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私に親友はいない

実家の母には、学生時代から50年一緒にいる親友がいます。
お互いの好みを知り尽くしていて、打てば響くような会話、相手の趣味に興味を持って、一緒に楽しみあったりしていたり、長電話していたり、とても楽しそうです。
二人の会話は、言いたい放題です。お互いの欠点を言い合って笑いあったり、そうかと思えば、一緒に泣いたり、相手の家族の心配をしあったり。時には、お互いの病院へ付き添いあったり、まるで仲の良い姉妹のような関係です。
何より、お互いが相手のことを「他の誰よりも大事な親友だ」と認識しあっているのが、はたから見ていてもよくわかります。

「あんたは、広く浅い友達しかいないのね」
10代のころから、母は何気なく私にそういいます。
私にはこの言葉が呪いのように聞こえていました。
もちろん、いろんな友人や知人がいることは、とても刺激になります。こんな考え方をする人がいるんだなとか、自分の知らないことを教えてもらったり、人生のアドバイスをくれる人もいます。仕事では助け合ってピンチを乗り越えていけることもあります。いろんな友達が、世界は広いと教えてくれます。
でも、その一方で、親友と呼べる人がいないことがコンプレックスでした。
こうやってnoteに書き綴るようなことを、話せる人がいないこと、理解してくれる人が近くにいないことが、さみしくて悲しいのです。
夫は学生時代からの友人で、彼が一番私を理解してくれていると思います。ですが、夫だから家族だからこそ、言えないこともあります。

学生時代から「親友」と呼べる人が欲しくて、いろんな人と深く付き合おうとしてきました。でも、周りの友人には、もうすでに「一番大事な親友」がいて、私のはいる隙はありませんでした。
いや、きっと私の自慢しいなところや褒めてもらいたがりなところ、傲慢な物言いや考え方が、人を遠ざけていたのでしょう。直そうと努力するのですが、いまだに直りません。
何が優しい行為なのか、何が思いやりのある行動なのか、実はよくわかりません。
さすがにこれはひどいと、大人になって気づきましたが、こんなことがありました。
小学生のころ、同級生のA子ちゃんが、私に「50点だったんだ」とテストの結果を言いました。ああ、50点だったんだと単純に受け止めました。私は、そのことをB子ちゃんに話しました。「A子ちゃんは、50点だったんだって」と。
その後、A子ちゃんに呼び出され「どうして私のテストの点数をB子ちゃんに言うの」と怒られました。その時やっと私は気づきました。「テストの点数を話して、A子ちゃんを傷つけていたんだ」と。
私はB子ちゃんと仲良くなりたくて、話す話題が欲しかったのです。共通の友達であるA子ちゃんのことを話せば、B子ちゃんと会話ができる、同じ秘密を共有してもっと親しくなれると、彼女のテストの結果の話をしてしまったのです。
つまり、私は、B子ちゃんという友達を得る目的のためなら手段を選ばない、どんなことでも手段にしてしまう、そのことでA子ちゃんが傷つくとかそういうことを全部忘れてしまったのです。
私はこんな人間でした。とにかく誰かの一番になりたい。なるためにはなんでもしました。間違ったやり方で。はじめは親しくしてくれた友達も、いずれそれに気づきます。そして、離れていきました。
大人になるまでに、こんな失敗を何度も繰り返しました。失敗するたび「これはやってはダメ」だと自分に覚えこませました。そして、親友を持つのは諦めました。人には深く関わらない、ニコニコして、相手を適当に褒め、不快にさせない方法を覚えました。
大方の人は私のことを「明るくて、話しやすい人」だと思っておられるようです。そう思われるようになるために、必死の努力をしてきました。
でも、それは所詮、私のかぶった大きなネコです。これ以上失敗しないために、大きなネコをかぶってしまいました。
人は、気づいていないようで気づいています。その証拠に、私は友人から名前を呼び捨てにされたことはありません。そこまで親密になったことがないからです。
本当の優しさとは何か、人にどうやって貢献すればいいのか、人に愛されるとはどういうことなのか、わからないまま今にいたっています。それは例えば、荒れた土地では、栄養たっぷりの野菜が育たないようなものです。荒れた心から、優しさや思いやりは育たないのです。

「誰かの親友になりたい」
それにはきっと相手を思いやること、自分が相手を一番に思っていることが大事なのだと思います。相手が本音を話したとき、受け止める勇気や信頼する心があることが必要です。
また、自分の気持も包み隠さず、相手に伝えていく努力が必要です。
そうできるよう頑張ってきたつもりでした。
相手を否定せず、事実を受け止めてきたつもりでした。自分とは違う考え方を持っていたとしても、相手の考えはそのままに認めようとしてきたつもりでした。相手が欲しているもの、喜んでもらうには何をしてあげればいいのか、考えてきたつもりでした。

