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ブリしゃぶとか親子喧嘩とか鬼退治とか

「ブリしゃぶが食べたい」
突然、娘がこんなことを言う。
なんで、この時期にブリだよ……ブリは冬だろ……
娘に理由を聞いてみたら、「キンプリが食べてたから」
キンプリとは、娘が大好きなアイドルグループ「King & Prince」のこと。

そのキンプリのメンバーが、ファンに向けて配信する動画で、ブリしゃぶを美味しそうに食べていたのだとか。推しが食べたものを食べたい気持ちは、私にもよく分かる。
それに最近、受験勉強のストレスなのか、夏バテなのか分からないが、あまり胃腸の調子が良くないみたいで、その前の日も吐き気がすると、学校を早退した。だから、娘が「ブリしゃぶを食べたい」と言ったのが快復の兆しのようでうれしかった。
スーパーで養殖ブリのさくを2本買って、いそいそと季節外れのブリしゃぶの準備をした。

ぶりのさくを慎重にスライスする。しゃぶしゃぶしやすいように、薄くスライス。とはいえ、ふだん、刺身はパックで買うので、当然、刺身包丁など持っておらず、案の定、切るのに苦戦する。
うすく短冊切りにした大根(これも季節外れ)、豆苗(冬なら水菜だけど)、にんじん(冷蔵庫でしなびていたやつ)、スライスした長ネギ(めっちゃ高かった)をお皿に盛って、卓上コンロで湯を沸かし、冷やしておいた日本酒の瓶とガラスの盃をテーブルにセットして準備万端、後は食べるだけ、のはずだった。

「パパがそんな言い方するから、悪いんでしょ」
ダイニングテーブルから、不穏な空気が漂ってきた。
「そんなつもりで言ったんじゃないし」
娘と夫が何やらもめ始めた。
どうやら、言った、言わないでケンカが勃発したらしい。
こういう口論はよくある。思春期独特の親を越えたい欲求の表れだろうと思い、私はできるだけあまり深く相手をしないようにしているが(口論になることも多いが)、どうも夫は、私以上に、真に受けとめ、勝手に傷つくクセがある。追い打ちをかけるように、娘のヒートアップした口撃を何度も連続でくらうと、ついに受け止め切れなくなって爆発する。

爆発の仕方が、娘を諭すほうへいけばいいものを、子供のように拗ねて、部屋に閉じこもってみたり、「もう一生、口をきかん」などど、小学生同士がケンカして「もう、絶交!」と言うような、できもしない返事をする。
私に対してもそう。結構うざい。めんどくせーなと思う。

なんとかなだめすかして、別室に逃げ込んだ夫をリビングに呼び戻す。
しかし、その日の娘は、何かにとりつかれたみたいに、父親を完膚なきまでに打ちのめそうとしている。一切、口撃の手を緩めない。
ついには、父親を「お前」呼ばわりし始めた。それは私も聞き捨てならん。ついに私まで参戦し、娘を叱ると、「ママは、私の気持ちを分かってくれない!!」と、鬼の形相で私にも食ってかかってきた。
今度は娘が、部屋に閉じこもって出てこない。親子でやること一緒やないか。

テーブルには、お湯が蒸発して空になりそうな鍋と、季節外れのブリしゃぶの材料が、悲しく並んでいる。
部屋に閉じこもった娘に、「ブリしゃぶ、食べないの?」と聞くと、「後で食べるから置いといてよ!」と言われる。鍋を後で食べるとかやめてよ。後始末、誰がするのよ……勘弁してよ……

「後始末が面倒だから、嫌でも下りてきて食べて!!!」
ついに私もキレて、大声を上げる。
しぶしぶ下りてきた娘と3人で、お通夜みたいに鍋をつつく。おい、故人の好物を食べる会じゃねーぞ! 推しの好物を食べる会なんだろうが!!
お前ら、小学生みたいなケンカすんじゃねーぞ!!!

と、腹の中で毒づいた。
しばらくすると、また2人の口論がヒートアップしてきた。
しかし、夫はついに沈黙。あとは、怒りちらしながら、涙ながらに延々と持論を語る娘の独壇場に。
それを、茶々を入れながら聞いた。
さんざん、あれこれ文句を言った最後に、娘が言った。
「だって、パパやママに悪いなって思ったんだもん」
ああ、それか。怒りの原因はそれか。

多分、娘の意見をまとめると、こういうことなのだろう。

ブリしゃぶの前の日、娘は体調を崩して早退した。朝、頑張って自転車で行こうとしていたところ、雨が降ってきて、結局夫に送ってもらって学校に行った。学校に着いて半時間もたたないうちに、体調が悪くなって帰ってきてしまった。(私が仕事を遅刻して迎えに行った)
本当は朝からちょっと調子が悪かったのに、家族に言えなくて無理して学校に行った。
帰って寝たら元気になった。そしたら、今度は学校や受験勉強をズル休みしたみたいで罪悪感。その上、私たち両親の時間を使わせて、自分を送迎させたことにも罪悪感。

その罪悪感や申し訳なさを素直に親に伝えられなくて、というか、その罪悪感を自覚できてなくて、ずっと、えも言えないモヤモヤを抱えていた。

夫は夫で、娘のそういう気持ちに全く気づかず、娘を送った車の中で、「いま仕事を抜けてきてるんだよ」とか「ちょっとキリの悪いところで出てきたから」などど言ったらしい。無神経すぎる。
夫のそういうぼやきに悪意がないとは分かっているが、長年一緒にいる私でも「それ、嫌味かよ」とムカッとくることがあるのだから、人生経験の浅い娘には、まだまだ理解できないのだろう。

イライラ、モヤモヤが抜けないところに、食卓で、娘の言ったことに夫が言葉の揚げ足をとるような言い方をしたのが、起爆剤となり、売り言葉に買い言葉、大げんかになった。

「ママやパパだって、仕事ややりたいことを中断して、〇〇ちゃん(娘)の送り迎えをするのがめんどくさいと思うことはある。人間だからね。でも、それを『子供って迷惑な存在なあ』なんて思うことは、1000に1もないから」
私がそう言うと、一気に娘の怒りのボルテージが下がった。

「迷惑かもなんか思わなくていい。その代わり、パパやママがしてくれることを、ありがとうって素直に受け取って」
「分かっているけど、できないんだけど……」
などど娘はいうが、今日はっきり伝えたことで、多分意識が変わったのだろう。娘の顔から鬼が抜けた。

娘が、モヤモヤやイライラを爆発させたところへ、夫がその火に油を注ぐ。火はどんどん燃え広がって、私にまで火の粉をまき散らす。
でも、燃えて燃えて燃えつくしたおかげで、心の奥底に隠れていた鬼をあぶりだした。
光のあるところへひきずりだされた鬼は、まぶしさにやられて、逃げていった。

「パパは、娘の前で不必要にぼやかないこと。〇〇ちゃんは、パパのぼやきをスルーすること。はい、ブリしゃぶ食べよう」
ブリしゃぶを食べ終えるころには、いつもの父娘の会話に戻っていた。私はその横で黙々と、スマホでドラマを見る。さっきまでの嵐なんかなかったみたいに、いつもの夜だった。

でも、疲れた……

そして、いま、ブリしゃぶがどんな味だったか、全く思い出せない。


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