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『クイーンズ・ギャンビット』の一気見を終えて 人間の深み


なかなか良くできた娯楽映画。60年代の時代設定が、映像をファッショナブルにしてるし、タイムマシンに乗って半世紀前を体験しているようで、人種差別、女性差別、同性愛権利、冷戦とか、まがりなりにも半世紀で少しは改善へと向かっている問題を浮き彫りにしてくれている(それらは、まだまだ改善へ問題山積みとリマインドしてくれてるとも言えるが)。

お金をかけた時代設定の再現が凄いし、脳裏で動かすチェス駒を天井に写しだす映像はなんとも職人芸。知り合いのアメリカ人が、アメリカの産業は車もエレクトロニクスもみんな衰退したけど、シリコンバレーとハリウッドは圧倒的に競争力があると言っていたが、同感。このアメリカの娯楽映画製作業界の生産性は凄い。短期的に巨額のリスク資金を動員して、惜しみなく予算を使って一流のクリエーター達を動員する。彼らは観客を熱狂させるツボを心得ていて、バランス良くそういうネタを繰り出してくる。「60年代の孤児院出身の女性のチェスの天才が世界一になるまで」なんていうストーリーがおもしろくないはずがない!これ、1時間x7話、師走年末の一気見に、いちおしです。

単なる娯楽作とみる以外にもいろんな見方があるんでしょうけど、この主人公のチェス天才の女性が、自閉スペクトラム症みたいな、チェスのゲームのようなある種の論理思考とか記憶力では圧倒的な能力を示すけれど、対人関係にいろいろ問題ありというのを、脚本も、演じている女優も、とても丁寧に描いていたなと思ったのでその点で一言。

主人公のベスは、基本、チェスで世界一になることにまっしぐらに進んでいて、それ以外のことはまったく関心ない。周りも、あまりにもベスが出すチェス大会での結果が圧倒的なので、だんだん、彼女が人を傷つけてることとかを咎めないし、チェス以外の人生の楽しみや目的をそんなに押し付けたりしない。彼女も、酒やドラッグに頼ってしまう弱さみたいのはみせるが、女優はロボットのように感情を排除した喋り方で演じている。もちろん、だんだんと大会で得た資金で高い洋服を買ったり、少しづつ世間慣れしてはいくのだが、他人への関心やチェス以外のことへの関心は見られない。

こういう人、いるいる。自分の人生でも、たぶん50人に1人、あるいは100人に1人くらいの確率で出会っている。ものすごい才能の持ち主だったり、目的への強い意思と馬力ある行動力があったり、周りを考えないことで無駄がない?仕事を達成したり、それぞれの分野でかなりの成功をおさめてしまったりする。まわりの人達はその業績に対する尊敬はあるが、往々にして、その自己中心的な人格を嫌ったりしている。自分の設定した目的以外にはまったく興味がなかったり、人のことにはまったく関心がなかったりする。そして、この種の人たちとはその専門の話とかその仕事の話をしている分にはいいのだが、それ以外の世間話は基本成立しない。彼らは余計なことには関心がないので。

むかし読んだ村上春樹の小説で、いいこと書くなあと関心してメモっておいた文章がある。これがそう。

ある種の人間には深みというものが決定的に欠如しているのです。何も自分に深みがあるといっているわけじゃありません。僕が言いたいのは、その深みというものの存在を理解する能力があるかないかということです。でも彼らにはそれさえもないのです。それは空しい平板な人生です。どれだけ他人の目を引こうと、表面で勝ち誇ろうと、そこには何もありません。(村上春樹「沈黙」)

この文章は、どちらかというと、ずる賢く社会的成功をおさめた人たちに、威張ってるわりには人間が薄っぺらだなというような批判なのかと思うが、ふと、このメモしていた文章を思い出したのは、この映画の主人公みたいな、とてつもない才能をもって自分の目指すゴールに突っ走る人たちにも、これがあてはまるんじゃないかなと。村上春樹が書くように、こっちに深みがあるんだというつもりはなくて、そうした深みがあるのが人生だというのを理解していない人たちがいる、というのはつくづくそう思う。

映画では、当時のソ連のチェス・プレイヤー達が凄いのは、ゲームの中断中の休憩時に仲間同士で知恵を出し合ってるんだ、というような伏線がはられて、その後、ベスもいろいろと周りから差し伸べられるサポートを受け入れようとするが結局けんか別れになったりで、最後の大試合にむけてひとり格闘せざるをえなくなってしまう。

そんな時に再会するのが、孤児院時代の黒人の友人であったり、最初にチェスを教えてくれた孤児院の用務員との話だったりで、自分ひとりで突っ走っていたと思っていたのが、自分が周りに支えられているんだというのを、少しづつ理解していくのが描かれていく。それで、ベスは恩師の用務員の葬式の日に涙し、黒人の友人の支援をありがたく受けてモスクワへと飛ぶ。

最後は、ねたばれになるので詳細は避けるが、本国のチェス仲間からも支援されて、世界一の大勝負に挑んでいく。

それで、人生の「深さ」みたいものの存在にやっと気づいた?ベスは、モスクワの街角の素人チェスのおやじと一局チェスを指すところで映画は終わる。

まあ、娯楽映画なんですが、こんなことをちょっと考えさせてくれたので、けっこうこれも単なる楽しいドラマというだけでなくて、「深み」がある作品だったと言えるんじゃないかな。

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