でも、やっぱりダメでした。
自分の欲求が見え隠れするのです。相手に好かれたい。でも、相手より優位にいたい、相手に負けたくない。相手を自分の親友にするためには、手段を選ばない、思いやりのなさや自己中心的なものの考え方。必死で抹殺しようとしてきましたが、消すことができませんでした。
それが、私の体の節々からにじみ出ていたのだろうと思います。

先日、大人になってやっとできた、親友だと思っていた人から「しばらく会えない」と言われました。理由は、はっきり言われませんでした。
それ以来、送ったLINEも既読スルー、返事はありません。わざわざ理由を問い詰めに会いに行くのも怖くて、できないままいます。
私と距離を置きたいという友人の気持ちを尊重したつもりです。これ以上、友人を問い詰めたところで、関係がよくなるとは思えませんし。
だから、本当の理由はわかりません。忙しい人だし、家族もいますから、何か言いにくい事情があるのかもしれません。
でも、ショックでした。大人になってもなお、「お前は愛されない」という事実を突きつけられ、自分の直っていない欠点をまざまざと見せつけられて、苦しくて、気が変になりそうです。
今もまだ、立ち直れずにいます。

noteやwTwitterを覗くと、みなさんが楽しそうに会話されています。
思いやりのある言葉、優しい言葉がそこかしこにちらばっています。私にも温かい言葉をかけてくださって、本当に嬉しく、ありがたいです。
でも、こんな自分がここにいていいのかと思う時があります。
誰かの文章に嫉妬したり、自分の文章が褒められて優越感に浸ったり、年上だと言うだけでちょっとタメ口で偉そうにしている自分。その一方で、嫌われたくなくて、愛されたくて、ニコニコ、いい人でいる自分。そのギャップに、少し疲れてしまいました。

人に愛されるためには、多少の努力と心配りが必要です。
相手のためになるように心を尽くすことは、よい人間関係を築くためには、とても大切です。
でも、私のそれは、目的が違っている。自分が愛されるため、自分が褒められるためにやっているのです。それに気づいていながら、40数年も生きてきて、未だにこの欲求から抜け出せずにいます。

幾つになっても褒められたいし、勝ちたいと思うのは仕方のないことかもしれません。ですが、相手を思いやることや優しさがあっての、承認欲求ではないでしょうか。

「あなた、大きな子供もいるいい大人でしょ。何、つまらないこと言ってんの!」
貧血がひどくて通院していた婦人科の先生に、「落ち込むことが多い」と打ち明けた時に、言われました。
その時は、仕事が辛くて、深夜まで働いていて、夜はなかなか眠れなくて、本当にしんどい頃でした。先生は、そういう事情をわかっていないんだから仕方ないと思っていました。
でも、先生の言葉が棘のように胸の奥に今でも刺さって取れません。それは、少なからず「図星だ」と思っていたからです。
人生の半分以上生きてきて、いまだに、自分のことしか見えず、家族や友人を大事にできない自分。仕事が辛い、大事にされないなんて正当化して、不幸なヒロインきどりでいる自分。
先生の言葉は「いい大人」が、自分のことばかりに見て、周りの人を幸せにしようとしないことへの叱責だったのです。
こんな自分には、親友を得る資格などないのです。
そんなことの前に、周りの人を幸せにすること、思いやりをもつこと、優しさを与えることを学ぶ必要があるのです。

ああ、こんな当たり前のことに気づくのに、一体どれだけの時間がかかっているのか、本当に自分の浅はかさに呆れます。

距離を置かれた友人と、また前のように仲良くすることはできないだろうと思います。何か友人本人の事情で、私とのつながりを切ったのなら、事情が変わればまた元のように親しくできることもあるかもしれませんが、奇跡のようなものでしょう。

もうそれは仕方のないことです。
でも、友人をなくしてこんなに悲しかったことは初めてです。
やっぱり、私は友人のことを親友だと思っていたし、信頼していたし、信頼してほしいと思っていたし、友人にとって、いい友達であろうと頑張っていたのだと思います。友人関係で失敗ばかりしていた今までの経験を全部つぎ込んで、この関係をよくしようと頑張っていたのです。
よく頑張ったよ、自分。うまくいかなかったけど、十分頑張った。
こんなに相手のことを考えたことはなかったし、こんなにもっと仲良くなりたいと思ったこともなかった。死ぬまでずっと友達でいたかった。
私が至らなくて、ごめんなさい。
でも、今回のことでこうして自分の因数分解することができて、その至らなさも頑張ったこともはっきりと見ることができました。
ここからまた自分は変われると思っています。

だから、私には親友はいません。
今はまだ。

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