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(ラグビー留学体験ルポ・前編)おっさんなのにニュージーランドにラグビー留学した

【おっさんがラグビー留学した理由】編


 現役選手でもなんでもない30代後半のおじさんが「ニュージーランドにラグビー留学をしたい」と言い出したら、世の人は笑うだろうか。少なくとも、僕は嘲笑する気にはなれないし、そんな人がいたら逆に応援したい。お金をあげてもいい。

 僕がそう考える第一の理由は、そのおじさんというのが自分だからである。もしも他人がおなじことをしていたら笑ってしまうかもしれないが、今回は自分のことなので笑う気になれない。笑う人の気が知れない、とさえ思う。

 人生で一度はラグビー留学をしてみたかった。
 
 大学卒業後にテレビ・ラジオの放送作家として約10年活動してから、二足のわらじでスポーツライターも始めた。ラグビーに軸足を置くタイミングだった2015年、せっかくならニュージーランドにラグビー留学ができないかと思い立った。

 法政大学ラグビー部を卒業後、競技からは10年以上遠ざかっていた。しかし年齢的にも今が限界だろうし、などとあれこれ考えているうち、その気になってしまった。

 留学先は駅前ではない。川崎の裏通りで見かけた「乳ジーランド」というお店でもない。海の向こうにあるラグビー王国、正真正銘のニュージーランドだ。

 期間は2015年5月の第2週から3週間。ホームステイをしながら午前は語学学校へ通い、午後は地元クラブチームの筋トレ・練習に参加する。週末には試合がある。完全に現役のスケジュールだ。

 目標は試合に出場して「あのジャパニーズはクレイジーだ」と言わせるほどのタックルを浴びせること。希望の対戦相手はズバリ、ニュージーランドのU12世代である。海外の12歳以下を舐めてはいけない。

 僕がラグビー留学をする最初の日本人であったなら英雄気取りで冒険譚を書くところだが、残念ながら僕で1万6500人目くらいだろう。「1万6500番煎じ」の物語を誰が有難がるだろうかと考えれば、自然と謙虚にならざるを得ない。

 特筆すべきことがあるとすれば、僕が「(選手として)10年以上のブランクのあるおじさん」であるということくらいだが、実はこれもたいしたことではない。

 日本には80歳でエベレストに登るおじいさんもいれば、44歳でチームのTL昇格を志したラガーマン(伊藤剛臣)もいた。両者のほうが年齢が上であり、かつラグビー留学よりも過酷なチャレンジである。

 おじさんがラグビー留学するくらいが一体なんだというのだろう。たいしたことはない。語るに足りない話だ――と、そんな風に自分の行動を卑下していたところへ、幸運が舞い込んできた。

 渡航2週間前。誘われて参加したタッチフットで、腰を強打し、以来腰に激痛が走るようになったのである。

 止まろうとした時、両足を前に投げ出す格好で、後ろにドスンとしりもちをついた。その日から上体を反らすたび、腰に稲妻に似た痛みが走るようになった。地元の整形外科では「骨に異常なし」との診断(誤診)も、2週間が経った今も痛みは消えない。

 3か月前から月50キロのランニングをこなしてきたが、この故障で運動もままならず、体重もややリバウンドした。ラグビー留学にさっそくの黄色信号が灯ったのだ!これでほんの少しだけ面白くなった気がする。出立は5月9日(土)である。

羽田を出発したが(機内トラブルにより)豪州ケアンズ経由でオークランドへ。

【おっさんのラグビー留学が始まった】編


 2015年5月10日。ニュージーランド(ウェリントン)に到着して12時間も経っていないが、ニュージーランドは、僕の第2の故郷である。もしかしたら母国かもしれない。

 この国は12時間のあいだに僕を大きく成長させてくれた。人として寛容になった気がするし、英語も上達したような気がする。気がしているだけのような気もするが、成長の初期段階とはそういうものだろう。

 着いたウェリントンの空港では、スコットランド生まれだというホストファーザーが待っていてくれた。ホストファミリーも親切で、フレンドリーな人びとだった。日本から数千キロも離れたところに、こんな親切な人びとが存在しているとは知らなかった。この調子でいけば100万光年先にも親切な人びとがいそうである。

 ホストファミリーの息子さんが家に遊びにきていた。体格がよく、身長も180センチはありそうだった。僕は思わず「ラグビーをやっていたんですか?」と尋ねた。すると彼はまさか!という風に笑って、こう言った。「ラグビーなんて出来ないよ。この体格だから」。

 ならばこの国ではどんな体格のやつらがラグビーをするのか?  それを今日からきっちり目撃するつもりである。彼らに猛タックルをぶちかますと豪語していたが、その言葉は撤回する。生きてこそである。

スコットランド出身のホストファミリーのお父さん。フランクで楽しい方。


 ラグビー留学3日目。ウェリントンでは、スーパーラグビーのハリケーンズの練習を見学することができた。ベン・フランクス、デーン・コールズ、TJ・ペレナラ、ジュリアン・サヴェア。
 
 やはり体が前のめりになる。彼らが重要な試合の前になにをするのか。なにをチェックし、どんな声を掛け合うのか。各ポジションの確認事項はなにか。これだけ集中して何かを見たのは、男子校時代、やってきた教育実習生が女子大生だった時以来だろう。

