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奈良国立博物館の空海展に行ってきた

空海と私

平安時代の僧、空海が開いた真言宗という仏教の宗派は、四国に住む私の生活に今でも接点がある。
巡礼で有名な四国八十八カ所霊場は真言宗の修行の道で、1200年たった今でも、お遍路さんがわが家の前を歩いているし、我が家の仏壇の奥には弘法大師・空海の絵が掲げられている。

でも、自宅の仏壇の奥の掛け軸に描かれている「弘法大師」が、真言宗の開祖の空海だと認識したのは、大人になってからのこと。祖父母や親たちは「お大師さん」と呼んでいたし、そもそも仏教に宗派があることを知らなかった。

空海のことを知りたいと思うようになったのは、つい最近のこと。
きっかけは、いくつかあった。
仕事の関係で、地元の文学書道館で空海の企画展に行ったこと。彼が唐から日本に密教を伝えたことや、真言宗を開き高野山に金剛峯寺を建てたことなど彼の足跡が、作品とともに紹介されていた。

それから映画「空海ーKU-KAI」を見たこと。
中国の政争に空海が巻き込まれるファンタジー要素強めの映画だけど、空海も仏壇の奥で手を合わされるような偶像ではなく、ちゃんと人だったんだなと感じた映画。(染谷将太さんが演じる空海が美しかった)

それから、なんといってもこれ。
古典をテーマにしたポッドキャスト「コテンラジオ」で「最澄と空海」の回を聴いたこと。パーソナリティの深井龍之介さんの軽快な話術で紹介される空海の超人的なエピソードの数々が面白くて、ハマってしまった。

仏壇の奥から難しい顔でこちらを見ている人は、密教をわずか数ヶ月でマスターし、日本で初めて小説を書き、「三筆」と呼ばれるほど字が上手く、経典を解説したり、錫杖一本で井戸を掘ったり、超人的な大天才だった。良い意味で「ヤバい」人だった。

そんなこんなで空海に興味を持って数年。
とはいえ、自分の家の宗派である真言宗の元になる密教がどこからきて、一体どういう思想なのか、いまだ全然知らない。

奈良国立博物館で特別展「空海 KŪKAI―密教のルーツとマンダラ世界」が開かれると聞いて、行ってきた。

奈良に来た

奈良国立博物館がある奈良公園は、まだ朝の10時前だというのに、もう観光客でごった返していた。外国人、修学旅行の学生、家族づれと、大勢の人で歩道も公園も埋め尽くされていた。道路は観光バスが列をなして通り過ぎていく。
鹿たちも書き入れどき、鹿せんべい欲しさに次々と寄ってくる。

手ぶらでごめんね

奈良国立博物館に来るのは去年の秋以来。前回は正倉院展を見に来た。


いざ、空海展へ

入り口には大きな看板

ローチケでチケットを買っておいたので、並ばずに入れた。

今回の空海展は、空海の生誕1250年記念の特別展だそう。1200年も伝え続けられている密教とは空海とは一体何だろう。

展示室は撮影禁止のため、写真はここまで。
あとは、私の独断と偏見の解釈でレポしたい。
(当然、厳密な考証は行っていません)

1階ロビーのガラス窓には大きな垂れ幕。

第1章 密教とは?


今回の展示は、第1章から第5章までの5部構成で盛りだくさん。
第1章は、空海が日本にもたらした「密教」について。
初夏の明るい光が差し込む1階ロビーとうって変わって、特別展会場の中は、照明が落とされ、まさに仏教の精神世界に迷い込んだよう。
フロアには人間より一回り大きい仏像が5体、真ん中の1体を背にして十字を切るように配されていた。
左右の壁には大きな曼荼羅図が2幅、天井近くから掛けられ、スポットライトで浮かび上がる。

「両界曼荼羅」というものだった。
要は、密教の教えを表現した絵。でも一見は、たくさんの仏像が規則正しく並べられただけの絵。
大日如来を中心に、その周囲に何層にも仏様が取り囲んでいるのが「胎蔵界曼荼羅」、数独ような3×3のマス目が9つ並べられていて、その中に仏様が描かれているのが「金剛界曼荼羅」。
この二つの曼荼羅は二つで一つ。二つの世界を描いているから両界曼荼羅。
それぞれの曼荼羅には、四角い枠と中に描かれた仏像を囲む円、つまり■と〇が規則正しく、ほぼ左右対称に配置されている。じっと絵を眺めていると○の中にいる仏様が回っているようにも見えてとても不思議。

