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美談なのかトホホ話なのか

Tは同い年なのだが、やつは2浪してるので、大学出て最初にはいった職場では同じ部署の1年後輩だった。

僕はその職場を9年ほど働いて辞めているので、20年くらい音信が途絶えていたが、なにかの拍子に向こうから連絡があって、東京出張の時に飲んだ。

噂で、Tは30代の頃に精神的に病んでしまって、治療を受けながらの勤務だったので閑職のイメージがある部署に配属になって出世コースからは遠ざかってしまったというようなことを聞いていた。

その噂には、え、あのネアカで撃たれ強いTが?と、鬱になったTというのが想像つかずにいた。

20年ぶりくらいに会ってみると、ぜんぜん元気で、まったくもってかつてのイメージのTだったので、病気したんだって?と遠回しにきくと、あっさり、「躁鬱病なんです。薬飲んでれば全然だいじょうぶなんですが、鬱になって数日はなにもできなくなったりしてたので、この飲み会も日にち変更したりしてすみません」とか言う。

酒を飲みながら、昔話で盛り上がったが、まあ、しょうもない話ばかり。

部の新人歓迎会で、酒に弱いTはつぶされて、僕がふとみると会場の座敷でTがつぶれて、こわもてで鳴らしていた部長の膝枕で寝ている。奇妙なものを見てしまったと今でも鮮明に覚えている。部長は普段、へんなオーラの怖い人で、頭よりも行動力みたいなおっさんだったが、その日はニコニコして酔っていた。

僕がNYに駐在でいた時に、お互い独身だった頃だが、Tが休暇をとって遊びに来るというのでアパートに泊めてやった。仕事がばたばたしてたので夜のみにいくくらいであまりアテンドできなかったが、自分なりにうろうろして楽しんでいた様子だった。最後の日にアパートに戻ると、Tは既にもういなくて、感謝の書置きと、なぜかTが買ってみていたエロビデオが置いてあった。十分楽しみましたので置いていきますと。

そんなトホホな思い出しか浮かんでこなかったが、話していると、同期のやつはどうしてるというような話になる。その職場は年に同期が10人ちょっとしかいない小さな所帯で、1、2年違いだとだいたい全員の顔を知っていた。人数が少ないので、全員が無理やり野球部やらサッカー部に駆り出されて、僕は体力ないのにサッカー部でやたら走らされていたっけ。器楽部とダンス部にも所属されられていた。

Sという、僕が半年ほどシステム開発にユーザーとしてジョブフローをひたすら描けという仕事をさせられたときに机をならべた後輩がいた。

Tが言う。Sはね、数年前に脳腫瘍になって、いったんは職場復帰したんですけど、また入院中なんですよ。子供二人、いま大学生なんですけどね。

そりゃ、大変だね。と僕はハイボールを飲み干す。いたたまれない話だ。Sは若い頃からひょうひょうとしてて、あまり自分を出さないが、不満をたれたりしない、いっしょに仕事をしていて気分のいいやつだった。90年代に僕がある調査の仕事で3か月ほど東南アジアをまわったときには、Sはマニラで駐在員をやっていて、美味いフィリピン料理のランチをおごってくれた。店にいくとき、交通の激しい通りを横切るとき、「気をつけてくださいね。こういうときはローカルの影にかくれながらわたると安全なんです」と、せこくローカルにへばりつくように通りを渡っていたのがSらしいなあと今でも覚えている。

Tは続ける。

「それでこないだSを励まそうと、同期のKといっしょにSの入院しているところに見舞いにいったんですよ。

そしたら元気なくて、もう治らないからいいんだとか言う。なにいってんだ、子供たちもいるんだろとKと僕で励ましたんですよ。

それで、準備してあったとっておきのお見舞いの品を渡したんですよ。そしたら涙ながしてよろこんで、よし、がんばろうと」

「なになに?」と当然のように僕は聞く。

「滝居さん、MっていうAV女優しってます?昭和の頃、一世を風靡した」

「知らないなあ」

「え、あのMを知らない!?まあいいんですけど、超有名で、若い頃にそのビデオでお世話になったやつは同世代で沢山いるんですけど、そのMさんが
ママをやってるラウンジがあるんですよ。別にへんな風俗とかじゃないですよ、ママももう50代ですから、行って座って、ママとか店の女の子とゆったり酒を飲むだけの場所ですけど、その女の子たちもAVにでてたことがある子たちでかわいいんです。

それはさておき、このママにSのことを話したんですよ。若い頃に独身寮で僕はママのビデオをSに貸してたことがあって、あいつも絶対にファンなんですが、そいつが病気になってると。そしたらね、ママが昔のブロマイドにサインしてくれて、Sさん早くよくなってねと書いてくれたんですよ」

「へえ、それはなんというか、すごいね」

「それをSに渡したら、感動して泣いたと思ったら、急に表情が明るくなって、おれがんばるよって」

「おいおい、これって感動すべき話なのか、なんでAVやねんて突っ込むべき話なのか」と僕は大笑いしながらコメントして、残っていたレモンサワーを飲み干す。

まあ、美談といっていんでしょうね。励ましてくれたのが有名なスポーツ選手とかだと絵にかいたような美談なんでしょうけど、ちょっとトホホと思うオチではありました。

なお、その六本木のお店はその後閉店したとのこと。 ■


(油絵のようなタイトル写真は、僕が実際に先月ジョージア共和国でアイフォンで撮った奇跡のスナップ写真。特に加工しておらず、要はあちらには西洋画の対象のなるような顔の人がたくさんいるということか)

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