経験ベースの判断方法

体の声がわからなくなっている時
自分の判断に自信を持てなくなった時は、知らず知らずのうちにやってしまっている行動を確認するといいかもしれない。
最近仕事を辞めて気づいたのだけど営業の仕事をしていた時も学生時にバイトで塾講師をしていた時も、出社前は毎回大きな音量で音楽を聴いて気を紛らわせていた。行くのが嫌な時ほど音量は大きくなって、楽曲も騒々しいものになっていった。実際当時は気づかなかったけど、それは自分がそこまでしないと気持ちを持っていけない環境だったということだし、無意識にどうにかストレスや緊張を緩和させる方法を探していたのだと思う。
当たり前かもしれないけど、ストレスがない場所へ行く時はそんなことしない。何もしなくても朝自然に体が向かうもの。小学生の時剣道の道場へ行くことや、大学でクラスが変わった時に初めて入るクラスは緊張感があったけど悪いストレスではなかった。あれはいいストレス。ちょっと行きたく無いな...でも行かないと〇〇に試合で負けるかも...それは嫌だな、とか思ったりしてね。自分を成長させてくれる場所だったから、それは結局自分で行かないと、ってなるわけで。

自分はほんとにここでいいのかなって
立ち止まって考えて、いや駄目だなどうしよもないなって思ったら、そこは去るべき場所だと思う。周りを自分が変えたいと思う人はすごいと思う。でもそれをやりたいと思うかは人それぞれで、わたしは環境の方が楽に変えられると思う。

23の人間が話しても説得力の無い言葉、と感じるかもしれないけど少なくとも自分で自分のことは信用できる。よく考えろとよく言われるけど、あんまり考え過ぎず、いいなと思ったら飛び込んでみてそこで感じたことを反映して軌道修正する、ってやり方の方が経験ベースの判断ができて結局良いのかもしれない。考えてひねくり回した判断は結局余分なものがついていて、心の声が反映されていないことが多い。

人には人の判断基準と判断方法がある。

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