ほかにも、いろんな時代のいろんな種類の曼荼羅が展示されていた。曼荼羅は長い年月を経てすっかり色あせているが、うすく残った赤や緑から想像するに、当時は相当ド派手だったのだろうと思う。
また、金銀泥を使った曼荼羅は金銀が剥がれ、すっかり泥の黒だけになってしまっているものあった。少し残っている金色の線をたどって、目をこらして見てみると、精密に描かれた仏様の顔や後背の光が浮かび上がる。金銀で描かれた仏様と曼荼羅、さぞかし豪華絢爛で美しかったことだろう。
極楽浄土とは、こういうところなのかな。
是非、Eテレさんあたりに、最先端のCG技術で、この曼荼羅たちを当時の姿に再現してもらいたい。

さて、密教とは何かということだが、結局、ここではまだ、なんだかよく分からなかった。
胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅は、密教の宇宙世界を表しているそうだ。展示にあった子ども向けの解説(を私が勝手に解釈したところ)によると、胎蔵界曼荼羅とは密教の宇宙世界を表していて、どーんと真ん中にいらっしゃる大日如来様が民衆に教えを授けるルートを示していて、金剛界曼荼羅は、私たち民衆が大日如来様に近づくための修行する方法とか道のりを示しているのだという。
でも、この仏像だらけの絵から、それをどう読み取っていいか分からなかった。
とりあえず、次へ行こう。

第2章 密教はどこから?

次の展示室は、まるで科学展のようだった。
丸く立てられた壁には球体に入った仏様の絵
両界曼荼羅は実は二次元ではなく三次元だというのだ。曼荼羅に描かれているのは、球体を縦にスパッと切った断面なのだとか。
仏様の入った球体が大日如来を中心に回っている世界なのかなあ。

私の目の前には、仏像に手を合わせる高齢の女性、展示物一つ一つについて熱心にメモする外国人、私のように「へえ、すごい!」と感嘆しながら歩く人、同行者にうんちくを語る人、仏像のしわ一つ、文字の一文字まで見逃すものかと見入っている人、たくさんの人が、展示の周りをグルグルと回遊している。
この展示室が密教の宇宙世界を表現しているとしたら、ここにいる私たちは、一体何だろう。宇宙の塵? それとも形のない魂的な何か? 
もしかすると、太陽(大日如来)を目指して、いろんな星(仏様)を巡りながら、修行(旅)するRPGで、世界地図(胎蔵界曼荼羅)と、その道具(金剛界曼荼羅)を持って、生きるという冒険をする勇者かもしれない、などど、バチが当たりそうなことを考えながら、次の展示室へ向かう。

空海が日本に伝えた密教は、どこから来たのかを解き明かす展示群。
第1章で出てきた、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅の絵にもあるように、密教には二つの教えがある。

展示解説を読み進めていると、この二つの教えは、どちらもインドが発祥だけれど、異なる時代とルートを通って中国に伝わり融合した。それが空海によって日本に伝わったのだそうだ。
当時、動力もレーダーもない時代、遣唐使として日本海を渡るのは命がけで、そう何回もできることではなかっただろうから、1回の渡航で二つの教えを一度に学べた空海は運まで天才的と言える。

インドネシアのジャワ島で発見されたという手のひらサイズの仏像たちが展示されていた。どれも、手足が長くて、スレンダー、鼻筋が通っていて少し大きめで、東南アジアの人のスタイルや顔つきによく似ている。日本でも仏像は、仏教が日本に入ってから時代が下るごとに日本人の顔つきになっていると言うし、やっぱり、信仰の対象である仏像はその土地の人の顔に似てくるのかな。
あと、仏像の台座に開いた穴から、犬やトラらしき動物が顔と前足を出しているのが、犬小屋から体を出している犬みたいで面白かった。

第3章 空海、唐へ行く。

ここまでで入館からはや1時間以上が経過。仏像とか曼荼羅とかを存分に楽しんで、「あれ? これ何展だっけ?」と我に返ったところで、ついに真打ちが登場。
我らが空海様。

空海直筆と言われる書が展示されていた。
文字ってその人の性格が表れるものの一つだと思う。平安時代の男女は、文字を見てその人となりを知り恋愛したと言われているし、パソコンが普及して手書きが少なくなった今でも、やっぱり手書きの文字は人の気持ちがこもっているような気がする。たまに、同僚の手書きの文字が想像以上に美しくてドキッとしたりする。(私だけ?)