 ホストファミリーでの生活も始まったが、生活で一番驚いているのは物価の高さである。

 トマト1パック(5個入り)が5.99ドル。サンキュッパみたいな姑息な値段設定は日本と変わらないが物価は異なる。東京でもトマトは季節を問わず高いが、それでも同量なら300円~400円くらいだ。ウェリントンの物価は(感覚的には)東京の約1.5倍だ。

 渡航前にチェックした観光サイトではどこも「ニュージーランドの物価は比較的安い」と書いてあったような気がするが、ニュージーランドという国がもう一つあるとしか思えない。
 
 しかし物価高を勘定に入れても有り余る魅力がウェリントンにはある。現状での最大の収穫はラグビーがますます好きになっていること。一時的ではあるがプレイヤーに復帰し、わずかではあるが手応えも感じている。いま一番知りたいことは来年度のTLトライアウトのスケジュールだ。

スーパーラグビーのハリケーンズの練習を見学。
ハリケーンズのクラブハウスも見学することができた

【10年以上ぶりに試合出場して鎖骨をやってしまう】編

 
 ラグビー部における「初めて」はいくつもあるが、その中でも最大のインパクトは「初めての試合」ではないだろうか。

 初めて試合に出たときのことを、あなたは憶えているだろうか? そのときあなたはどんな姿のラグビーを目撃しただろう? とつぜん戦闘ゲームの駒にさせられ、試合が終わるか戦闘不能にならない限り抜け出せない檻の中で、あなたはラグビーが「闘球」の名にふさわしいことや、同じ場所で30人が集散するカオス状態を痛みの中で体感したはずだ。

 僕の場合、そのとき仰ぎ見たラグビーの姿は痛みの権化のような何かだった。僕はその試合、ハーフタイムに書いた退部届を握りしめながら後半を戦ったような気がする。

 僕は昨日の試合で、そのときの感覚をはっきりと思い出した。
 
 約10年ぶりの実戦で、初めての試合の感覚が甦った。

 ウェリントンから車で約30分の距離にあるUpper hutt(メイドストーン・パーク)で5月16日(土)、参加するラグビークラブの試合(アウェイゲーム)が僕の腰痛などお構いなしにおこなわれた。
 
 ハイウェイ(無料)を北上する車中、流れる緑の丘陵は平穏そのもので、天気もすこぶる快晴だった。まさにラグビー日和。会場へ向かう道中、美しい日に私は死ぬのだと私は閑かに微笑んでいた。

 試合会場に到着すると、すでに何かしらの試合がおこなわれていた。駆け回る選手たちはみな巨大で、ガンダムのようだった。試合を見守る彼らの仲間や家族も、ガンダムのようだった。

 用意されたロッカールームで対面したチームメイトの中には、初対面の若者もたくさんいた。「ワタシハ ニホンカラ キタ」などの浅い会話を交わしたあと、彼らとともにウォーミングアップ。人種は白人が1割、アイランダー系・マオリ系が9割といった感じ。

 クラブのコーチに「私のポジションはナンバー10だ」と伝えていたはずだったが、発音が悪く「ten」が「fourteen」に聞こえたらしい。右ウイング(14番)での先発出場となった。

 すぐコーチに「ウイングはまったくやったことがない」と伝えたが、「オレに任せろ」と聞こえたらしく、変更はなかった。日本では使えない奴を取りあえずウイングで出場させる慣習があるが、まさかそれではないだろう。コーチは僕の走っているところを一度も見ていないが、きっと雰囲気で実力を悟ったのだ。コーチの並々ならぬ期待を双肩に感じ、僕はピッチに躍り出た。

 試合直前、対戦相手をざっと眺めてみた。

 あまりの体格差に驚いた。なぜラディキ・サモがここにいるのか――いくつもの疑問が脳裏を駆け巡るが、答えてくれる者はいない。ふいにキックオフの笛が鳴って、僕は右足を出し、続いて左足を出し、また右足を出し――つまりは走っていた。
 
 スクラムになって、そこでようやくトイメンを確認した。

 なぜさっきのラディキ・サモがトイメンに?――体格からしてフォワードだと思っていたアイランダー系の巨人が(嘘でも冗談でもなんでもなく)トイメンにいる。彼が僕のトイメンだったのだ。しかも最悪なことにヤル気に満ち溢れている。と、ふいにラディキ・サモにボールが渡り、こちらめがけて突進してきた。

 自分の肩でアイランダー系(またはマオリ系)の選手の重さを感じる―。これが今回のラグビー留学の目的のひとつだった。今回その目的は左肩で達成した。

 感想を言わせて頂くと「燻製にした牛のふとももにタックルしたよう」。とにかく異常に硬いのだ。タックルをすると、脳髄が引き裂かれるような痛みを覚える。プレーの結果はバインドができず、前進を許してしまった。ローストした牛が不思議な力で前進してきたのだから当然といえば当然だが、そこを止めなければならないのがラグビーである。

 僕はなんでこんな競技をしているんだ――。ラグビーを始めた高校一年の頃の困惑をはっきりと思い出した。

 しかし来週の試合では「足首を刈る」というもうひとつの目的を達成しなければならない。今回は10年振りでやや面食らい、確実に鎖骨を痛めた。しかし次戦では試合前から腹を据え、がっつりとタックルに入りたいと思う。

 いま考えているのは「どうすれば相手チームのドリンクに下剤を入れられるか」だ。まずは準備で勝つ。戦いは試合の前から始まっている。(後編へ)

試合会場。相手はPetoneの下部チーム。
60分出場して後半20分に交代。ウイングとして特に何もせず終わった。


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