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【読書ノート】『傲慢と善良』

『傲慢と善良」』
辻村深月著


映画化されるということで、再読した。

あらすじ
西澤架と坂庭真実は、婚活アプリで出会い、一緒に暮らしていて結婚も決まっていた。お互い充実した日々を過ごしていると思っていた矢先、真実は、突然姿を消す。
ミステリーの流れで、物語は進んでいく、、

①婚活アプリ
徐々に愛を育む通常の恋愛とは異なる。写真と自己PRを読んで、メールなどのやり取りを通して、会うかどうか決めるところから始まる。カタログ販売みたいな感覚に近いのではないか?

自分の本来の姿を隠し、自分に合うかもしれない人を探すという過程は、客観的にみると滑稽なのだけどね。

お互いが高望みし合って、出逢う。そのまま、結婚するわけではないだろうから、付き合ってみて、現実を知りながら、次のステップに進むかどうか模索していく。

見た目はどうだ?とか、優しさは?収入は?結婚に進む可能性は何%みたいな客観的な評価をし合うわけで、なかなか、キツイなあと勝手ながら思ってしまった。

②幸せとは何か?
幸せ≒結婚とは言い切れない時代ではあるのだけど、それでは、幸せとは何か?

日本の教育って、平均点の教育だからね。優秀な人ももちろんいるのだけど、いかにして、平均的な人間を大量に世に送り出すことできるかということが問われてきていたのだと思う。つい、自分は普通に分類されるレベル以上の人間なのだから、人並み以上の幸せを手に入れるべきなのだと思ってしまうものなのだけど、幸せに平均はあるのだろうか?
平均年収みたいな指標はたしかにある。平均的な年収より高いと相対的に幸せだと考えられていたりするのだけど、現実は、ちょっと違うように思ってしまう。

自分のパートナーと同じ方向を向いて生きて行くことは、幸せの一つの形なわけで、婚活というのは、大事なことなのだとは思う。それでも、つい、結ばれるべき相手は、自然に眼の前に現れるものなのではないか?って思ってしまう。

婚活アプリに戻ると、出逢ったひとが、出逢うべきひとなのかどうか、自然体で見極めることが必要なのだろうなあとしみじみ思う。タイミングが合わないひとはだいたい出逢うべきひとではないのではないか?と思う。

出逢うべきタイミングで出逢ったひとは、得てして出逢うべきひとなのだと思う。

物語の主題は何か?
情報過多の現代社会で、結婚に対する不安が増す中、心惹かれた相手をどう評価したら良いのか?一方で、相手にとって自分はどうなのか?きになることではあるのだけど、結論的には、わからない。お互いにとって相手を信頼することができるかどうかということが、重要なのだと思った。

夫婦というものは、だいたい、お互い不完全な状態で結ばれて、だんだんと夫婦になっていくのだと思う。子供を授かった時も、親としては新米で、子育てを通して親になっていくように思う。

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