空海の直筆は「予想どおり」でした。
全体的に筆圧が強めで、強弱がはっきりしていて豪傑な感じ。自信たっぷりな性格だったのかなあなんて思ったりした。
朝廷から、20年勉強することを条件に唐に渡らせてもらったのに、わずか2年で帰国しちゃったため、しばらく京の都に入れてもらえなかったそうだ。
そのために、帝に自分が唐で学んだ功績を書き記した文書を送っていて、その展示もあった。
ちなみに、書物にはポイントポイントで現代語訳が展示の下に表示されていて、とてもありがたい配慮がされていた。

第4章 密教を広める

せっかく受け継いだ密教も広がらなくては意味がない。とはいえ、令和の今、密教を元とする真言宗は、マイノリティな宗派らしい。

このサイトによると、真言宗の信者が多い四国と岡山、あとは北関東に多いようで、その他の地域に多くが浄土宗や浄土真宗、あと禅宗だそうだ。真言宗の総本山高野山のある和歌山県も真言宗より浄土宗系。

密教を広めるために、経典の解説書などたくさんの文章をしたためた空海。

その中で特に印象的だったのが「風信帖」。
これは、空海が最澄に宛てた手紙を集めたもの。
とにかく、空海の文章のエモさがたまらないのだ。空海さん、仕事一筋かと思ったら、それがとても感情的な部分も持ち合わせていた。
手紙の書き出しから、エモい。
「風信雲書自天翔臨」(あなたからの風のような便り、雲のようなお手紙が天から私のところへ舞い降りてきました)」
手紙を風や雲にたとえ、それが天から舞い降りるって、女子高生のポエムやないか。

甥が亡くなったときは「悲しきかな、悲しきかな、悲の中の悲なり」「一対である船のかじを折られ、一対の羽の一枚をもがれたようである」と書き記している。なんともエモい。
でも、空海の愛情の深さが伝わってくる文章でぐっときた。

第5章 そして伝説へ

朝廷にも認められ、密教の布教も順調な空海、ついに高野山に金剛峯寺を建立したそうだ。四国八十八カ所札所参りでは八十八カ所を参り終える(結願)と、最後に高野山金剛峯寺に参る。
多分、当時の密教と比べれば、変わってしまったところもあるのかもしれない。けど1200年もの間、密教、真言宗、弘法大師、空海という言葉が残っていることは本当にすごいことだ。

さいごに

日帰り弾丸ツアーだったので、午後には奈良を出る予定だったので、後半は少し走り走りになってしまった。
売店で図録と、友人たちへのお土産を買って博物館を後にした。

内容が盛りだくさんで、ちょっとまだ頭が混乱している。購入した図録が300ページもあって面食らった。

とにかく、空海という人は平安時代の仏教界の綺羅星だったし、エモい文章も書ける「人」だったということが分かった。密教の世界観は難しくて2時間ばかりの展示を見ただけでは到底理解できるものではないけれど、ほんの少しのとっかかりを見つけた気がする。
というのも、先にも書いた、地元の文学書道館の空海展に行った際、作家の高村薫先生がまとめた「空海」という本を買ったのだけれど、難しくて読めずに積んであった。
今回このレポを書くのに、参考にパラパラめくったら、今回の空海展で見知ったことがより丁寧に書かれているではないか。「おお、ここ、分かる!」と思いながら、思わず読みふけった。

最澄と空海を描いた漫画「阿・吽」も読みたい。
ちなみに最澄と空海は後年、絶交してしまう(あんなエモいお手紙をやりとりしてたのに、どうして……)

今回の特別展、サブタイトルは「かつてない」空海展だそう。過去の空海展を知らないのでどの辺がかつてないのか分からないけれど、大事なポイントが繰り返し、様々な方法で表現されていて、とても頭に入りやすい仕掛けがなされていた。
展示解説に書かれている文字を見つけるスタンプラリーのような企画もあって、子どもも、初学者の大人も楽しめるようになっていた。
入場料は大人が2000円、高校生は1500円、中学生以下は無料。

クリアしてプレゼントをいただきました。

参考にしたサイトはこちら。

おまけ

なぜか奈良に来るとカレーが食べたくなる。ランチはカレー。

おかずがたっぷりのランチ。おいしかったです。

そして帰りは、いつもの淡路SAでスイーツ。

メロンフラペチーノ、おいしかった。

おいしいもの、楽しいことがやめられない。
煩悩のかたまり。悟りへの道は遠そう。

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