「人見知りが1年で1000人と会ってみたらこうなった」個人開発者かしいのプロフィール 学生編
はじめまして!
かしい(@rubys8arks)と申します。
会社員として働きながら、個人開発者としても活動しています。
新卒で外資系ITコンサル→個人開発&フリーランスエンジニア→エンタメ系のITスタートアップで新規事業立ち上げ(今)という経歴です。
1人の人生をネット上で公開することで、「この性格は似ているな」
とか読んだ方の人生を見つめ直すきっかけとなれば幸いです。
プロフィール
名前: かしい
1991年東京生まれ。生まれてから現在までずっと東京に暮らしてますが、途中パリ・エジンバラ(イギリス北部スコットランドの首都)などに留学してます。
上智大学英語科卒業、外資系ITコンサルに入社して要件定義〜移行と一通りのウォーターフォール型システム開発を経験。
「3年は働け」とはよく言ったものですが、3年働いたところで「あーなんか大体わかったな」と思い転職を考える。
1年半休職して独学でWEB開発を勉強、個人開発でサービス公開。
2019年8月からplayground株式会社でエンタメ業界向けITコンサル&新規事業立ち上げをしています。
社会人になってからのプロフィールはこちら🔽
学生時代のプロフィールもご興味ある方はこのまま読み進めてください!🔽
初めてインターネットに出会った小学生時代
オタクの姉といとこに囲まれ、すくすくと漫画・アニメ・ゲーム好きのオタクに育ちました。
小学3年生のときに「ゴクドーくん漫遊記」というアニメに激ハマりし、このアニメの情報を知るために初めてYahoo!で検索したのがインターネットとの出会いです。
魔法のiらんどでファイナルファンタジー9のファンサイトを作ったり、FC2でtableタグ使ってゲームのファンサイト作ったりしてました。すべてが懐かしい響き。
ドールモデルに憧れた中学時代
東京で私立中学に進学。
環境が変わり「自分では話しかけているつもりなのに、相手にはひとりごとと認識されて気味悪がられる」というコミュ障っぷりを発揮。
しかし、5月の1学期中間テストで数学100点を取ってクラスでの居場所を確保できました。
なんとかできた友だちの一人、テニスの王子様の跡部様大好きだった女の子に「これ見て!」と紹介されたのがVOGUEというハイブランドファッション雑誌でした。
「こんな美しい人がいるのか!」と衝撃を受け、欧米文化に憧れて、めっちゃ英語を勉強。
お金持ちのきらびやかな女の子ばかりの学校に「デュヒヒwwサーセンww」みたいなネットスラングにかぶれたオタクが通うのはかなりつらかったのですが、美術部が楽しすぎたので生き長らえました。
洋楽っていいじゃん!高校時代
中高一貫校だったため、受験することなくそのまま高校に進学。
高校時代に出会ったのが私の人生を変えたバンドManic Street Preachers(マニック・ストリート・プリーチャーズ)。
1991年のデビュー時に「全世界で100万枚アルバム売って解散する!」と息巻いてたのに30年後の2020年、未だに精力的に活動してくれてるヘンなバンドです。
厭世的なのにメッセージ性と文学性の強い歌詞に衝撃を受けて、「絶対にイギリスに行きたい!」と思うようになりました。
"I am stronger than Mensa, miller and mailer,
I spat out Plath and Pinter"
- メンサ会員より、ヘンリー・ミラーより、ノーマン・メイラーより俺は強いし、シルヴィア・プラスやハロルド・ピンターにだって唾を吐ける
日本語だと「村上春樹より、東野圭吾より、星新一よりより俺は強いんだぜ」って歌詞にしてるみたいな感じでしょうか。
しかし、高校の交換留学制度はアメリカしか選択肢がありませんでした。
アメリカには全く興味がなかったのに親に無理やりアメリカ留学の試験に応募され、
面接官「どうして留学したいんですか?」
わたし「えーっと…(別に行きたくないですけど)」
としどろもどろになり、最悪な気分になったのは未だに覚えてます。
「自分がやりたいと思えないことは人に指示されてもやってはいけない。自分の人生の責任は自分で取らなければいけない」
ということを学んだ瞬間でした。
ひたすら勉強!大学時代
予備校詐欺に遭って50万失うも、なんとか現役で上智大学英語科に進学。
イギリスへの交換留学に受かるためにめちゃめちゃ勉強して、自分の好きな文化についてめちゃめちゃ研究してとひたすら好きなことをやれた大学生活でした。
・自分で好きな科目を選べる
・クラスの縛りもゆるい
・内部進学がないから勉強できてしっかりしてる人が多い
・スポーツ推薦もないから体育会系のノリも少ない
と最高の環境すぎて、本当に受験して上智大学に進学してよかったです。
コミュニケーションのなんたるかがようやくわかってきたイギリス留学時代
念願叶ってイギリスのエジンバラ(スコットランドの首都)に留学。
「わざわざ留学までしてるのに引きこもるのマジで意味ない!」
と思ってとにかくいろんな人と会いまくる、人生で1番社交的な時期でした。
リアルに1000人くらいの人と会ってわかったのは、
「自分が自分らしくいるだけで、『面白いね!』と言ってくれる人もいれば『興味ない』『嫌い』という人もいる」
という当たり前の事実でした。
相手に興味を持たれなかったり、会話が盛り上がらなかったり、すぐに連絡が途絶えたり…。
落ち込むことも多かったですが、その中でもわかりあえる人がいることが嬉しかった。
なんとか共通点を探したり、相手の言うことに全部ポジティブな返答で返したり、第2外国語同士で拙い英語でなんとかコミュニケーションを取ろうと画策したり…。
留学を経て、「初対面の人としゃべる」というのがあまりストレスじゃなくなりました。
「そもそも自分が話しかけないと誰にも話しかけてもらえなくて当たり前」
「1回で成功しなかったら何回でもチャレンジしていい」
「自分から行動すれば結果が出る」
こういう成功体験を積めたのは大きかったです。
コミュニケーションの基礎を完全にイギリスで学んだので、「あれ?日本社会であてはまらないな?」って感じることも多いのですが。
マジで苦労しまくった就活
1年間の留学生活を終え、日本に帰国。
大学院に行く資金も、学士から海外で就職する勇気もなかったのでまずは日本での就職を考えます。
ただこれが本当に苦労した………。
学生生活を留学に全振りしていてインターンをやれるタイミングもなかったため、「企業で働く」ということがどういうことかわからなすぎて就活迷子になりました。
「あなたが1番がんばったことはなんですか?」という質問に本当にがんばったことって答えちゃいけないんですね。
「"集団で活動した"エピソードであなたが果たした"役割"と"結果"を教えてください」とかストレートに質問してほしい。
60社以上の日系企業に落ちまくる中、外資のITコンサルだけするすると内定が出て即受諾。
社会人編に続きます。
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