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全部バスだった巡礼の道カミーノ

先日、ぼけっとビールを飲みながら、ツール・ド・フランス自転車レース中継で移される山の景色を眺めていた。

田園風景、きれいな山々。スペイン・バスクからフランス・バスクへピレネー越え。今年は、ビルバオが起点でまず北へボルドーへと北上だった。

そういえば、カミーノ(巡礼の道)もここらへんだったなあと思い出す。

白状すれば、私、カミーノはちょっと経験あるんですが、自分の脚で歩んでおらず、大昔に、バスツアーで行っただけでした(汗)。

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昔々、1990年頃、まだスペインがペセタという通貨を使っていた頃、サラマンカというスペイン中央部西のポルトガルよりの大学都市で暑い夏を過ごした。そこで夏季語学留学中、週末に大学企画のカミーノの終点サンチアゴデコンポステーラまで歴史をたどるバスツアー1泊があるというので、申し込む。

土曜日早朝サラマンカからバス3台、ほとんどがスペイン人以外の国籍の夏期講習受講中の学生が参加。まず、昼飯だったか午前の10時のおやつだったかという、紙袋にはいったパンを渡される。

それ、20センチくらいのバゲットのようなので、パンが石のように固かった。

こんなもん食えるかと思ったが、休憩の公園みたいなところで齧ると、中はハモン・セラーノ(生ハム)とチーズ。これが美味い。ハモンの塩気を、あまり主張しない白っぽいチーズが和らげて無茶苦茶うまいので、パンが固い事なんて忘れる。あれ以来、塩味の効いたハモン好きになる。

バスの中でも、街道でみえる建築物の様式の説明とか、教会やら城の歴史的な説明あるが、正直、馬耳東風。

自分は音楽や演劇などパフォーミング・アートは好きなんだが、正直、絵とか建築とか、動かんアートはわからんなあと思い、その思いは残念ながらその後の人生でもあまり変わっていない。

一方で、街道のきれいな自然の景色に目を奪われる。日本と似て非なる欧州の自然。スペインのイメージの南部のアンダルシアとは全く違う雨の多いガリシア地方には豊かな緑があった。

バスの席近くにメキシコ人がいたので、数年前にメキシコを1か月うろうろしたよというと話がはずむ。カミーノ歴史の旅というより、ラティーノ達との楽しい修学旅行という感じだったということばかり記憶している。

まあ、スペインの奥深い歴史的・文化的ヘリテージは、中南米全域の歴史文化のバックボーンになっているから押さえておくべきと、当時、真剣に中南米の経済問題の専門家を目指していた自分を納得させ、ちょっと退屈を感じながらもそのとある夏を、スペインで語学研修で過ごしていた。

東京の大学での授業と、既に計6か月中南米でバックパックしてたので、既にスペイン語の基礎はなんとなくできた。当時、スペインの街並みをみるたび、中南米もうまく経済発展したらこんなになるんかなとか思いながらその夏を過ごしていた。やはり旧大陸欧州のスペインは歴史好きにはたまらないところ。コロンブスが航海の支援待ちでヤキモキしてた教会があったり、ローマ時代の建造物があったりムスリムの庭園があったりした。

サラマンカからサンチアゴ・デ・コンポステーラのあるガリシアへは、サラマンカのあるカスティーリャイレオンを北上してから西へ向かうというような道のりで、その西へ向かうあたりがカミーノの街道があるあたり。終点は西のサンチアゴのなんとかという大聖堂。何世紀も続く長い歴史がその街道にはあるという。

当時、中南米がらみ乱読の中で、ブラジルのパオロ・コエリョのカミーノの紀行記というかスピリチュアル系?小説を読んでいたので、なんとなく「カミーノ」のイメージはあった。

巡礼の道、大自然をひたすら歩いて、村の教会でスタンプラリー。四国のお遍路さんと同じかなと。自然の中で、自分と向き合う。特にミッドライフ・クライシス真っ最中のような人が、というイメージ。最愛の人との別離とか、病気とか、挫折とか、いろいろ問題抱えた人が、それらを乗り越えるために行く道、そんなイメージだった。

コエリョの小説では、たしか、中南米文学の魔術的リアリズムというんだか、ごく自然に悪魔がでてきたり、悪魔が送り込んできた犬の群れに取り囲まれたり、生き埋めになって掘り起こされるような死を体験する儀式があったり、けっこうおどろおどろしかった記憶があったが(数十年前の読書記憶)、バス旅行では大学教授が建築様式や歴史を語り、なんだか教養の旅といった感じであった。

唯一、巡礼ぽかったのは、大学のツアーのアレンジで1泊したのが修道院だったこと。個室だったが質素ながらも清潔な部屋だった。なんか巡礼の旅をしてる気分になった。

あとは記憶からすぽっと抜け落ちてしまっているが、おそらくそれはその後にメキシコに渡って下宿しながら大学院通っていたてんやわんやな日々が自分にとって人生のとても強烈な記憶として刻み込まれていて、その前のひと夏の休暇のようなスペインでの歴史探索の日々の記憶は薄れてしまっている。実家へ帰って写真とかひっぱりだせば記憶が蘇ってくるのかもしれないが。

そう、覚えているのがあった。ガリシアのバスストップの屋台でボケロネスというイワシを揚げたやつだったかを買って齧ったら、あまりにも美味くて感動したこと。あれは、また食べてみたい。そして、終点の教会で、ボタフォーゴだったかボタフーゴみたいな名前の巨大なお香が入った2mはある容器を天井から吊り下げて教会の中をブンブン回したという説明。シャワーも無く長い旅をしてきた巡礼者たちは今と違って、終点で構内で集まってくるとそれはお香でも焚かないと失神するくらい臭かったという。そんなことだけ覚えている。

話は飛ぶが、日本で行ってみたいところがある。和歌山の熊野古道。

ある時、紀伊半島の地図を見てたら、なんだか三重がスペイン、和歌山がポルトガルの、イベリア半島に見えてきた。

三重にはパルケ・エスパーニャあるし(行ったことないが、知人の日本語ペラペラのスペイン人おばさんが若い頃そこでバイトしてたという)、和歌山にはポルト・ヨーロッパというマグロと欧州がテーマの遊園地があると言うし。

あ、紀伊半島に奈良があるのを忘れてた。奈良は、バスク地方としておこう、知らんけど。そして紀伊半島じゃないけど大商業都市バルセロナのあるカタルーニャが名古屋とか。大阪は?まあピレネー山脈より北のパリとしときましょうか。以上、脱線しましたが地図的な視覚的駄洒落。

なんてこじつけを楽しんでたら、なんと、熊野古道とカミーノが提携してて、両方でスタンプラリーするともらえる証明書があると言う。両政府、なかなかやりますね。巡礼好きな欧州人でカミーノしてから日本で巡礼すると言うのが静かなブームだと言う。

正直、天邪鬼なもんだから、巡礼での出会いは、勘弁。新たな道連れとの触れ合いはしたくない。その人の抱えているものも背負い込んでしまいそうで、また、自分の抱えているドロドロしたものを移しそうで、そこはやっぱり、大自然の中で自分と向き合って孤独に行きたい。なんて、意気込んでも歩いてると人恋しくなるんだろうか。

まあ、カミーノをバスでしか行ったことがない自分が偉そうに言うことではありませんが。巡礼的なものには憧れありです。いつか、一度は、由緒ある道のりを、40、50キロ、ひたすら黙々と歩いてみたいもんです。

カミーノと熊野古道、バケット・リスト入り。■



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