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南パタゴニア ペリートモレノ氷河 大崩壊(la Gran Ruptura) -1-

まずは、この2分ちょっとのYouTubeクリップで、このアルゼンチンの氷河について御覧ください。


アルゼンチン南部のパタゴニア。

そのアンデス山脈の麓のアルゼンチン側に、氷河観光の玄関口の街エル・カラファテがある。首都ブエノスアイレスとは3時間ほどの直行フライトで繋がれている。

このペリート・モレノ氷河が特異なのは、世界の氷河が温暖化で「後退」している中で、未だ毎年「前進」していること。

そのメカニズムは完全には解明されてないようだが、氷河がある運河の地形で底のほうが傾斜しているかららしい。それでクリップにあるように、だんだんと前進するとブラソ・リコからの水の流れを堰き止めてしまうことになる。氷河がダムをつくってしまう。

https://www.youtube.com/watch?v=f7wz1XUMB70 の画像より

そうして堰き止められた河の水はだんだん上昇していって、何年に一度、高まる水圧に氷河が耐えきれなくなると、氷河の一部が崩壊を起こして水がテンパノス運河のほうへと一気に流れ出る。それが、La Ruptura 「崩壊」と呼ばれる現象。轟音とともに氷河の一部が崩壊して、どっと水が流れ込む。それがさらに氷河を崩壊させる。

Wikipediaによれば、この崩壊が起こった年は、1917, 1935, 1940, 1942, 1947, 1952, 1953, 1956, 1960, 1963, 1966, 1970, 1972, 1975, 1977, 1980, 1984, 1988, 2004, 2006, 2008, 2012, 2013,  2016, 2018 そして2019年。あまり定期的ではないが、短くて数年、長くて10年以上の間隔。

過去には部分的な小規模な崩壊で水が下へ流れること続けながら、大崩壊が起こらなかった時期も多々あった。一方で15年くらいたって本格的な崩落を起こしたこともあり、そうした大規模な崩壊は、La gran ruptura「大崩壊」と呼ばれている。最近では2004年がそうだったらしい。

崩壊直前には運河側の水位が30mくらいまで上がっていくという。運河側の水位が高まって、季節が南半球の夏である12月から3月頃になると、この観光地は色めきだつ。崩壊がいつ起こるのかは誰にもわからないが、水位上昇と気温がひとつの目安となる。

僕がこの観光地を訪れたのは、1989年3月。1988年の崩壊の翌年だった。

ブエノスアイレスから飛行機を乗り継ぎ、最後の路線は、当時はたしかアルゼンチン空軍が運営していた飛行機に乗り込むと、たしかに軍用機の窓側に席を1列につけた機体で吊り革のようなものもあった。そして、悪天候でのフライトはかなり揺れた。たぶん今は一大観光地としてまともなフライトが飛んでいるはず。

ペリトモレノ氷河観光の玄関口となる街エル・カラファテは、氷河以外はなにもない街だった(少なくとも当時は)。街から20kmくらい離れたところに氷河はあった。

宿のおっさん曰く、「去年Rupturaがあって水がつながってるから水圧での崩壊はまだまだ先だな。でもなにかの拍子で大規模な氷河崩壊があるかもしれないし、誰にも予測できない。最近暖かいから、氷河が角とかが頻繁に崩れて落ちるから、あの水に落ちる瞬間はとてつもない轟音がして迫力あるよ」。

まだ本格的なシーズン前だったのだろうか、観光客もまばらだった。観光客用に整備された、氷河を見渡せる展望台のような場所があって、皆そこで辛抱強く氷河が欠け落ちるのを待つ。

氷河の前でぼうっと数時間みていると、たしかに30分くらいに一度くらいのペースで、氷河の角が崩れて水に落ちる。角といってもたぶん数十メートルはあるようなビルの1階分くらいの塊。それがごそっと落ちる。その瞬間にバリバリバリと雷が落ちたような音がする。雷と同じで、目が先にその光景をとらえて、あ、落ちたと思った10秒後くらいにバリバリバリと音が届く。かなりの轟音。

たしか当時で8000円くらいだったか、ちょっと高かったが、氷河の上をヘリコプターで飛ぶというのがあった。意を決して、予約して2日目に乗ってみる。ヘリ自体が生まれて初めての経験だった。

これ、凄かった。

実家にいけばその時にとった写真の数々が残っているはずだが、ヘリは氷河の全景が見える辺りから、急降下したり急カーブしたり客がきゃあきゃあいうのを誘いながら、氷河の上を10分くらい飛んだ。

後日談あり、このあとで、当時勤務していた会社のブエノスアイレス事務所に挨拶に顔を出したら(当時はその会社からメキシコへと留学を命じられてメキシコで学生をやっていてその春休みでアルゼンチンに旅行で来ていたので)、先輩の駐在員に「おまえそれはだめだな。あの氷河のヘリはよく落ちるんだよ。それで日本人社会ではあれはNG、乗っちゃだめになってるんだよ」とえらく怒られた。でもよくみると、怒るその顔の眼差しはとても羨ましげな輝きを放っていたが。

おまけ。

その一人旅で、エル・カラファテの宿で安いメンドーサ赤ワインを飲みながら空想した。こんな犯罪サスペンスの物語。細かい部分は今考えて膨らませた。

プロット:

軍政時代の70年代末のアルゼンチン。

ブエノスアイレスの下町に住む主人公の男ハビエル・サンギネッティ。

彼の愛する兄は、反政府運動の学生デモで軍に検挙された後に行方不明になって既に3年が経つ。

後に「ゲラ・スシア(汚い戦争)」と呼ばれアルゼンチン現代史に汚点を残すことになる軍による弾圧。1976年から1983年にかけてアルゼンチンを統治した軍事政権は、左派ゲリラの取締を名目として労働組合員、政治活動家、学生、ジャーナリストなどを逮捕、監禁、拷問し、3万人が死亡または行方不明となった。

1980年のある日、非合法の反政府テロ組織に身を投じたハビエルにある任務が告げられる。

3月のセマナ・サンタ(イースター)の前の週末、軍要人が視察でアルゼンチンを訪れている米国の軍関係の訪問者を連れて、ペリト・モレノ氷河に観光に行くという情報がある。軍要人の中には、ビデラ政権で治安担当の内務大臣だったエルネスト・アーリッヒも含まれている。

氷河は前回の崩壊から3年が経っていて、上部運河の水位が既に20m上昇してきている。3月中旬の予想気温は25度。La Rupturaへの期待で、地元の街エル・カラファテは色めきだっている。

ハビエルの任務は、氷河観光をする一行にむけて、特にアーリッヒ元内相にむけて、爆発物を投げつけて、爆殺すること。

1月、ハビエルは、身分を偽りエル・カラファテの宿で職を得る。3月の任務執行のXデイにむけて、身を隠しながら用意周到の準備を進めていた頃、彼の働く宿にスペイン語をちょっと話す、日本人らしき旅行者が投宿する。

物語はそこから、いろいろ発展して、地元エル・カラファテの謎の美人エバ・ベラスケスやらとの絡みもあったりして、裏切りや治安部隊との銃撃戦もあったりしながら、Xデイへと突き進む。

そして、そこでクライマックス近くでは、 驚くことにまだ先だと思われたLa Gran Ruptura 大崩壊が突如起きて轟音が鳴り響く。そこにヘリコプターに乗った日本人が。。。

(続く)かも ■






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