ギフテッドと非ギフテッドの兄弟
兄弟の中にギフテッド児がいると、子どもの知的発達に関する親の基準が無意識のうちに引き上がってしまう。結果として非ギフテッドの兄弟には辛口の評価を下しがちとなり、ともすればその可能性を摘んでしまうかもしれない。
ギフテッドの長男には、歳が4つ離れた弟がいる。知能検査を受けさせたことはないけれど、多分ギフテッドではない。とはいえ年相応の知的発達を見せていて、学校の授業にもしっかり対応できている。それなのに親の実感は大きく異なる。
3歳の頃には長男は一人で絵本を読めたのだから次男もそうなるだろう、5歳になれば漢字くらい読めないとなどと、ついギフテッド児の発達ペースを物差しに次男の成長を測ってしまうのだ。
ギフテッド児が特別なだけで、本来はこれくらいが普通なんだと思おうとしても、長男の育児を通じた実体験を覆すことは容易ではない。なぜこれができないの?お兄ちゃんはあなたくらいの頃はもう本を沢山読んでいたよ?と、つい口に出してしまったことは数え切れない。
何も悪いことはしていないのにギフテッドの兄と比較され叱られる次男は可哀想だ。次男は次男なりに本を読んだり、絵を描いたりしているのに、なにかと兄と比べられては理不尽に怒られる。
親のそうした言葉は、段々と次男の心を壊すかもしれない。また今は幼くて無自覚な次男も、いずれ長男と自分を比較して劣等感を持つようになるかもしれない。そう考えるたびに親としての自分のダメさを痛感する。
長男がギフテッドじゃなかったら、次男の発達や知能について必要のない心配をしなくて済んだのに。そんな風に親の問題を責任転嫁したくなることさえある。ギフテッド児と非ギフテッド児の兄弟を持つ親は少なからず同じような悩みを抱えているのではないだろうか。
ギフテッド児に対する支援の必要性に目が向けられるようになってきたことは素晴らしいことだ。一方で、ギフテッド児を兄弟姉妹に持つ非ギフテッドの子どもたちやギフテッド児の親への支援のあり方も考える必要があるのかもしれない。
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