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老眼もわるくない

「最近ちょっと良くなったんじゃない!」

今朝、化粧とも言えない程度の化粧をしていたときのことだ。

両ほほにあるそばかす(だったもの。今は無数のシミ)が、薄くなったような気がする。
シワが目立たなくなってきたように思う。
そういえば毛穴も見えないな。
ええ感じじゃ、ふふふ……なんて悦に入っている。

なんてことはない、これは、見えなくなったからだ。

最近、急激に老眼が進んだ。
仕事が変わって、一日中書類とにらめっこしているせいなのか、こうやって文章を書いているせいなのか、ただ単に歳をとったせいなのか定かではないけれど、ここ1、2年でどんどん手元が見えなくなってきた。

子供の頃から極度の乱視と近視があって、コンタクトレンズがなければ矯正できない。メガネでも見えないことはないんだけど、メガネではあまり視力が出ないため、やはり遠くを見るのには不安がある。
毎日、車を運転するので、遠くがよく見えないと命にかかわる。

老眼は日々どんどん進んでいる。
コンタクトレンズを入れていて老眼が進むと、目のいい人みたいに遠くがよく見えるかわりに、近いところが全然見えない。
少し前は、「手元の文字が読みにくいな」の程度だったのが、最近では、爪もよく見えないし、手相もはっきり見えない。「指紋」なんて、私の脳内辞書から消えそうだ。

「はなせばわかる40代」とはよく言ったものだ。
仕事の資料や学校のプリントもスマホも、目のピントの合うところまで離さないと見えない。

いや、コンタクトレンズをしていると、はなしてもわからないことも多い。

ノートパソコンの画面はどんどん遠くなり、腕がキーボードまでぎゅーんと伸びて、背中はぐーんとそらして、これを書いている。ふんぞり返って態度の大きな人のようなな姿勢。集中できやしない。

そういうわけで、鏡に映る自分の姿がよく見えなくなった。
シミやソバカス、小じわ、毛穴が、本当は無限大にあるのだけど、全く見えなくなったのだ。

コンタクトを外して、鏡に顔がくっつくくらい寄ってみれば、それはそれはひどい有様なんだけど、普段は見えないから気にならない。
周りの人には相当見えているのかもしれないけれど、化粧水やクリームで一応の手入れはしているし、周囲が不快にならない程度にファンデーションやチークで化粧もしている。
小さなアラはなくならないと思うけれど、自分では気にならないから、「よくなった」とだまされて、機嫌がいい。なら、もうそれでいいじゃないか。
若い頃は、化粧室で手を洗うたびに「ソバカス、ひでーな」とか「目の下にクマが」とか、いろいろ気になって落ち込んでいたけど、今じゃ見えないから、気づきもしない。

これくらい、見えないくらいがちょうどいいのかもしれない。
欠点は探せばいくらでもあるけど、気にしはじめたらきりがない。
確かに、周りを不快にする欠点は直した方がいいけれど、周りが不快にならない程度に気を使って、人に優しく、機嫌よくしていれば、あとのことは、無理に見ようとしなくていいんじゃないかな。

コンタクト以外に一応、近視用のメガネも老眼鏡も使っている。どうしても手元を見なくちゃいけないときは、近視用のメガネか老眼鏡をかける。すると、たちまち遠くはみえなくなって、近くがとてもよくみえるようになる。
マニキュアが塗りたい時、縫い物をする時、本を読む時は、メガネや老眼鏡の出番だ。
つけたりはずしたりめんどくさいけど、それなりに使い分けできていて、不便なくやっている。

自分がどんな人間で、何が好きで、何が嫌いで、どういう感情をもつのか知ることは大事。それは、自分が「機嫌よくいる」ための、取扱説明書を作るためのものであって、欠点をあげつらうためのものじゃないし。
そんな時は、老眼鏡をかけるように、自分の心のフォーカスしてみてもいい。

ただし、自分の心にフォーカスしすぎて、欠点を見つけすぎちゃって、メガネをはずして見えなくなっても「ある」と感じつづけないようにしないといけないけどね。(私は、やりがち……)

顔の造作と欠点は気にならなくなったけど、お腹と太もものぜい肉は、老眼になってもはっきり見えるので、気になってしかたない。


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