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悲しかった思い出さえも、美しい

枕草子を読んでいます。
私が読んでいるのは、著書「負け犬の遠吠え」で有名な酒井順子さんの訳のこの本。古典特有の「主語が飛ぶ」「一文が長い」「話が飛ぶ」といった難点を、酒井さんの文章力でかなり読みやすくしてくれています。

10年近く前に購入して、「春はあけぼのー」から進まずに積読されていました。

しばらく前から少し読み進めていて、しおりが挟んであったので、ちょっとずるいと思いつつ、そこからまた読み始めました。

昨日読んだのは、「職曹司の雪山づくり」というお話でした。
12月に大雪が降ったので、清少納言がお仕えしている中宮定子様の命で、お屋敷に大きな雪山を造りました。大変大きな雪山だったので、定子様と清少納言は「この雪山が溶けずに、いつまで保つか」という賭けをすることにしました。定子様は「年内になくなってしまうだろう」と、対する清少納言は「年が明けて、1月の中旬までは」と答えました。
清少納言は、雪山の様子が気になって、毎日お屋敷に人を遣って雪山の様子を報告させていました。もし、賭けに勝って、雪が約束の日まで雪が残っていたら、定子様に雪と一緒に御歌(和歌)をお届けしようとわくわくしていました。
ついに約束の日の前日、「雪はまだ残っています」と下人から報告がありました。しかし、次の日の朝に、なぜか雪が全部消えてなくなっていたのです。

清少納言はとてもがっかりしました。
定子様から「雪はどうだった?」と訊ねられ、「誰かが私が賭けに勝つのが憎らしくて、雪を捨ててしまったみたいです。せっかく定子様に雪と御歌をお贈りしようと思っていたのに残念です」と報告しました。
すると、定子様が笑って言いました。
「雪を捨てさせたのは、私よ」と。犯人は、主人である定子様その人だったのです。
清少納言は、定子様にいじわるをされたと思い、非常にショックを覚えます。
「あなたこそ定子様の一番のお気に入りの女房(侍女)だと思っていたけど、割と微妙だねえ」などと周りの人に言われ、ますます落ち込みました。
定子様は「ねえ、私に贈ろうとしていた御歌、ここで聞かせて頂戴」などと屈託なくねだってきましたが、彼女は落ち込んでそんな気になんてなれませんでした。

というお話。
読み終えて、なんだかモヤモヤ。
これ、書き残すほどの話なの?
清少納言と賭けをしていたとはいえ、定子様の仕打ちはちょっとひどくない? と思いました。主人のひどい仕打ちを書き残して、二人の関係性は大丈夫? と。

試しに「枕草子」について、少し調べてみました。
枕草子は平安中期に書かれた随筆集です。学校の教科書にも載っているから、大抵の人はご存じでしょう。
清少納言がお仕えしていたのは、一条天皇の后、中宮定子。
今、大河ドラマ「光る君へ」の主人公紫式部は、同じ一条天皇のもう一人の后、彰子の女房(侍女)になるんですね。彰子が入内したころには、定子はちょっと落ち目というか、定子の後ろ盾になっていた兄たちが藤原道長との権力争いに敗れて、彼女も宮中で苦しい立場に置かれていたようです。

枕草子が書かれたのは、その定子が亡くなった後のことでした。
清少納言が、定子が帝に寵愛され、宮中で華やかに暮らしていたころを思い出して書いたのだと知って、ちょっと納得しました。
年を重ねて、過去を振り返ったとき、ひどい恋愛も、大失敗も、全部懐かしく愛おしく思えることって誰しもあると思いませんか。
私にも思い出すたび、穴に入りたくなるような経験は多々ありますが、年を経るごとに、自分が生きてきた航跡のようで、大切な記憶になっています。
まして、大好きだった定子様を失い、自分も晩年となった清少納言なら、女主人のこの程度の「いけず」、かわいらしく愛おしく感じないはずがない。だからこそ、書かずにいられなかったんじゃないでしょうか。

シスターフッドとも言えるようなあの日の二人を、温かく記憶の中で見つめている老いた清少納言が私には見えるのです。そして、そんな清少納言が、私にはかわいく見えるのです。
さて、今夜も彼女はどんなお話を聞かせてくれるのでしょう。

余談。
いろいろ調べていると、この「雪山の段」には、その文章の裏に、政治世界の陰謀が描かれているという研究もあるみたいです。気になる方は、下の記事をどうぞ。
もし本当に清少納言がそういう裏の意味も交えてこのエッセイを書いたのだとすると、もはや女スパイの域ではないか。清少納言、マジ、リスペクト。

注:このnoteには厳密な考証は行っておりません。あくまで、ネット記事と勝手な個人の感想です。ご了承ください。


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