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無冠の女王、文章を書く

子供のころから、おおよそ「芸術」というものには縁がなく、絵を描いても、歌を歌っても、作文を書いても、楽器を弾いてもどこかサマにならない。運動音痴で体育もからっきしダメだったし、小学生のころ、書道教室に通っていたが、後から入ってきた妹に級を抜かれた。

つまり、一度も「賞」と呼ばれるものをもらったことがない。
noteのコンテストだって、一度も選ばれたことはない。

だから、noteのプロフィールに「◯◯賞受賞」と書いてある人が、とても、とても、うらやましい。

最近、時々目にする「noteが読まれない」という嘆き声。
無冠の私にはよく分かる。「選ばれなかった」さみしさ。努力が報われないむなしさ。孤独と心細さ。

誰かに選ばれるということは、自分の存在を見つけてもらえたということ。
逆を言えば、選ばれないということは、自分の存在が誰の目にも止まらないということ。
自分の書いたnoteが読まれないのは、自分がこの世界にいることに気づいてもらえないということだ。

もちろん「読まれるために書いてないよ」と言う人もいるだろう。
私も、そういう文章を書く日もある。自分の心を整理するためや、自分の気持ちを吐き出すために書くこともある。
だけど、もし本当に誰にも読まれなくていいのなら、紙のノートに書いておけばいいはず。きっと、心のどこかで誰かに読んでもらいたいから、ネット上に文章を置くのではないか。

noteを始めて3年半。
周りを見渡すと、noteのコンテストで賞を取ったり、本を出したり、新しいプラットフォームで精力的に活動を始めたり。

無冠のまま、階段の踊り場で足踏みしているのは、私だけだ……

ちょっと拗ねた気分を何とかしたくて、友人に相談した。

「これからどうなりたいの?」と友人に聞かれた。
プロになりたいわけじゃない。
文章を書くのは楽しい。書きつづけていたい。だけど、ただ書いてるだけじゃいやなんだ。誰かの心に届くものが書きたい。
そのためにも、読まれる文章が書けているのか、今まで積み上げてきたことが本当に通用するのか、足りないものは何なのか、確かめてみたい。

「じゃあ、外でも書いてみたら?」
ああ、そうか。でも何から始めればいいのかな……

先日、ある雑誌のメルマガにエッセイが掲載されているのを見つけた。文章を書き始めたきかっけを書いたエッセイだった。創作の原体験を綴ったわずか400字、原稿用紙1枚分のエッセイ。
最後に「エッセイ募集」とあった。投稿作品だったのか。

もしかして、これなら書けるかもと、軽い気持ちで過去に書いたものを400字にリライトして投稿したら、次号に掲載してもらえた。
はじめて、自分の作ったものが選ばれた。うれしかった。

選ばれた喜びと、私が書くものが誰かの心に届いたという感動。

小さい小さいことだけど、明日も書き続けていく力をもらった。
とはいえ、私は今もまだ無冠。
でも、これが無冠の国を出る第一歩になるといい。

だから、無冠の女王は、今日も書く。

追伸、こんな小さなことに、一緒に喜んでくれた皆さん、本当にありがとうございました。












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