置いた。空には雲が立ち込め、大鷹は羽を休めた。王僚は目の前の料理を見て唾(つば)を飲み込んだ。専諸はゆっくりと魚に手を伸ばした。大きな雷鳴を伴い鷹は、再び飛翔し大殿に向かった。

王僚は突然魚の腹の中から一抹の殺気が出てくるのを感じた。魚の腹には剣が隠されていた。剣の銘は魚腸剣。その魚腸剣は、魚の腹という鞘(さや)から抜かれ、専諸の手中にあた。鷹が大殿に激突した時、魚腸剣は王僚の心臓にまっすぐに突き刺さった。

大鷹は傷つき墜落しながら、一声鋭く鳴いた。魚腸剣は王僚のだんだんと弱りつつある心臓を感じ取りゆっくりと脈打った。剣の雨に打たれ倒れた専諸は最後の力を振り絞り、顔の真下の地面に向けて寂しく微笑しんだ。

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一心一意得之  雅体文字

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