ベランダから聞こえる「ご飯食べにおいで」

初めて借りた部屋は、正確に言うと親からの仕送りで家賃を払っていたワンルーム。大学進学のために他県で一人暮らしをすることになった。候補は2箇所。通学に便利な大学近くと、親の知り合いが住んでいる場所の近く。

家探しのときに、付き添ってくれたのもその親の知り合いのおばちゃんだった。大学近くの物件も幾つか見て、おばちゃんの近くの物件も見た。最後の不動産屋さんが紹介してくれた部屋はなんとおばちゃんの家のベランダとベランダが向き合うアパート。大家さんの希望で社会人にしか貸さないところを、女性だし静かに生活してくれるなら交渉します、とのこと。

「ここだと、お父さんもお母さんもわたしも、みんな安心だから」

そう言われると、他にする理由は何も残らなかった。とにかく18歳の1人暮らしを遠くで心配している親が一番納得する物件にするしかない。こうして、安泰なスタートを切ることになった。

友達には1人暮らしなのになんでそんな遠くに住んでるの?と不思議がられた。通学には時間もお金もかかったけれど、同じ価格帯の大学近くの部屋より作りがよかった。ワンルームとはいえ社宅だっただけに室内の違和感を感じないスペースに洗濯機置き場あり、脱衣所あり、収納3か所。キッチンのシンクも広く、2口コンロが置けて使いやすかった。

最初は用事があると、電話をかけてきてくれていたおばちゃん。新生活に必要そうなものが実家に余っていると、もらってきてくれた。大きなミラーやこたつをもらった記憶。初めての夏や冬ががきて、必要なお布団とかホットカーペットとかヒーターとか、新聞の折り込み広告から売り出しの日を教えてくれるだけでなく、車を出して一緒に買いに行ってくれた。そのおかげで季節ごとアイテムが充実して、ますます快適な部屋ができていった。

そのうち、電話ではなくベランダからときどき「〇〇ちゃん~」と呼んでくれるようになった。「ごはんまだだったらおいで~」と。ご夫婦は、わたしが子供にしてはちょっと若めになるけれど、自分の子供のようにかわいがってくださった。料理好きなおばちゃんは、友達からおいしいレシピを聞いてきては、作ってくれた。お味噌やお漬物や梅干しを仕込んだり、ポン酢までも手作りしていて持たせてくれた。

大学生活がだんだん忙しくなっても、そうやって時々、栄養バランスのいい食事に恵まれた。食事をしながら、悩みごとも聞いてくれた。大学生のまだまだ年齢層の限られる友人関係の中より、社会人経験豊かな存在から聞けるアドバイスが貴重だった。わたしのひとり暮らしに寄り添ってくれる大切な存在。学校にバイトに恋愛、それなりに予定みっちりの生活に過度に干渉してくるわけでもなく、時々声をかけてくれるというちょうどいい距離で温かく見守ってくれたのだ。おかげさまで大学生活中、一度もホームシックになったことがない。

4年が過ぎ、就職でその部屋から引っ越した。少し離れたところに住み始めてもおばちゃんは「今日ごはん食べに来ない?」と時々、電話やメールをくれた。デパートの北海道展にいってきた、とか料理教室でこんなの習ったとか、そういうふとしたタイミングで、連絡がきた。親でもなく親戚でもなく、社会人の私とも友達に近い感覚で付き合いを続けてくださったのだ。

そうはいいつつ、友達以上のこともしてもらった。卒業後、奨学金の保証人を快く引き受けてくれた。親と別に血縁関係のない保証人が必要だったからだ。10年かけて無事に最後のお金を納めたその日、お礼を伝えるのに、そのご夫婦を訪ねた。だいぶ大人になった気がした。

今はすぐには会えない距離にいる。そして、パスタを作ると、時々おばちゃんのことを思い出す。明太子、トマトソース、ボロネーゼ、ボンゴレ、バジルソース、ペペロンチーノ。なんでもとにかく具が多くて、手作りソースたっぷりがおばちゃん流。「外で食べるパスタって具が少なくて、あれさみしくて嫌いだわ~」が口癖だった。和風きのこパスタに乗ってる海苔なんて、具が見えないくらい多かった。

わたしもだんだん、おばちゃんの年に近づいてきている。時々、ちょっと多めのごはんを作る。おばちゃん流に野菜、海鮮、お肉、その日使いきりというスタイルで作れば、トマトソース、カレー、餃子、ホワイトソースでラザニアとかグラタン、必然と大量になる。

「もし時間あれば、今夜ごはん食べに来ない?」と年下の1人暮らし友達にLINEするようになってきている。


【ゼロクロさん、ヘッダー画像お借りしました。ありがとうございます】


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