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積ん読たちとの出合いと別れについて #水曜日のひとりごと

「ちょっと寄ろうかなー」
仕事からの帰宅途中の車の中。
ハンドルを左に切って、書店のネオンサインに吸い寄せられる。

「お、これ、読みたかったやつだ」
「あ、これはネットニュースで紹介されてたやつだ」
「これは、あの人が面白いとツイートしてたやつだ」
すごろくみたいに、数歩進むと読みたい本に出合う。

「ありがとうございましたー!」
1冊、2冊懐に抱えて、うきうきして店を出る。

数日後。
1ページも開いていない。本はデスクに積まれたまま。
「いつ読んでくれるんだよ?」のオーラを放ちながら、YouTubeばかりいている私をいつまでも見つめている。

こうして積ん読ばかりが増えていく。

書店で出合ったとき、その本は輝いて見えたし、間違いなく「読みたい!」と思ったはずなのに、家に帰ると途端に輝きが失われ、他の本に埋没していく。

それに気づいたのはつい最近のこと。
読まない本たちに申し訳なくて、近ごろは書店に近づけない。

積ん読になりやすい本を買うのは、きまって仕事帰り。
それも、まっすぐ帰りたくないと思う日。
たいていは、思うように仕事が捗らなかった日や、なんとなく職場の空気が悪かった日。逆に、調子が良すぎて、テンションが上がりっぱなしの日。

あらゆるジャンルの知識が集まっている書店は、仕事に関係のない世界に浸る絶好の場所。
仕事で一杯になった頭の中を、別の情報で上書きできる。狭くなった思考を広げてくれる。静かに仕事から家へのシフトチェンジをしてくれる。
下がった気持ちを上げてくれるし、上がった気持ちは上がったまま維持できる。
帰宅途中の書店はオアシス。

書店で癒されていると脳内に幸せホルモンが出るのだ。
だから本が輝いて見える。そして欲しくなって、買わずにおられなくなる。
これ、恋じゃん。
あばたもえくぼ。惚れたら全てが素晴らしく見える法則と同じやないか。

なんとまあ、私は夕方の書店で毎度毎度、恋をしていたというわけだ。

花火のように惚れられて、捨てられた男、もとい本たちの屍が、私のデスクにうずたかく積まれている。あまりにも哀れで無残。

今年こそは、積ん読はきっぱり処分して、新しい恋には慎重になろうと、恋多き女は誓うのである。



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