その他の記事
マジでなんにもないままここまで来てしまったので リアルな自分自身が恋愛をしているイメージが一切できないのですが いたら嬉しいと思う架空の女についてよく妄想しているので 今回は一部紹介します。 ・私とはかなり長い付き合いになるが、ずっと名字で呼び合っている ・人がなんか失敗した時、ヌルッとフォローに入れる 気付いたら割れた皿とか片付け終わってる ・家に行くと、異様に上手い珈琲を豆から挽いてくれる 500円払うとパスタやらも出してくれる 「インディーズのサ店」をこっそり
高校生くらいまでのことですが、私にとって自殺というのはテレビのニュースで語られることが全てであったので、いじめ・虐待・何らかのハラスメントのような加害が必ず動機にあるものだと思っていた。死んだ先はどうせ無なので、自分が死んでしまうくらいなら隙をついて“敵”をブチころがすか、そうでなくとも二度と視界に入らない場所に移るなどして、原因を排除する工夫はできなかったものか、などと考えていた。実情をなにも知らなかったため。また、知る必要も感じていなかったので。 私の脳裏に死がチラ
詩。詩を読んで感動したい。 詩を楽しめる深い感性に憧れる、そういう時期。 そろそろ、詩が楽しめていないことが惜しくなってきた。あんま面白くない人がよく言う「○○知らないとか人生の半分損してるよ笑」だが、詩に関してはマジで5%くらいは損してる気がする。なにせ人類史における一大コンテンツ。面白いに違いない。かっこいいし。 思えば、私は甲斐のない大学生だった。文学士(文学部を出さえすれば名乗れてしまう)なら普通わかるであろう知識があったりなかったりする。まず、詩の素養が
ウォシュレットってご存じですか? 水が出る機械なのだが。 使う人もいれば使わない人もいて、中には自宅では使うけど外のものは使えない、という人もいます。まぁ個々人が好きにすればいいのですが、私はどうも、自宅以外のウォシュレットが使えない、という人のロジックに納得がいっていないのですよね。 よく、知らない人が使った、誰が使ったのか分からないものだから汚い/汚いように感じてしまう、と聞きます。でも、他人が使ったウォシュレットは、別に他人のケツを洗った水が出てくるわけではな
私の記事のうち、読書に関係があるもの
7月 7/4 ・ガルシア=マルケス『百年の孤独』 ブエンディアの家に、そしてマコンドの町に、人々がやってきては去っていく。 一族のやることや起こることの大袈裟さや、反道徳的な愛の数々は神話のよう。それに比べた時、時代が下った先に家の外に発生した企業、政治、法律などの無駄に複雑なものは全てスケールの小さいインチキのように見える。 兄妹同士での結婚なども退廃的な描かれ方はされていない印象だし、幼女で嫁いでくるレメディオスはむしろギスギスしがちな家の中において光だった。
幸福になる方法を探って、幸福論を読んでみよう。第二回 ↑前回はアラン『幸福論』 今回はラッセル『幸福論』(安藤貞雄訳、岩波文庫)とショーペンハウアー『幸福について』(橋本文夫訳、新潮文庫、改版)です。 授業を受けるような気持で、理解したことを逐一ノートにとりながら読もうとしたのですが、結局は面倒くさくなってスマホのメモにチョコチョコ書いただけでした。 哲学を専門に学んだわけでもない素人の感想なのであんま信用せず、この記事で幸福論を理解したとは思わないで、気になった
白井智之『お前の彼女は二階で茹で死に』という小説を読みました。最近も『エレファントヘッド』が話題だったりしてずっと流行っている作家ですが、私は今回はじめて読みました。というのも、白井智之ってエログロで有名なものですから、気になりつつも若干ビビッって後回しにしてたんですよね。ほら、もしかしたら彼女キャラが…ね?私ってNTRだけは大地雷だからサ…。 実際読んでみたらすごい面白かったです。グロいしエロいけどちゃんとミステリだし、構成が凝ってて。…私って時系列がいじってあったりす
幸福になるにはどうすればいいのか、そもそも幸福とはなんなのか、正解はあるのだろうか。最近そんなことを考えていたので、『幸福論』を読んでみました。 幸福論について調べてみると、ヒルティ、アラン、ラッセルによるものを指して「三大幸福論」と呼ぶらしい。でも、西洋哲学って読んでも分かんないしな、とも。とりあえず「幸福論」に関係のありそうな本を三冊だけ選んで注文してみました。 寺山修司『幸福論』。まずはこれ。寺山修司って実は読んだことなかったのだけど、有名な文筆家であるわけだ
