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親に「借り」なんてなかった

親に、まだ「借り」が返せていないと思っていた。

母は専業主婦で、私たちが起きる前に起きて、朝食の用意、弁当作り、掃除、洗濯、畑仕事を一人で全部こなしていた。
父はサラリーマン。旅行やゴルフのような大きな趣味もなく、酒もたばこも適量、たまにデパートで洋服を買うくらい。
母の趣味は洋裁で、私や妹の洋服をよく作って着せてくれた。

その一方で、私や妹のことには、お金も時間も惜しみなく使ってくれた。
本や参考書は欲しいと思えばどんどん買い与えてくれて、洋服やテレビゲーム、当時まだ流行り始めたばかりのパソコンだって買ってくれた。
平日ほぼ毎日、私と妹の塾や学校、休みの日は買い物や友達との待ち合わせの送り迎えをしてくれた。
大学に行きはじめると、授業料、運転免許、軽自動車、成人式の着物から、バイト先への送り迎えまで、父と母は自分の時間とお金の全てを私たちにかけてくれた。
時には、私や妹の学校や職場に対するグチのサンドバックとなって、なだめたり、すかしたり、励ましたり、げきを飛ばしたり、気長に付きあってくれた。

そんな両親に感謝している。
だけど、父と母が、私に何かをしてくれるたびに、「借り」が増えていくような気がして、両親の愛情が少し重かった。自分は一生かけて、両親への借りを返し、恩を倍返しにしなければはならないのだと思っていた。

26歳で結婚して、30歳で2人の子供を持ったが、フルタイム、残業アリの職場で働くには、いろんな面で両親の手を借りなければ回っていかなかった。
おかげで、いつまでたっても、親への借りは増えるばかり。
両親に借りを返して自由になりたいと思うのに、重荷は増え、私が私らしく生きる自由には、歩いても歩いてもたどり着けなかった。

気が付けば、私は四十路を越え、五十路が見える。
息子は19歳、娘は17歳。

朝起きて、朝食を作る。娘の弁当を作る。娘の学校のグチや、「日本は」「世界は」なんて主語の大きな青い話に付き合って、なだめたり、すかしたりして機嫌を取り、学校に送りだす。

ホッとしたのもつかの間、
「今月、仕送りが足りないんだけど?」
と、息子からLINEが来る。
仕事の合間に銀行へ走って行って、いそいそと息子の口座に入金する。
送ったよとLINEに返信すれば、今度は、
「自動車教習所の授業料、これだけね」
と、料金表のスクショが送られてくる。
しょうがないなあと思いながら、また振り込む。
一昨日は「スマホが壊れた」と言ってきたので、新しいのを買った。

「ねえ、雨が降ってきたから、迎えに来てよ」
夕方になれば、娘からの突然の呼び出し。
「僕が仕事を抜けて行くよ」と夫が返信してくる。頼んだぞ、夫。

残業を終えて、やっと家にたどり着いたと思ったら、私の顔を見るなり、
「私、大学生になったら留学するって決めた」
「オレも大学院に行くから」
「成人式には、レトロ柄の振袖がいいなあ」
などど、「明日、映画を見に行くよ」「今夜は唐揚げがいいなあ」くらいの軽いノリで言われる。
あめやチョコやアンパンマンで機嫌が直る時代が懐かしい。今じゃ、大人顔負けの議論を吹っかけてきて、親の人格、全否定してくるから、親のメンタルは、割れたスマホの画面みたいにバキバキだ。
そして、年々、彼らにかかる費用の0の数が増える。

なのに、それを「仕方ないなあ」と受け入れる自分がいる。

子供の目の前には、どんなふうにでも描ける真っ白のキャンバスが地平線の向こうまで広がっている。
子供の根拠のない自信、青くさい夢、好きなこと、自由な生き方。
子供たちが生まれた時、この子たちは、どんなふうに未来を描いていくのだろう。できれば、それをずっとそばで見ていられればいいと子供の寝顔を見るたびに思った。

そうか、子供と一緒に夢を見て、それを叶えさせてあげられることが、親の幸せだったのだ。
もちろん、現実の社会はそんなに甘くない。
多分、どんなに夢見ても叶わないことのほうが多いだろう。自分が大したことのない人間だと気づくこともあるだろう。
その時、子供と一緒に泣けることが幸せなのだ。

なんだ、親への「借り」なんて、返さなくてよかった。
そもそも、借りなんてなかったのだ。
現に、こうやって、子供に手間暇をかけさせられても、それを、子供への「貸し」だと思ったことは一度もない。

「あのときは、ほんと大変だったのよ」
私と妹が大学に通っていたころ、我が家の家計は破綻寸前だったらしい。専業主婦だった母が洋裁の内職をしていたくらいだから、よほど大変だったのだろう。
あとになってを母がこう言うたび、苦労させて悪かったと心の中でわびた。

でも、それは、母が「私はあの時頑張った」と自分をねぎらう言葉だったのだ。私への当てつけでも、借りの確認でもなんでもなかった。

なんてこった。私は大きな間違いを犯していた。

もちろん、両親への感謝はしている。年老いてきた両親への親孝行はできるうちにやったほうがいい。
だけど、私は私で、もうずっと自由に堂々と生きてよかったのだ。親を喜ばせる必要も、親に気を遣う必要もなく、私は私が思うことを言い、思うように生きればよかったのだ。
親は、それを全て受け入れてくれる存在だったのに、「借り」だなんて、親を過小評価していたのは私だ。

私は、子供に対してあまりベタベタするほうではない。
息子の小学校の卒業式で、子供たちの写真が大きなスクリーンに映し出された。ほかの親たちは、我先にとスマホで撮影したり、自分の子が映れば手を叩いて声を上げて喜んでいた。私は、ただじっと画面を見つめることしかできなかった。
いつもそんなふうで、「私は愛情が足りないのかもしれない」と悩んだこともあったけれど、私は私の方法でちゃんと子供を愛していたのかもしれない。

十年後、「あの時は、ほんと大変だったんだから」と、きっと私も子供たちに言うだろう。
でも、私はもう一言付け加えよう。
「でも、面白かったのよ」と。

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