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新しい扉を開こう 嵐フェスの向こう側

昨日、国民的アイドルグループの嵐が新国立競技場でオンラインライブを開催した。


実際には、ライブは録画で、別の日に撮影されたものらしいけれど、パート1の開演の16時半とほぼ同時刻に撮影されたのだろう。巨大セットの向こうに、東京のビル群の夕焼けが美しく見えていた。

9年前の2011年。東日本大震災の電力不足のため、その年の6月の嵐の東京ドームコンサートは延期となり、代わりに「嵐のワクワク学校」というイベントが開催された。その時、初めて嵐5人を生で見た。
このイベントに行ったことで嵐5人がもっと好きになって、次は絶対嵐のコンサートに行くのだと誓った。
3か月後の9月。夢が叶った。
嵐の国立競技場でのコンサート「Beautiful World」だった。
あの国立の風景は今も忘れられない。何度、頭の中でリピート再生しただろう。

てっぺんに近いスタンド席から見上げると、近づく台風の影響で、鉛色の雲が形を変えながら猛スピードで流れていた。競技場の周囲には、ライブの旗が360度ぐるりと立てられていて、強い風を受け旗めいていた。
スタンド席を縦に一列使って、大きなレールがスタンドを登る形で取り付けられ、そのてっぺんにもステージ。そして大きく口を開けた聖火台。
目を正面に戻すと、煌々と照らされる大きな舞台装置の向こうに都会のビル群。横一列に並んだ四角いビルと、ニューヨークのエンパイアステートビルのような先が三角にとがったビルが、風景画のように建っていた。
それは、時間がたつごとに、夕暮れのオレンジから、だんだんと夜景になり影絵のように黒く沈んでいく、とても美しい景色だった。

シャワーのような雨が降る中、巨大なセットの一番上立って登場した嵐5人。小さく豆粒のようにしか見えないに圧倒的な存在感。
アイドルとは、体から光を放っているのだろうか。
興奮の熱気と歓声の中で、彼らを見つめた。なぜだか泣きそうになった。

それから、ずっと嵐を追い続けてきた。

あの日からもう9年。
アラフォーだった私はアラフィフになった。

コンサートのたびに集めたペンライトは7本あった。

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嵐のライブDVDで「ハダシの未来」をしっちゃかめっちゃかに歌って踊っていた小学生の娘は、もう高校生、ダンスは完璧。

嵐は今年いっぱいで活動を休止する。
私の推しであるリーダーの大野くんは、しばし芸能活動をお休みすることになっている。


その最後のコンサートが、昨日の新国立競技場でのオンラインライブ。

人との密を避けるため、数万人を集めるコンサートはできない状況。5月に予定されていた新国立競技場でのコンサートを延期し、今日まで開催を模索した結果がオンライン開催。

雨も降らないし、風も吹かない、いつもの部屋の中。
小さな画面と老眼鏡。
リビングのソファに座って、見慣れた風景の中で、小さな画面の中で、歌い踊る彼らと、生まれ変わった国立競技場の全景を見た。

嵐5人も9年分大人になっていたし、歌やダンスも深みが増している。
空に向かってぽっかり空いていた競技場には綺麗な屋根がついていた。

だけど、嵐の笑顔、私たちが彼らを応援する気持ち、そして東京という街の風景は、9年前と変わっていなかった。
巨大セットの向こうにはあの時と同じ、夕暮れに照らされたビル群があった。

始めて国立の舞台に立ったときと同じだと思った。なつかしかった。

今回のコンサートについて感想を聞かれた櫻井翔くんが言っていた。建物は新しく変わったはずなのに、舞台から見る風景が同じだったと。

私も同じ気持ちだった。
よみがえったのは、遠くに見えるビル群の風景と嵐5人のきらめき。

観客のいない会場で、7万5000人の歓声を聴いた気がした。

私は昨日の景色もずっと忘れない。
私の嵐との9年間の始まりと終わり。

コンサートの帰り道で、いつも「また来年も来よう」と誓い、次の目標を1年後のコンサートに合わせて、逆算しながらスケジュールを埋めてきた。
嵐のコンサートは、私のマイルストーンだった。

活動を休止する彼らの2021年以降がどうなるのか、全く分からない。
そして、今の外出しづらい状況下で、私のスケジュールも真っ白。
この先のことを考えると、心がゆらゆら揺れてとても不安になる。

2015年の夏に東京で開催された嵐の大野くんの個展。
表参道のギャラリーのグッズ売り場で買った5年日記。2016年から書き始めて、今年ついに終わりを迎える。手垢ですっかり汚れてしまった日記を読み返してみると、今と同じようなことで悩んでいたり、友達が増えたり減ったり、文章を書くようになったり、コンサートの当落に一喜一憂したり、子供のこと、夫のこと。5年分の記憶が一冊に詰まっていた。

嵐が活動を終える日に、私の5年日記も終わるとは運命のいたずらか。まさに嵐とともに歩んだ私の5年間。

新しい日記を買った。今度は10年分。
嵐がいない2021年からの10年を私は何をして過ごすのだろう。

最近知って気に留めている言葉がある。
ヘレン・ケラーの言葉。

When one door of happiness closes, another opens; but often we look so long at the closed door that we do not see the one which has been opened for us.
(幸せの扉がひとつ閉じると、別の扉が開く。しかし、時として我々はその閉まったドアをとても長く見つめているために、その開いた幸せの扉が見えないのである。) 

嵐のコンサートが見られないのは、とても寂しいけれど、真っ白な日記帳をすこしずつ新しい記憶で埋めていけば、きっと新しい扉に気づくだろう。
いや、もうここで、こうして書いていることで、新しい扉が開きかけているのかもしれない。


最後に最高のコンサートをありがとう、嵐。

でも、できることなら、休んでいた分だけ年を重ねた君たちと、国立競技場の巨大なセットの向こうに、少しだけ形を変えた東京のビル群が見たい。

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