私の記事の、小説とかのやつ
1.夜釣り 実話。私が生まれるより前の話。 祖父が友達と、湖で夜通し雑談しながら釣りをしていた日のこと。 夜明け前、空の白み始める頃でした。パシャ、パシャと水音が聞こえてきたそうです。なんだなんだと様子を伺うと、いつの間にやら湖上にボートが浮かんでおり、船上の人物が長い棒で水の中を突いたり、かき回したりしているようです。そんなことをされれば魚が逃げてしまいますから、釣りどころではありません。一体なにをしているのかと声をかけました。 こちらに気付いたボートが近寄ってく
「クソが。一体どうなってやがる」 困った。ネット通販が使えないのである。といっても、私を愚鈍な人間だなどと思ってはいけない。新しいモノを全く取り入れられず、学ぼうともせずにわからんわからんとばかり言う年寄り連中と一緒にされるのは心外である。私も還暦を過ぎているが、インターネットで物を買うくらい、その気になれば簡単にできるのだ。実際に私は何度も利用している。しかし……。 いつも通りに操作しているはずが、中々注文確定の画面まで辿り着かないのだ。商品をカートに入れて、購入画面
昔からずっと、夢の中だけで会う女がいる。現実では一度も見かけたことがない人物、だと思う。私の場合、普段の夢の登場人物と言えば学校の同級生、近所に住んでる人などの顔は知っているけどさほど親しくもないような人が多く、彼らが色々な役になって出てくる印象。それでもまぁ、夢に全く知らない人が出てくる、というだけでは別段不思議な話ではない。しかし、この女は長年に渡り、何度も繰り返し出てくるのだ。 はじめての遭遇時、私は中学生か、高校生だったか。この女は何度も夢に出てくるな、と気付い
私には「推し」というものが分からない。いや、分からなくはないか。その概念については知っているつもりではある。ただ、僕自身が適応できずにいる、というだけの話。 僕はインターネットがそれなりに好きで、インターネットで活動している色々な人たちが好きだ。近頃、そうした自分の好きな人たちのことを、世間では「推し」と呼んだりする。あと、アニメキャラとかに対しても使われる。もともとアイドルの界隈の語彙だったこの言葉が、一般的に使われはじめた時期を僕はうっすら覚えているが、その時はまさかこ
私の記事の、散歩のやつ
少なくとも一カ月に一回は電車に乗ってどこかに出かけよう!というタスクを自らに課している。というわけで5/2、最近『帝都物語』を10巻まで読み終えたのにかこつけて東京に行きました。なんか急に遠くまで出かけたくなったので。休日の東京は地獄と化す(おそらく)ので、GWに入る前の今しかない。将門の首塚を見に行くぞ! 一応は月イチ以上電車に乗っているとはいえ、近場で買い物して帰るだけだったりが続いていたので、久しぶりに新宿まで出たら1時間くらい乗っていただけなのにえらい疲れた。大
2024年2月9日 町田に行った日の日記 みなさま、東京都町田市と聞くと何が思い浮かべますか?「町田は神奈川w」というやつでしょうか。あのネタ、面白いフェーズはそろそろ終わったような気がします。町田市在住の人たちが鼻で嗤っているような……。 実際、横浜に行くくらいなら東京出ればいいじゃん、とは思います。そっちのが近いし。去年の9月には暇つぶしに赤レンガ倉庫を見に行ったけど、普段は行きませんね、横浜。そもそも、そう頻繁に電車に乗って出かけもしないわけですが。 町田には年
最近つまんねぇな……。ということで、9/7、横浜に行ってきた。特に用はない。赤レンガでも見に行くかな~くらいの気持ちであった。 午前10時、桜木町駅。まず、横浜公園に行った。 「ポケモンの巣」があるのだ。ポケモンGO、割とやってはいるが、わざわざこれをやりに出掛けるほどでもないので、ポケモンの巣にははじめて来た。今の横浜公園はキノココの巣になっているらしい。キノココは捕まえればつかまえるほど得になるポケモンなのだ。 関内駅の近くなので桜木町からは15分くらい歩いた。
7/2(日)、用事があって京王線調布駅に降りた。 9:30くらいに集まればいいところ、8:15に到着。ちょっと早すぎたので駅周辺を歩いてみる。早い時間なので、人がそんなにいなくていい。 駅の目の前にでかい広場があった。座れるところもあっていい感じ。今日はちょっと、外にずっといるのには暑すぎるが。 天神通りの入口に鬼太郎がいた。ほかにも水木妖怪がいた。 天神通りの先にある神社。この日は「つくる市」なる催しがあり、地域の人が色々つくったものを売っているような感