ウソをついても会いたかった人
「じゃあ、こちらへは前泊ですか? でしたら、ぜひ一杯どうです?」
「あ、いえ…… そちらへは、朝イチで参りますので。また次の機会にお願いします」
仕事の相手先に、ウソをついてしまった。
本当はアポの前日、最終便の飛行機で夜着くことになっていた。
でも、私には、ウソをついても会いたい人がいた。
彼女のことを知ったのは、文章鍛錬にと始めたSNSだった。
彼女は、自分が抱えている苦悩を赤裸々に語っていた。書くことで、悩みと真剣にぶつかっていた。上手く書こうとか、読まれるように書こうとか、そういうのは一切なかった。だけど、その素直で等身大の文章に、ぐいぐい引き込まれた。
彼女は、文章で悩みと向き合い、その都度、自分なりの答えを導き出した。読んでいると、自分も一緒に答えを見つけたようで、読むたび元気をもらえた。答えの出ない日は、もし自分だったらどうするだろうかと問いを投げかけられた気がした。
ときどき、息抜きのような文章が挟まれることもあった。
彼女が旅行で行った海外のスーパーマーケットのこと、日本やアメリカの野球への熱い思い、日常のこと。その文章にも、彼女のまっすぐな視点で、淡々と表現されている。ちょっとだけ皮肉が効いて、小気味良くて、大好きだった。
いつの間にか、私は彼女の文章を超えて、彼女自身のファンになっていた。
SNSコメントを通じて交流するようになり、彼女が私と同い年であることを知った。
勝手ながら、住むところは違っても、同じ時代を生きてきた同志みたいな気持ちを持っていた。
数か月後、同じようにSNSで活動していた数人のSNS仲間と集まりに参加した。一人、また一人とメンバーが集まる中に、彼女がいた。
初めて会ったとき、思わず「キャー!」と歓声を上げてしまうほど舞い上がった。
自己紹介をすると、「ああ、あなたが……」とでも言うように、ホッとした表情をしてくれたことがうれしかった。
彼女は、彼女の書く文章と同じように、自分を偽らない人だった。話し方は穏やかで、やっぱり少し皮肉が効いていて、頭のいい人だなと思った。
彼女と過ごす時間は、あっという間に終わった。
そして、ますます、彼女のことが好きになった。
「また、会いしましょうね」と約束して、駅で別れた。
だけど、そのあとしばらくして、彼女はSNSをやめてしまった。
それまで書かれた文章のほとんどが削除されてしまっていた。
そんな時、仕事で彼女の住む街へ出張することになった。
最終の飛行機で行き、一泊して、翌朝から仕事という段取り。
ふと、彼女の顔が思い浮かんだ。
会いたい。
仕事の相手先から、
「前泊されるなら、ぜひその晩、一杯どうです?」
と、夕食の誘いを受けた。
「すみません。そちらへは朝イチで伺うことにしておりまして……」
とっさにウソをついた。変なところで真面目な性格のせいで、罪悪感が胸に広がった。
でも私は、彼女に会いたかった。
彼女にメッセージを送ろうと、カバンからスマホを取り出して、SNSのメッセンジャーを立ち上げた。
「お会いしたいです。夕食を一緒にどうですか?」
書いて、送信ボタンを押そうとして、手が止まった。
これはきっと私の片思いだ。
彼女は、私のことなんて、なんとも思っていないかもしれない。突然「二人でご飯行きませんか?」なんて誘ったら、気味悪がらせてしまうだろうか。
もしかすると、私のことなど覚えていないかもしれない。
それに、彼女だって忙しいかもしれない。誘ったら迷惑かもしれない。
メッセージを送っても、返事が来なかったらどうしよう。
わざわざ理由を考えて、断らせるのも心苦しいじゃないか。
スマホを片手に、ずいぶん悩んだ。
彼女の住む街へ行く機会は、もう当分来ないかもしれない。
会わなければ、絶対後悔する。
断られても、無視されてもいいじゃないか。
いつでも始められて、いつでも終われるのがSNSの世界。
彼女はSNSにもういない。拒絶されても、それまでだ。
もし、彼女に、私と少しでもつながっていたいと思う気持ちがあるなら、きっと何かの返事はくれるだろう。
紙飛行機の形をした送信ボタンを押した。
ブルブル。
数時間後、スマホが揺れた。
「もちろん!」
嬉しい返信だった。
夕方の空港で、こんなに離着陸が渋滞するなんて知らなった。
飛行機の着陸が30分遅れた。電車の乗り継ぎのタイミングの悪さと、運動不足の自分の足の遅さのせいで、待ち合わせに1時間も遅れた。
電車が到着したと同時に、駅のホームへ駆け下りて改札まで走った。
彼女と過ごす時間を1分でも減らしたくなかった。
改札の向こうで、数か月前に会ったままの彼女がいた。
「遅れて、ごめんなさい!」
やっと、会えた。
「気にしないで。遠くからお疲れさん」
「かんぱーい!」
私はクラフトジンの炭酸割りで、お酒の弱い彼女は薄めのチューハイで乾杯した。
駅から歩いて数分の居酒屋に入った。
午後9時を回っていたけど、店はほぼ満席だった。
私の地元の食材を使ったお店。彼女に私のことをもっと知ってほしくて、同郷の若者が経営しているここを選んだ。
それから、2時間ほど、向かい合っておしゃべりした。
家族のこと、仕事のこと、子供の頃のこと、学生時代のこと、SNSをやめた後の暮らしの変化。
話せば話すほど、同時代を生きてきたからこそ、同じように楽しかったこともあったし、同じように重ねてきた苦労があったことを知った。
分かり合えるところがたくさんあった。
また一人、新しい友達ができたと思った。
「また、すぐに仕事でこっちに来るから、その時は絶対連絡する」
終電を待つ駅のホームで、約束して別れた。
だけど、彼女とはその後一度も会えていない。
あれから、もうすぐ1年が来る。
先日、スマホの調子が悪くて、ふだん見ることのないアプリの設定をいじっていたら、偶然「今日が誕生日の友達」という欄を見つけた。開いてみると、その日誕生日だったのは、彼女だった。
運命の糸はまだつながっていたのかもしれないと、うれしくなって、思わず「おめでとう」とメッセージを送った。返事はなかった。もう、私と彼女をつなぐものはなくなってしまったのかもしれない。
友よ、あなたは元気ですか。
私は、元気にやってます。
なんとか文章を書き続けられています。
SNSでは、新しい友人ができました。
企画を立てたり、サークルに入ったり、世界中の人とつながって、交流しています。ますますSNSに依存しているかもしれません。笑われるかな。
だけど、今でも、あなたが、書いた文章が読みたい。
この面倒な世の中でどんなふうに暮らしているのか、知りたい。
もしかするとあなたが何か文章をつづっているかもしれないと、空っぽのアカウントを見に行ってしまいます。
このSNSの街で、あなたの気まぐれが起きる日を、ずっと待ってます。
そしていつか、この面倒な世の中が終わりを告げたときには、二人でまたあの日のように会って乾杯しませんか?
文章に書きづつれない、小さな話をたくさんしよう。
彼女に会ったあの日の翌朝。
「朝イチの飛行機で来られんですか?」
「え、あ、はい……」
また、ウソをついてしまった。
でも、後悔してない。
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