不安をなくす三つ目の視点
ときどき、無性に不安になる日がある。
最初は些細なことだ。
離れて暮らす子供たちと、LINEで大学の試験の話をしていた。当たり前だけど、大学では科目ごとの試験に通らないと単位がもらえない。子供たちはちゃんと勉強しているのかなぁという単純な心配だ。
まだ学生の子供たちに、親である自分が金銭的な援助をして、衣食住を与え、学校に通わせることはできるけれど、社会経験を積み、大学で勉学に励んで卒業し、社会に出て行くスキルを身につけるのは子供本人だ。いくら親でもそこは代わってやれないんだよな。
と、「勉強がんばってね」と返信しながらそんなことをつらつら考えていたら、
もし、子供が勉強しないで単位を落として、卒業できなかったら?
体調を崩して大学を中退することになったら?
就職できずに無職になったら?
引きこもりになったら?
事故、事件で死んでしまったら?
親の私たちが働けなくなったら?
子供たちは、もうこの街には帰ってこないのかな。
過疎化するこの街の10年後はどうなっているのだろう。
少子高齢化する日本はもうダメかもしれない。
中年の自分にも未来はなさそう。
老後はちゃんと暮らせるのかな?
この家も土地もどうすればいいのかな?
未来に夢なんてないのだ。
私の人生、詰んだかもしれない。
いつしか絶望的になって、鬱鬱とした気分になった。
かなり落ち込んでいた。
その頃、精神科医の方がやっているYouTubeを見つけて見た。
タイトルは「精神科医のストレス解消法」
しなやかな思考を持つ
不安を要素分解する
ああ、どこかで聞いたようなアドバイスだなと思った。
ものの見方を変えようとか、何が不安なのか書き出そうとか、そういうやつ。
今までだって何回もやってきた。だけど何の解決にもならなかった。不安はいつも私の周りにある。
でも、先生の話には続きがあった。
「世界を信頼する」
ハッとした。その発想はなかった。
減らない感染者、どんどん離れていく子供、過疎化、高齢化する街。縮小する日本経済、その場しのぎの政治。日本なんて、社会なんて、政治なんて。私は世界を信頼していない。
「うつを患っている人に一番欠けてる視点なんです」
絶望感。
そうか、不安の根っこには、世の中に対する不信感があったのか。
誰も助けてくれない。理解されない。自分は孤独だ。そう思っていたら、世界が自分にそっぽを向いている気がした。
世界中が私を無視している。
まるで子供のイジメみたいに。
「世界は確実に良くなってます」
もちろん、戦争が起きているし、感染症も蔓延してる。子供は減っているし、年金や医療負担も増えている。
でも、20年前よりずっとよくなった。
インターネットはどこでも繋がるし、世界中の人と出会える。セクハラもパワハラもグンと減ったし、女だからとか親だからとか妻だからとか言われにくくなった。タバコの煙にむせることもない。
私は老いていくが、暮らしはだんだん楽になってる。
そして、なんとかここまで生きてきたじゃないか。
本当に世界は良くなっているのかもしれない。
だから、世界を信頼してみようと思う。
地球儀上の世界だけではなく、私個人か持つ世界も、未来も信じてみようと思った。
死ななければ、何とかなる。
誰かが助けてくれる。
良くなるようにできている。
そしたら、今日がとても大事に見えてきた。
美味しいものを食べる。
読みたい本を読む。
そして、働く。
ただそれだけでいいのだ。
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