だから私は断捨離をやめた

外出自粛の影響で、おうちの中を片付ける人が多いらしい。
我が家も、ちょこちょこ片付けているほうではあるけれど、家族がいればその数だけライフステージに合わせてモノが増える。
玄関わきの納戸に収納するモノは着実増えているし、廊下の物入れには、家電やパソコンの空箱がうずたかく積まれていて、雪崩が起きそうだ。
クローゼットの中も洋服がパンパンになっていて、嵐のグッズやライブDVD、ドラマのDVDボックスがぎゅうぎゅうに押し込められている。

寝室の隅に置かれた小さな学習机が私の作業デスク。読みかけの本が積み上げられて出番を待っている。その横に無理やりスペースを作って小さくなりながら、パソコンを開きnoteを書いている。

確かに環境は良くない。
そろそろ片付けねば、大事なものをなくしそうな気配がするが、やっていない。
断捨離をやめたからだ。

30代のころは、シンプルな何もない家にあこがれて、モノを捨てるのがマイブームだった。
1年着なかった洋服、読み終えた本、聞かなくなったCDやカセット、食洗機で洗えない食器、クリアできなかったゲーム、ありとあらゆる「今使っていないもの」を捨てた。
だけど、最近捨てたことを後悔しているものが多い。

例えば本。
昔、好きで何回も読み返していた本を、「今読まないから」と処分した。その時は、それでよかったのだけれど、最近になって無性に読みたくなっている。

中世ヨーロッパものとタイムトラベルものを好きになったきっかけの本。中世ヨーロッパのイケメン貴族と現代の女性が恋に落ちるお話。時代を隔てて恋が成就するのか、別れてしまうのかドキドキしながら、何度も繰り返し読んだ。
でも、周りがもっと村上春樹やらビジネス書を読んでいると聞いて、そんな少女趣味な小説が好きなことが恥ずかしくなって、読まなくなった。
世の中にはもっといろんなジャンルの本がどんどん出ているのだから、もっとそういう本を読まなければとブックオフに売ってしまった。
それが、今とても読みたい。なのに、もうどこにも売っていない。

それから、洋服。
お気に入りのフード付きのグレーのコート。
軽くて、フード付きにはめずらしく、前が比翼仕立てになっているデザインが気に入っていたのに、高級ファッション雑誌に影響されて「私だってもっと高級で大人っぽい洋服を着るのだ! フード付きなんて子供みたい。まっぴらごめん!」と息巻いて、処分した。
結局、旅行やライティングにお金をかけるようになって、高級な服など興味がなくなり、童顔に大人っぽい服は似合わないと気づいて、相変わらずのスタイル。それ以降も何枚かコートを買ったけれどあのコート以上に気に入ったものに出会えない。こんなことなら、捨てずに大事に着ればよかったと冬がくるたび後悔する。

失恋すると髪を切りたくなるように、モノを処分すると心がリセットされることは事実。
古い考えにこだわって、新しい一歩が踏み出せないのなら、こだわっていたものを処分して、あと腐れなく前に進むほうがいい。私の断捨離もそうなのだと思っていたけど、違った。
本当に大事なものに気づこうとしないまま、新しいものに目移りしていただけだ。周りの評価を気にして、自分の好きを否定していただけだった。

中世ヨーロッパの物語やタイムトラベルものは今もずっと大好きだ。あれからも、たくさんの小説やマンガを読み、映画やドラマを見た。(タイムトラベルものおすすめでnote1本書ける)
その原点だった小説を捨てる理由などなかったのだ。

洋服だってそう。
あのコートのデザインがすごく好きだったのに、そういう自分でよかったのに、そういう自分でしかなかったのに、現実に目を向けず、もっと違う自分になりたいと理想ばかりを追い求めてしまった。結果思い通りにならず撃沈。

私は、断捨離を「過去の自分を捨てる」ことだと勘違いしていた。
過去と現在は地続きだ。
モノを捨てても、過去はなくならない。それなのに、モノを捨てれば新しい自分になれると思い込んでいた。だから、今の自分が嫌になると、断捨離だと称して、自分が染みついたモノを捨てて消そうとしていた。

本当のことを言えば、クローゼットを大きく占領している嵐のグッズやCDを片付けたい。フリマアプリで売れば、きっと買ってくれる人がいるだろう。本棚からあふれた本も処分すれば、すっきり片付いて、狭いところでパソコンを開かなくてようなるだろう。
でも、どれもずっと好きだったもの。今も好きなもの。
見ているだけで心が和む。自然と笑みがこぼれる。
それらを捨てることは、自分を捨てることになる。きっと後で後悔する。
だから、もう断捨離はしないと決めた。

一方で、自己啓発本なんかをコツコツと手放している。
これは本当に、「これは、もういいな」と自分の考えが新たなフェーズに入ったと確信できたから。
とすると、無理に手放そうとしなくても、その時がくれば自然とできるものなのかもしれない。

だから、しばらくはこのまま、あふれそうな好きに埋もれて、楽しくやっていこうと思う。
あの本、見つからないかな。

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