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A.クラーク「幼年期の終わり」

酒の席だったが、やたら大袈裟な議論になり、ここ数年、2015年あたりからの混沌とした世界情勢を憂えて、「世界がウェストファリア条約の前の中世に逆戻りして、国家間の衝突が増えていくんじゃないか」ということを言っていた人がいた。

「ウエストファリアですか?」とチューハイを飲みながら、脳みそを検索したがヒットがなかったので、後でグーグルしようと思った。

ヴェストファーレン条約 1648年に締結された三十年戦争の講和条約で、ミュンスター講和条約とオスナブリュック講和条約の総称である。ラテン語読みでウェストファリア条約とも呼ばれる。近代における国際法発展の端緒となり、近代国際法の元祖ともいうべき条約である。この条約によって、ヨーロッパにおいて30年間続いたカトリックとプロテスタントによる宗教戦争は終止符が打たれ、条約締結国は相互の領土を尊重し内政への干渉を控えることを約し、新たなヨーロッパの秩序が形成されるに至った。この秩序を「ヴェストファーレン体制」ともいう。(Wikipedia)

1648年か。江戸時代初期か。日本もそういえば、長かった戦国時代に終止符を打って江戸幕府の体制が整っていったというあたりかな。ヨーロッパの中世はここらへんまでで、ここから近世か。

戦乱と言えば、日本でも「応仁の乱」の日本史での意義について再認識が広まっているとかのポストを読んだな。ひとのよ・むなしい応仁の乱、だから、1467年か(語呂合わせ記憶は不滅だ)。30年戦争よりも2世紀前もだが、長引いた混乱ということでは似たようなものかな。

と思って、パソコンで、「30年戦争 応仁の乱」と打ち込んでみた。

すると、でてきたでてきた。同じようなことを聞いているYahoo知恵袋もあり、それに対していくつかの答えがあった。

結論としては、それらは「似て非なるもの」。かたや近代国際国家体制へ移行のきっかけとなる宗教戦争、かたや混沌とした戦国時代の幕開けとなる戦争。

30年戦争は、日本でいうと江戸時代初期に、ドイツのカトリックとプロテスタントの宗教戦争が他の欧州の国も巻き込んで長期化して、最後にウェストファリア条約が結ばれて終結。それ以降、近代的な紛争解決の国際的な国家の枠組みがそれなりにできたということで、「中世」がそれを境に「近世」へと移っていったというのが、教科書的まとめだった。

近年、中国やロシアの台頭、英国離脱、トランプ出現などで、世界がウェストファリア条約以前の中世的な国家競争の状態に逆戻りしたんじゃないかという懸念だったが、軍事衝突はそんなに増加してないが緊張はたしかに高まっていて、そんな不気味な感じもする。

それはともかく、やはりすごいのは、昔のように、知識とか考え方が昔と違って一人の人間の頭の中だけ、とか、その人が書いたものを介して読んだ人の間だけで共有されるだけでなくて、今やインターネットで世界のかなりの多数の蓄えた知識とリンクされていること。パソコンで検索するだけで、三〇年戦争と応仁の乱の知見が瞬時に得れた。あたかも自分が他の多数の人たちの脳みそとリアルタイムでつながっているかのように。

高校生時代に読んだ、アーサー・クラークのSF小説「幼年期の終わり」の結末を思い出した。

当時17歳の自分は、アメリカのかなりかなりの田舎の高校に交換留学で1年いた。人口数万人の、主たる産業が養鶏の地方都市の高校だった。ある時、留学して半年くらいが過ぎた時、顔見知りの英語の先生で眼鏡をかけた物静かなおばさんにカフェテリアで会うと、ちょっと話があると。「授業でこの本を読んでいるのだが、最後の結末が仏教の影響を受けていると思うので、アジアからの留学生であるあなたの意見を聞いてみたい」と。

当時、大量の英語を読むのが日々苦痛だったし、毎日長距離を走っていたので夜はくたくただったのだが、めったにないことでもあり、差別じゃなくて関心を寄せてくれる人にはきちんと答えなければと、ちょっと奮起してほぼ徹夜でその本を読んだ。若いというのは、パワーだけはある。

たしかあらすじは、地球にある日、宇宙から巨大な飛行物体が飛来して、オーバーマインドという賢く友好的な宇宙人が登場する。実はすぐには姿を現さず、その姿形がおおっ、という話の展開への伏線なのだがそれはネタバレなのでさておき、結局、その宇宙人たちは人類があらたなステージへと移行するのを見に来ていたんだというのがわかる。

かなりはしょると、それで最後に、人類は変異して、それぞれがうろうろ動いていたのがだんだん全体として意思をもって動くようになる。ミツバチとかアリとかがそうするように、それぞれは個体なんだが全体として一体となって動いていくようになるというようなお話。

仏教がどう関係しているのか、どんな意見をおばさん先生にしたのかまったく記憶に残っていないが(たぶん、たいしたことは言っていない)、この不思議な小説の印象はずっと残った。最期はみんなが一体化した存在になる。なんだか全体主義に移行してしまうような不気味な印象が残った。仏教の悟りとは違うような。あるいは仏教が説く、悟って輪廻から開放されたステージの涅槃(ニルバナ)とは、そんな一体化してしまう境地なのか。

インターネットだが、高速ネット接続と連想機能もある強力な検察エンジンで、膨大な知識と意見に瞬時にアクセスできて、ちょっと前だったら調べるのに何日もかかったことがあたかも自分の知識かのようにすぐにとりだせる。世界の脳みそがひとつになったようなことになった、といえるのかもしれない。アーサー・クラークおそるべし。つながる方法の詳細は別として、情報化が進んで知識や行動が大勢で一体化するような社会を予測していた。

と、驚いたのはよかったが、同時に雑念が雑念を呼び、ネット・サーフィンで時間ばかり無駄につかって、悲しいかな、在宅仕事は遅々としてすすまなかったりする。ネットでつながっても人類は果たして昔より賢い行動をとるようになったかどうか、よけいな雑念でネット使って無駄なことばかりやっているし、世界もなんだか中世もどりみたいな変な事になってきている。アーサー・クラークもそれは予測できてないなあ。

雑念サーチの中で、ひとつ発見があった。ウェストファリアは今のヴェストファーレン、ドイツ西部のライン川ほとりのケルンとかデュッセルドルフのある州であること。4年前から年に一度11月中旬に、ある業界展示会の仕事でデュッセルドルフに出張している。アルト・ビールというダークビールが美味い、とてもいい街である。ソーセージとかも美味い。あの地域で、戦闘国が会って条約を結んで中世を終わらせたというわけか。残念ながら先週確定したのは、今年は展示会開催はバーチャルのみとなったので今年の出張は消えた。


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