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私は遊びたかった

最近、週末になると夫と買い物に行くようになった。
自粛、自粛で、家にいることが多くなったので、必然的に家で食事をとることが増えた。週末の夜は、家で晩酌するのが定番となり、そんな「おうち居酒屋」、「おうちバル」のために、週末の午後、夫とお酒と食材の調達に出かける。
車で半時間ほどで行けるショッピングモールやスーパーに、ときには2、3軒はしごして買い物する。
その日飲みたいお酒とそれにあうおつまみの材料と、ついでに珍しいものや新発売のお菓子、子供の弁当の材料など、次から次へと買い物かごに放り込む。レジでお会計の金額に毎度おののきつつも、冬眠前のリスの頬っぺたみたいにエコバッグをパンパンにして帰る。

この買い物が結構楽しいのだ。

と、ここまで書いて、突然、パソコンのキーボードと叩く手が止まった。

あれ? どうしたんだろう?

急に思考が止まった。
言葉が一文字も浮かばなくなった。

いくつかの文字を入力しては消し、消しては打ち、また消して。
全く前に進まないので、思い切って、「下書き保存」ボタンを押してnoteを終了した。

紙のノートを取り出して、引き出しから黒のボールペンを出す。
心を無にして、頭に思い浮かんだ言葉をただひたすら手書きで、乱雑に書いてみた。頭に溜まった泥をペンを持つ右手を伝って、紙に流しこむように書いてみた。

自由になりたい。
まとまった時間がほしい。
好きなことをしたい。
楽しいことがしたい。
休みたい。
泣きたい。
笑いたい。
いろんな言葉が泡のように浮かんでは消え、消えては浮かんだ。

そして、ノート3ページ分真っ黒になるまで書いたところで、ぽんと出てきた言葉があった。

遊びたい。

ああ、これだ。

四月から、仕事のポジションが変わった。
去年からやりたかった仕事。多少責任が増えて、忙しくもなったけれど、張りきってやっている。それなりに結果も出しているし、チームも去年よりまとまっていると思う。自分のやり方で仕事を進めることができて気楽だし、上司とも良好な関係。

家に帰れば、見たいテレビドラマがいっぱいあるし、見たい映画も、読みたい本もいっぱいある。

高校3年生の娘の弁当作りも楽しい。
高校生活最後の1年分の弁当を記録しておこうと実は、密かに毎日インスタに上げたりしている。

そして、夫との買い物。
それも十分楽しい。夫が毎週末、家で飲むお酒と料理を楽しみにしてくれているし、時々、一人暮らし中の息子が家に帰ってきて、家族全員で一緒に食卓を囲む穏やかな時間はとてもいいものだ。

そういうことをnoteに書き始めたけれど、脳みそは正直で、本当のことしか書かせてくれない。

確かにどれも楽しいけれど、何かが違っていた。

その答えが「遊びたい」だった。

私は、遊びたかったのかと目からウロコが落ちる。

テレビドラマも映画も本も、お弁当づくりも、週末の晩酌も、もちろんどれも私がやりたくてやっていることだ。
でも、いつの間にか1日24時間の枠の中に、「楽しいこと」が全部組み込まれてしまっていて、綺麗に収まりすぎていた。

朝起きて、弁当を作って、子供を送り出したら、noteを書いて、仕事にいって、帰ったら、ウォーキングして、娘を習い事から迎えに行って、晩御飯を食べたら、とりためたドラマを見て、お風呂に入って寝る。週末は、家でお酒を飲んで、映画を見たり、ドラマを見たりして、お風呂に入って寝る。

もちろん今の穏やかな暮らしを大事にしたい。何かを大きく変えたいわけではない。
ただ、ほんの少しベクトルの向きを変えて、枠の外に突き抜けたい。

例えばそれは、友人と会うために遠くまで旅行に行くとか、アイドルのライブに遠征に行くとか、レイトショーの映画館へ行くとか、酔っぱらって東京タワーに上るとか、ちまちま消しゴムはんこを作るとか、家でパスタを作るとか、生クリームからバターを作るとか、各県のご当地ビールを買いに四国を一周するとか、そういうちょっと変わった、くだらないことがしたい。

時間やお金を無駄に使って、他人から見たら「しょうもなー」と思えるようなことで、自分を楽しませたい。

しばらく、ピアノの練習をサボっていた。
当たり前だけど、練習しないと、レッスンの時に全然うまく弾けなくて、歯がゆい思いをするのは目に見えているのだけど、どうもやる気がおきなかった。

今日久しぶりにピアノの前に座った。
今の練習曲を練習しないといけないと分かっているけれど、今日はあえて練習をしないことにした。それで、違う曲を次から次に弾いてみた。
久しぶりに弾く曲は、どれも全然うまくなく弾けない。
でも、弾きたい曲を好きなように弾いてみた。時には一緒に歌ったりして。
気持ちよかった。
こんなに気持ちがよかったのは本当に久しぶり。
本棚から楽譜をあれこれ引っ張り出してきて熱中していたら、あっという間に1時間以上が過ぎていた。
効率的に過ごすなら、1時間あれば、とりためたドラマが1本見えたし、ウォーキングなら4キロ歩けただろう。

でも、無駄な時間やお金を費やして「遊べる」ことが人間の醍醐味じゃないか。

遊びたいなんて子供みたいだけれど、ついつい生活を優先させて、ルーチンの枠にはまっていた。

他のことも、「ちゃんと」「ふつう」ばかり目指していた。
炎上しないnoteを書かなくちゃとか、周りに不快感を与えないおしゃれとか、慕われるリーダー像とか、友達の役に立つとか、人に聞かせられるピアノとか。

そうか、最近のモヤモヤは、私の子供の部分が「つまんない!」って暴れていたのかも。

外に向かってドーンと大きなことができない日々だけど、時には自分の心の中の子供と遊んでみよう。

理想のリーダー像や雑誌に出てくる完璧なファッションスタイルを捨ててみよう。ネットのレビューを見ずに、自分の感性だけを頼りに好きなものを探してみよう。

ピアノを弾いていて、あるアーティストの音楽が好きだということを思い出した。
Spotifyで探してみよう。
消しゴムはんこも久しぶりに作りたいな。
連休には、蕎麦打ちなんかどうだろう。

というnoteを書こうとしているんだけど、うまく書けなくて、何回も書き直している。
まあ、それもいいか。

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