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いつかマスクのない日が

「やば、マスク!」

娘が学校で使うひざ掛けが欲しいというので、近所の雑貨店に行った。
車から降りて、店の前でカバンからマスクを取り出す。

カバンの中に手を突っ込んで、マスクの顔を覆う部分をつまみ、ぐいっと持ち上げたら、マスクのどこかが財布かスマホに引っかかっているみたいで、取れない。そこを無理やり引っ張る。ゴムがぎゅーーんと伸びて、パチンと音がしたかと思ったら、スコンとマスクがカバンから離れた。見ると、ゴムの片方がマスクから取れていた。

いつもながら自分の動作の雑さに呆れ、後悔する。

仕方がないので、口をつぐんでマスクなしで店内に入る。
閉店間際の雑貨店に、人はまばら。ほっとする。
でも、やっぱりマスクをしていない罪悪感と周りと違っている心もとなさが、身を縮こまらせる。

なんで、こんな窮屈な世の中になってしまったのか。

マスクは昔から苦手だ。こうして、マスクを着けるのが基本の世の中になってしばらく経つけど、いまだに慣れない。

マスクを着けていると、息苦しいし、声が通りにくくて、耳が悪いので相手の声がよく聞き取れない。
マスクが顔を覆う感覚は、顔の前に掛けられている透明な膜のよう。目の前で繰り広げられる物事が、世界がテレビやスマホの画面の向こうの他人事のような気がしてくる。五感や人の感情をうまくキャッチできない。
生身の人と直に話しているのに、まるで、テキストで会話するSNSのような、何かに隔てられているような感覚。

コロナが収束したら、一人また一人とマスクを外す人が出てきて、インフルエンザやコロナより、マスクなしの快適さを取るのだろうか。
それとも、マスクや消毒でいろんな感染症が抑えられると知ってしまったから、人はマスクや消毒をやめないのだろうか、

マスクのない生活に戻りたいのが本音。

だけど、みんなが、「マスクをする=感染を広げるリスクを下げる」という図式を知ってしまった今、もう元には戻れないのかもしれない。

「マスクをしていない人=人に病原菌をばら撒く人」と認識されて、犯罪者扱いを受ける監視社会になってしまうんじゃないか。
そんなことを考えると、少し先の将来が暗くなる。

だけど、昨今のマスク需要に応えるように、今、いろんな素材、柄のマスクが売られるようになった。いつの間にか、「おはようございます」と挨拶しながら、顔を見るより人のマスクを最初に見るようになった。
花柄やレースを着ける人はエレガントが好みなのかな、黒はちょっととんがってる人なのかな、洋服の色に合わせる人は相当のおしゃれさんなのかな、普通の白い不織布の人はこだわりのない人なのかな、洗うのが面倒くさがりやの人かもしれないし、逆に「布マスク」なんて絶対着けないというポリシーの人かも。
これからもマスクはどんどんファッションの一部と化している気がする。

そういう私は地味なピンクや白、グレーのマスク。花柄もレースも黒も着けられない。マスクで自己主張するのはやっぱり苦手だ。

できることなら、本当にマスクがファッションとして定着する前に、着けなくていい生活になって欲しい。

春のそよ風も、夏のジリジリした暑さも、秋の金木犀の香りも、冬の凍てつく寒さも、人の笑顔の温もりも全部、肌で感じながら暮らしたい。

そんな日が来ることを節に願いつつ、今日も布マスクを洗う。

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